昭和初期に島根県沖の日本海で起きた「美保関事件」。旧日本軍による軍事演習中、軍艦同士の衝突によって119人が犠牲になった。

94年の時を越え、この事件の全容が解き明かされようとしている。

演習中に軍艦4隻が立て続けに衝突し、1隻が沈没

事件を伝える当時の新聞。見出しには「美保関沖で軍事演習中、軍艦4隻の大衝突。駆逐艦蕨は沈没…」とある。

当時の新聞の一面
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1927年(昭和2年)8月24日、松江市美保関沖であった旧日本海軍の演習中、軍艦4隻が立て続けに衝突し、1隻が沈没。119人が犠牲になったとされる「美保関沖事件」。

沈没した軍艦「蕨」

その歴史を伝える慰霊塔が、境港市の境台場公園にある。ここで毎年8月の追悼式に参列している門脇紀文さん。

毎年、追悼式に参列している門脇紀文さん

事件の数日前に、父親が訓練に参加していた軍艦の乗組員と話したという。

門脇紀文さん:
父が(旧制)米子中学1年の時、海岸から泳いでいって。(軍艦に)上がって来いと言われてお茶を1杯もらって。「貴様があと10cm背が高かったら海軍に入れていたのに」と言われたらしい

父親の話を語る門脇さん

事件から94年、平和への思いを口にする。

門脇紀文さん:
やはり、皆さんには戦争はいけないということを伝えたい

初めて撮影に成功 駆逐艦「蕨」の全容解明へ

美保関沖事件は今、新たなステージを迎えている。

水中に映るのは、美保関沖事件で沈没した駆逐艦「蕨(わらび)」とされる船体だ。2020年9月に九州大学などの研究チームが初めて撮影に成功した。

駆逐艦「蕨」とされる船体

さらに2021年7月、美保関灯台から北東へ33kmの地点で新たな船体が見つかった。

7月24日に撮影した映像。水深180mの海底で暗闇から姿を現したのが、駆逐艦「蕨」の船尾部分。初めて撮影に成功した。

腐食が進む船尾部分

魚や貝の住処になっていて、腐食が進んでいた。しかし、船の一部は今もはっきりとその形を維持している。

2020年に発見された船首と合わせ、「蕨」の全容を捉えた。見つかったのは、船首から10km離れた地点。海流に流されたのか、時の流れも感じさせる。

大学生が沈没地点を特定「現実味を持って歴史を捉えられる」

撮影に貢献したのが、慰霊の会に所属する島根大学3年の大原圭太郎さんだ。

大原さんは、地元漁師に伝わる「軍艦」と呼ばれる漁礁の話などをもとに、沈没地点を特定した。

島根大学 生物資源科学部3年 大原圭太郎さん:
水中調査で映像撮影したり、データをとったり、それを世間に発信し、見た人は今までより現実味を持って歴史を捉えることができるのでは

九州大学などに働きかけ、初の水中撮影を実現させた。この新発見を受け、慰霊の会は約15年ぶりに、資料展示会を境港市で9月4日から開く予定だ。

島根大学 生物資源科学部3年 大原圭太郎さん:
昭和2年9月1日の境港市の台場公園で行われた、1回目の殉職者追悼会の写真です。事故のちょうど1週間後

1回目の殉職者追悼会の写真

94年の時を越え、ひも解かれた悲惨な事件。

島根大学 生物資源科学部3年 大原圭太郎さん:
平和じゃない時代がわからないと、平和な時代もわからない。地元の人を中心にいろいろな人に見てもらって、理解していただける機会になれば

平和への思いを語る大原さん

(TSKさんいん中央テレビ)