多くの尊い命が失われた西日本豪雨から3年がたった。
災害で亡くなった父の遺志を継ぎ、地域の水道を守ろうとする遺族の思いを取材した。

岡山との県境近くに位置する山間部の神石高原町中平。地表がむき出しになった斜面など、3年前の傷跡が今もなお残る。
この場所は、西日本豪雨で父を亡くした門翔也さん(30)にとって大切な場所。

この記事の画像(13枚)

西日本豪雨から父が守った地域の水道

門翔也さん:
災害のすぐ後に戻って作業してたのも、すべて優しさからくるものだと思うので、亡くなってから父の優しさを改めて知ったかたちになりました

ここにあるのは山からの湧水を貯め、地域の8世帯ほどに供給する水道施設。
17年前に父の信夫さんが自宅の裏山へ設置し、管理を続けてきた。

しかし、3年前の西日本豪雨で、土砂に地中のホースなどが巻き込まれ、水を届けることができなくなってしまった。

西日本豪雨時の写真

父・信夫さんは豪雨が襲った直後の7月8日、困っている地域の人たちのために、家族の反対を押し切り、避難先から1人で水道施設の修理に向かった。
しかし、翌日の朝から連絡が取れなくなり、家族が様子を見に行くと、ベッドで眠るように亡くなっていた。
死因は心臓突然死。復旧作業で心身に負担がかかったことが原因とみられ、その後 災害関連死に認定された。

門翔也さん:
せめて近くにいたら、体の変化とか体調の変化というのがわかったと思うので、自分も帰っていればとは思いました

父の記憶を辿りながら水道を守る

間もなく災害から3年。飲食店の卸業者として働く翔也さんは今、父と一緒に過ごした実家を離れ、福山市内で暮らしているが、週に2回ほど実家のある神石高原町に戻り、家の整備をしている。
父が最後まで守ろうとした水道施設を引き継ぎ、管理しているのも翔也さん。

門翔也さん:
水と空気が押し合って水が行かなくなることがあるので、たまにここを空けて空気を逃がしてやるというか

空気を抜く様子

草刈りやパイプの点検など日々の管理が欠かせない水道施設。父の生前、翔也さんは設備の構造などについて本格的に教えてもらったことはなかった。
子どものときに手伝った記憶などを頼りに手探りで整備を進めることで、父の突然の死への向き合い方にも変化があったという。

門翔也さん:
最初の一年は父が亡くなったことも納得できないというか、実感が湧かなかったので、どこかに出張に行ってるくらいの気持ちでいたんですけど、やっぱり聞きたいことが聞けないとかいうことが出てきたときに、亡くなったことを実感せざるを得ないというか…この水道管理したり、地域と関わることによって、自分の中で父が亡くなったっていうことを理解したというか

水を必要としている地域の人々のためにと施設を引き継いだ翔也さん。守っているのは水道設備だけでなく、亡き父の遺志。

"水道"を守ることで変わる思い

門翔也さん:
地域と僕を繋いでくれている1つの役割になっている。なので、地域のために父がやっていたのと同じように貢献できればと思いながらやっています

災害後、翔也さんの家庭には新たな命が誕生した。かつての父と同じ親という立場となり、水道施設の管理に対しても新たな想いが芽生えている。

門翔也さん:
僕がやらないとなという責任感がどんどん増していったので、この中平地区に住まれている方が元気なうちは自分が管理していきたいし、僕のあと、また息子が引き継いでくれたら僕も嬉しいですし、父もきっと喜んでくれんるんじゃないかと思います

消えることはない父を失った悲しみ。
それでも3年という月日の中で、翔也さんはその遺志をしっかりと受け継ぎ、前を向いて進んでいる。

(テレビ新広島)