原爆投下から76年 高齢化とコロナ禍で活動困難に…岐路に立たされる被爆者5団体【長崎発】
戦後76年~薄れる記憶、引き継ぐ記憶~

原爆投下から76年 高齢化とコロナ禍で活動困難に…岐路に立たされる被爆者5団体【長崎発】

被爆体験の継承が困難に…被爆者の深刻な現実

長崎市に原爆が投下されて76年となった2021年。
全国の被爆者の平均年齢は、3月末時点で83.94歳となった。

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これまで被爆地の平和活動を担ってきた長崎の被爆者5団体の活動は、高齢化により大きな影響を受けると同時に、新型コロナウイルスへの対応にも頭を悩ませている。

長崎には、長崎原爆被災者協議会、長崎県被爆者手帳友愛会、長崎原爆遺族会、長崎県被爆者手帳友の会、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の、5つの被爆者団体がある。

それぞれに被爆体験の継承や平和運動を行ってきたほか、ときに共同して核実験への抗議や、政府に対する被爆者援護の充実などを求めてきた。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
大き目のピーマン。(農作業は)きついことはきついが好きですが、それがストレス解消

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長

被爆者の田中重光さん(80)。
長崎の被爆者5団体のひとつ、長崎原爆被災者協議会(被災協)の会長だ。
5年前に被爆2世の妻を亡くし、それからはひとり暮らし。

長崎の被爆者5団体の1つ、長崎原爆被災者協議会(被災協)の会長・田中重光さん(左)

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
大阪の社宅の玄関、これが息子。30年くらい前かな。私は電車の運転士でした

国鉄職員だった田中さんは、民営化にともなって長崎を離れ、退職まで関西で過ごした。
長崎を出たからこそ、見えたものがあったという。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
長崎の人たちは、被爆者の組織に入っていない人が多い。他県だと3分の2の人たちは入っている。長崎、広島を離れたら差別とか偏見が多い。長崎の場合は、被爆した当時はほとんどが被爆者だから。(組織に入らない人が言うのは)入ったってメリットがないじゃないかと

年を重ね、被爆者の数が減っていく中、どれだけの人が被爆体験の継承につながる活動を実際にできているのか。
高齢化した被爆者の現実は深刻だ。
被災協が発足したのは1956年。原爆投下から11年後。

国連軍縮特別総会で演説する被爆者・山口仙二さん:
ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアウォー、ノーモアヒバクシャ

長崎の被爆者5団体の中で最も歴史があり、世界に核兵器廃絶を訴え、被爆者援護や継承活動に取り組んできた。

しかし、今の被災協にかつてのような勢いは見られない。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
私も(出勤するのは)週2、3回くらいかな。近ごろは病院通いも多くなって、みんな1つや2つの病気は持っている

修学旅行生の激減で被爆講話に影響も

現在の会員数はピーク時の10分の1ほど、約3,000人になった。
会費の収入が大きく減る中、2020年からはさらに厳しい運営を迫られることになった。
被災協の1階で土産品などを販売する、「被爆者の店」の閉店だ。

新型コロナウイルスによる観光客激減で被災協のテナント事業者が撤退

新型コロナウイルスの感染拡大による観光客の激減で、テナント事業者が撤退したのだ。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
観光客も、タクシーの運転手も、ここが閉まっているとさびしいと言う。1日も早く(テナントが)入ってほしい

「被爆者の店」は、仕事を失った被爆者に働く場所を提供しようと、1957年に開業し、1999年からはテナントの形を取っていた。
家賃は、被災協の年間収入の約6割を支える屋台骨だった。

さらに、新型コロナウイルスは修学旅行生などを対象にした被爆講話にも影響を与えた。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
ペケ(✕)のところがキャンセルとか変更

感染拡大前は、年間2万人前後を受け入れていたが、2020年度は半分以下に落ち込んだ。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
被爆者自身も語らなかったら、年齢的に物忘れがひどい年、忘れる。(講話が)なくなったら家にずっといる。そしたら体力も落ちてくる。
やっぱり危機感でしょうね。1年、2年キャンセルで来ないようになれば、学校が(今後も)講話を希望するかどうか、そういったことを心配しなければ

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長

一方で、被災協には今、全国から募金が集まっていて、その額は700万円を超えた。

長崎原爆被災者協議会・田中重光会長:
今までのご苦労さん(という思い)と期待、両方あると思う。ずっと先頭で走り続けることはできない。皆さんの協力を得ながら、持てる力を出していく

声を上げ続けていくために、できることは何か。
被爆76年の2021年、被爆者団体は思いだけではもうどうすることもできない、厳しい環境におかれている。

高齢化と介護で被爆者の活動困難に…次世代にどう受け継ぐ

一方、被爆者5団体の中には一時、解散を議論した団体もある。
そこには、被爆者としての使命感と同時に、1人の高齢者として生きていくうえでの葛藤があった。

1979年に発足した、長崎県被爆者手帳友愛会。
長崎市にある事務所は週に3回、午前中しか開いていない。

被爆者の永田直人さん(88)。
永田さんは、体調不良を理由に退いた中島前会長の後任として、2年前に会長に就いた。
中島さんの後任は1年以上決まらず、一時は友愛会解散の声も上がったという。

長崎県被爆者手帳友愛会・永田直人会長:
前会長がひとりで内外職務を全うしていた。誰も急にはできない。誰もなる人がいなかったから(会長に就いた)

長崎県被爆者手帳友愛会・永田直人会長

永田さんが会長になったあと、友愛会ではこれまで1人だった副会長を3人体制にして役割を分担した。
後継者の育成などさまざまな理由があるが、そのひとつに難病の妻の介護があった。

長崎県被爆者手帳友愛会・永田直人会長:
(会長職は)家事と両立、家政婦といっしょ。ここに来る前も仕事をしてくるし、風呂の清掃とか帰ったらまた忙しいし

当初2,500人ほどいた会員は現在約800人にまで減り、会員でも会費を納入していない人は少なくない。

長崎県被爆者手帳友愛会・永田直人会長:
年に4、5人は亡くなっている。住所不明とか

収入の4割近くを県や市などの助成金で賄っているのが現状で、近い将来、会長の交代も含め、友愛会の今後を考える時期に来ていると話す。

長崎県被爆者手帳友愛会・永田直人会長:
後継者作りが一番難題。毎日気にしている。できれば2世か若い方が後継者になってくれれば。会をいかにして維持していくか。(友愛会)単独では何もできない。5団体が結束しないことには

被爆者団体への助成金は、長崎市の場合、代表者が被爆者でないと受け取ることができない。

被爆者団体の維持には、活動の主体を次の世代に受け継ぐための仕組みづくりや、被爆者5団体の連携のあり方について考える時期に来ている。

(テレビ長崎)

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