「兵士を全員生きて帰したい」

コリン・パウエル元米国務長官がコロナ感染による合併症で死去した。

今から31年前、僕は米国駐在となりワシントンに赴任した。ちょうどイラクがクウエートに侵攻した直後で、米軍が攻撃に踏み切るのか、それとも外交交渉で戦争を回避できるのか、見方は五分五分だった。

しかし91年1月、米軍と多国籍軍は空爆を開始、さらに2月には地上戦に突入した。その日ブッシュ(父)大統領、チェイニー国防長官に続いて最後に会見したのがパウエル統合参謀本部議長だった。

国連で演説するパウエル統合参謀本部議長(1991年2月)
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今でも鮮明に覚えているのだがこの会見の冒頭でパウエルは「私はイラクに派遣する兵士を全員生きて帰したい」と言ったのだ。最初はえっ?と思った。地上戦で死者ゼロなんてありえないのに。「文民」のブッシュやチェイニーの威勢のよさに比べ「軍人」のパウエルの会見はその後も抑制的で、むしろ戦争のリアリズムを感じた。

米国民はパウエルに夢中になった

数日後のワシントンポスト紙に「任天堂の戦争」という妙なタイトルの社説が載った。任天堂が湾岸戦争に関係あるのかなと読んでみると、「メディアは戦争をまるでゲームのように伝えるが、実際には兵士の手足がもげ、命を失うものだ」いう淡々としているが強いメッセージだった。当時は任天堂が世界中で大人気で、任天堂というのはゲームの代名詞だったのだ。

「まるでゲームのように」報じられた湾岸戦争

戦死した米兵の遺体は現地から米国内の空軍基地に運ばれ、そこで棺に入れられる。基地内に棺がずらっと並んでいる写真を新聞で見てパウエルが会見で「戦争に勝つ」ではなく、「兵士を全員生きて返す」と言った意味が分かったような気がした。

結局湾岸戦争はわずか43日で終結、「クウエートは解放された」というブッシュの勝利宣言で終わったが、パウエルはこの戦争での指導力を高く評価されて国民的英雄となり、何度か大統領候補にも名前が挙がった。米国民がパウエルに夢中になったのはおそらく戦争における「強さ」だけでなく「優しさ」を感じたからだろう。

湾岸戦争での指導力が高く評価されパウエル氏は国民的英雄となった

パウエルは大統領にはなれなかった

その後パウエルはブッシュ(子)政権で国務長官に就任したが、共和党内では穏健なリベラル派で、ラムズフェルド国防長官ら「ネオコン」とはそりが合わないようだった。そしてイラク戦争の前に国連安保理での演説で、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると訴えたが、後に存在しなかったことが判明、強い批判を浴びた。その後パウエルは政界を引退した。

ブッシュ政権で国務長官に就任

結局パウエルは大統領になることはなく、2008年にオバマが黒人初の大統領になった。湾岸戦争が起きた90年代の米国はパウエルだけでなく、ブッシュ(父)や次の大統領のクリントンなど穏健中道のタイプの指導者が多かった。それがブッシュ(子)、オバマ、トランプとその後はどんどん右に左に揺れるようになる。

オバマ元大統領と

英語でステイツマンというと政治家という意味だが、ニュアンスとしては国のために尽くす人、という感じである。パウエルはこのステイツマンという言葉がよく似合う人だった。米国人はこういう人を本当は大統領にしたかったのではないだろうか。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】