9月5日、東京パラリンピックの閉会式で聖火が「納火」され、東京大会が閉幕した。オリンピックと合わせて30日間、聖火を灯し続けた聖火台がその役目を終えた(競技期間中は江東区・夢の大橋に別の聖火台を設置)。まさに大会の象徴となった聖火台は、どこで、どんな人たちが、どのように作ったのか?極秘で進められたプロジェクトの舞台裏に1年半に渡って密着した。

聖火台製作のために集められたプロ集団

聖火台チームの会議 約100人のプロが集結(2021年4月)
聖火台チームの会議 約100人のプロが集結(2021年4月)
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聖火台製作のためのチームが正式に結成されたのは2019年3月。トヨタ自動車やガス関連企業、イベント会社など、各界から約100人のプロたちが集められた。デザインを考案したのは佐藤オオキさん。缶ビールやガムなどの食品からコンビニのプライベートブランド、2024年に運行予定のフランス高速鉄道TGVのデザインまで手掛けるまさに世界的デザイナーだ。

デザイナー・佐藤オオキさんとトヨタ自動車・小島康一さん
デザイナー・佐藤オオキさんとトヨタ自動車・小島康一さん

そしてプロジェクトのリーダーを務めたのがトヨタ自動車の小島康一さん。大会期間中に66歳になった小島さんはトヨタで水素自動車の開発に会社員人生の大半を捧げてきた。聖火台の燃料に大会史上初めて水素を使用する極秘プロジェクトを引っ張った。

「極秘」プロジェクトリーダーのトヨタ・小島康一さん
「極秘」プロジェクトリーダーのトヨタ・小島康一さん

プロジェクトリーダー・小島康一さん:
水素は怖いというイメージを、炎の形でお見せすることによって、安全ですよ、安心していいですよということが伝えられる。人生の最後の花道じゃないが、聖火台は私の仕事の集大成です。

コンセプトは「太陽」

佐藤さんが考案したデザインのコンセプトは「太陽」

開閉会式演出の総合統括だった狂言師・野村萬斎さん「太陽の下に皆が集い、皆が平等の存在であり、皆がエネルギーを得る」というコンセプトに基づいてデザインされた。

聖火台のデザイン図 ©Tokyo 2020
聖火台のデザイン図 ©Tokyo 2020

上下2段、合計10枚のパネルで太陽の球体を形作る。この球体が花のように開くことで、花が咲いたり、空に向かって手を広げるような、太陽のエネルギーや生命力も表現したという。

「もっと太陽らしく」

聖火台・当初のデザイン案 ©Tokyo 2020
聖火台・当初のデザイン案 ©Tokyo 2020

実は聖火台のデザインは一度大きく変更している。当初のデザイン案で試作したものの、外側からあまり炎が見えなかった。「もっと太陽らしく」。萬斎さんの指示で佐藤さんがデザインを練り直した結果、パネルの形状を変更し、内部に多角形の鏡面パネルを貼ることで光が反射し、より太陽のイメージに近づけた。 

しかし、このデザイン変更がプロたちを悩ませることになる…。

トヨタ・小島さんと演出統括を務めた野村萬斎さん(2020年3月)
トヨタ・小島さんと演出統括を務めた野村萬斎さん(2020年3月)

“町工場”で密かに進めた製作

製作は東京・八王子市の“町工場”で密かに進んだ
製作は東京・八王子市の“町工場”で密かに進んだ

聖火台の製作は東京・八王子市のある工場で進められた。舞台装置などを手がける「ロッソ」という会社の工場だ。「世紀の祭典の聖火台がここで!?」と思うほど、失礼だがこじんまりとした工場だった。開会式までその姿は一切非公開としなければいけないため、聖火台はここで密かに形作られていった。

合宿で挑んだ「揺れ」との闘い

聖火台の総重量は2.7トン。10枚のパネルがそれぞれ動き、球体が太陽のように開く。しかしパネルは1枚当たり約40㎏。揺れずにスムーズに動かすことは至難の業だった。実際に初期段階ではかなり大きく揺れていた。揺れながら開く当初の姿はデザイナーの佐藤さんのイメージとはかけ離れていた。

トヨタ自動車・池田洋三さん(右から2人目、2020年7月)
トヨタ自動車・池田洋三さん(右から2人目、2020年7月)

トヨタ自動車で試作車の製作などを担当している池田洋三さんらのチームは、パネルの振動がどのように起きるのかを徹底的にシミュレーションし、発生する振動数、動くスピードを解析し、何度もプログラムを変更。開く動作で1週間、閉じる動作で1週間、工場で“合宿”をして振動を修正していった。さらに台風や強風の際に備え、簡易的な動きのパターンも用意。どんな状況下でも振動や誤差が起きないように調整した結果、パネルが動く際のすれ違い幅が最も狭い箇所で3㎜程度という精度の高さとスムーズな動きが実現した。

パネルの振動を徹底的にシミュレーションした
パネルの振動を徹底的にシミュレーションした

手作業で仕上げたトヨタの職人と匠

トヨタ自動車・開発試作部の“職人”が手作業で仕上げた(2020年11月)
トヨタ自動車・開発試作部の“職人”が手作業で仕上げた(2020年11月)

球体を形作るパネルは愛知県・豊田市にあるトヨタ自動車の本社工場で作られた。試作車などいわゆる「一点物」を作るトヨタの試作部が担当した。自動車のボディーなどを作る技術を応用して、10㎜の厚さのアルミ板を切り出し、特殊なホットプレス機で形を作り出した。そして細かい部分の仕上げは1つずつ職人たちが手作業で磨き上げていった。

チームを率いる九澤勝彦さんは、トヨタの中でも数名しかいない卓越した技術を持つ「匠」だ。

トヨタ自動車・九澤勝彦さん:
デザイナーの頭の中にあることをちゃんと具現化して叶えていかないと。これができなったらオリンピックは成立しない。そういうのは担当した者が味わう苦労。匠の意地というか使命感、プレッシャーが大きいですね。

トヨタ自動車の「匠」九澤勝彦さん
トヨタ自動車の「匠」九澤勝彦さん

社内駅伝→国体→五輪 大会史上初めて採用された「水素」

東京大会では大会史上初めて聖火台の燃料に、次世代エネルギーとして注目されている水素を使用した。しかし水素が採用されるまでにはかなりの時間がかかった。

小島さんらが聖火台の燃料に水素を使うことを提案したのは、正式に聖火台チームが発足する2年も前、2017年。当時は水素を聖火台に使用した実績がなく安全性が確保できるか確証が持てなかった。

そこで小島さんらはトヨタ社内の駅伝大会で、トーチや炬火(きょか)で水素を燃焼させる実験を行った上で、2018年の福井国体の炬火に水素を使用することを提案した。関係省庁の許可をもらい、岩谷産業などとも協力し、大学教授を交え安全性に関する会議に半年以上費やした。その結果、福井国体でも水素が使われ、東京大会でも採用が決まった。まさに水素に賭けてきた小島さんの執念だ。

聖火台の燃焼テスト(2021年2月)
聖火台の燃焼テスト(2021年2月)

JAXAの協力も得て…揺らぐ炎に

水素の採用が決まった後も、試練は続いた。試験の視察に訪れた萬斎さんからノイズが大きいという指摘があったからだ。水素の燃焼に伴うノイズに関しては小島さんも経験がなかったため、水素の専門家を探してJAXA(宇宙航空研究開発機構)に相談。また北海道大学の教授などにも協力してもらいノイズの低減に成功した。

一方、萬斎さんからは炎がバラバラで形が悪いという指摘も。こちらは取引先の会社からアイデアをもらい、水素が燃焼する際にバーナー下から流入する空気の量を減らすことで炎の高さを高くし、一体感のある揺らぐような炎が実現した。

聖火が紫色に! 閉会式でのサプライズ

水素は燃焼しても無色だ。そのため炎に色をつける必要がある。逆に言えば様々な色の炎が可能になる。この特性を生かしたのがパラリンピック閉会式の終盤だった。それまでオレンジ色に燃えていた炎が紫色に変わったのだ。紫は国際パラリンピック委員会(IPC)が障がい者の社会参加を推進する運動「WeThe15(ウィーザフィフティーン)」のシンボルカラー。水素だからこそ実現できた小島さんこだわりのサプライズだった。

日本のものづくり力の結晶

7月23日、オリンピック開会式の終盤で大坂なおみ選手がトーチを掲げると聖火台に聖火が灯った。水素の採用を提案してから4年以上かかったプロジェクトが実を結んだ瞬間だった。そして9月5日、パラリンピックの閉会式で聖火台がゆっくりと球体に戻り、静かにその役割を終えた。

パラリンピック閉会式翌日の小島さん(2021年9月6日)
パラリンピック閉会式翌日の小島さん(2021年9月6日)

プロジェクトリーダー・小島康一さん:
やっている時は大変苦しかったけど、やりたかった水素を使うことと、炎の色を変えるという2つをすべてやりきったので、長かったというよりやり遂げた感の方が強いですね。聖火台を通じて日本の技術力、ものづくりの力は伝えられたと思う。今後、オリンピックで水素が使われるかはわからないが、もし使うような機会があるのであれば、我々が学んだ蓄積を伝えて使ってもらう努力をしなければならない。記録としてちゃんと残しておかないと。日本の財産にしなければ。

日本の匠たちが作り上げた聖火台は、東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式を通じて間違いなく日本のものづくりの力を世界に示した。

(経済部 東京オリンピック・パラリンピック担当キャップ 一之瀬 登)

一之瀬登
一之瀬登

FNNソウル支局長。東京オリンピック・パラリンピック担当キャップを経て2021年10月ソウル支局に赴任。辛いものは好きだが食べると滝汗。