「男女平等を実現するのは女性のためだけではなく、男性の自由のためでもあるのです」
そう語るのは、男性学の第一人者である大正大学心理社会学部准教授、田中俊之氏。
昨年来、ジェンダーをめぐる働き方についての取材を続ける中、いつか男性にも話を聞きたいと思っていました。というのも、ジェンダーの問題はとかく女性や性的少数者のものとされがちです。
これまで身体も心も「男性」であり、かつ異性愛者であることを“普通”として社会の枠組みは作られてきたのだから、その枠の外にいる人たちにしか問題は見えづらかったのかもしれません。それが2021年2月の森喜朗元首相の女性蔑視ともとれる発言で、社会の”建前”は一変したものの、あまりの急変ぶりに危惧も感じます。
問題の本質がどこにあるのか“本音”で深く対話される前に、「何も言わないほうがいい…」「これって言葉狩り!?」と、ジェンダーについて言葉にすること自体が、一種の怯えで息苦しくなっている面もあるのではないでしょうか。
ジェンダーは決して女性だけの話ではありません。高度経済成長を引っ張って来た“男性=経済的な大黒柱、女性=家事育児の担い手”と刷り込まれてきた枠組みが、男性の生き方も縛ってきたはずなのに。男性にも男性であるがゆえの生きづらさってあるのでしょうか。
時代に合わせて価値観をアップデートせよと迫るばかりでなく、それぞれの立場で抱える当事者の問題を対話のテーブルに載せたい。インタビューはそこから始まりました。
競争から降りられない…男性の生きづらさ

田中俊之先生:
高校生たちに向けてオープンキャンパスを実施しているとき、よく「何歳まで働きますか?」と質問するんですね。すると、女子たちは「子どもが生まれたら一段落して、その後また働いて…」など、様々に将来のことを考えるのですが、男子たちは質問されている意味さえわからない。「え?定年までなんじゃないんですか?」と。
佐々木恭子アナウンサー:
おぉ。男子たちには一本道に働き続ける以外の選択はないわけですね?
田中先生:
そうなんです。女性は”働き続ける”こと自体が困難なので、もちろん男性の方が優位ではあるのですが、その選択のなさが男性の”生きづらさ”にも繋がります。ジェンダー(社会的な性差)の面でいうと、一般的には男性はリードする側、女性がリードされる側にありますよね。車の運転をするのは男性で助手席には女性、プロポーズをするのは男性で受けるのは女性といったような。
佐々木:
確かにそう刷り込まれていますよね。
田中先生:
その非対称性が、社会学的には権力(人の意志に反して自分の意志を押し付ける)と結びつきます。職場では男性が意思決定をし、家庭の中では経済的な大黒柱になるのは男性、女性は育児や介護など無償のケアを担うことになるわけです。
ただ、そうであるがゆえに男性たちには選択がない。会社に入って定年まで40年働き続けるのが当たり前だと思っている。ずっと競争社会から降りられません。なるべくいい学校に入り、いい会社に入り、入ったあとも出世を目指す。そうすれば一家の大黒柱としての強度が増して家族を幸せにできますよ、というルートに縛られているんですね。
佐々木:
改めて言葉にされると、驚くべき単線ルートですね。いつ頃から競争というレースに乗っかっていると自覚するのですか?

田中先生:
子どもの頃から考えることもなく“無自覚に”なんですよね。おもちゃを取られて泣いていたら、男の子には「泣かずに取り返してこい」と親がたしなめたり、あの子は木登りがうまいから同じように君もやってみなさいとか、いつも他人との比較にさらされる。そうして他人との比較でしか自分を測れないような価値観を無自覚に取り込むので、学歴がどうとか、いくら稼いでいるとか、わかりやすい指標での競争から逃れられなくなっています。
佐々木:
あえて「男の子だから、女の子だからこうしなさい」と性別に紐づけて言っていないつもりでも、固定的な「らしさ」を方向づけていってしまうわけですね。
田中先生:
まさに。男であるからという理由だけで無自覚にレースさせられていて、新1年生の6歳に「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、スポーツ選手や医者あたりは上位の定番です。大きな夢や社会的に地位の高い仕事を言えば、周りの大人たちが喜ぶことを知っていく。
しかし、このレースはとても過酷で生涯にわたって全部勝てる人はそうはいない。しかも“とにかく勝てば幸せになれる”というメッセージしか受けてこないから、負けた後にどうしていいかわからないし、泣くな!と教わってきているから、弱音も吐けない。これが社会で多数派を占める男性の悲しみでもあります。
定年後に必要な「きょうよう、きょういく」
無自覚に競争に乗せられているのは、男性ばかりでもありません。
女性が経済的に自立するためには、いい学校に行けば選択は広がると無邪気に信じていた10代の私。いざ社会に出るときに、同じ教室にいる男子たちとは性別が違うだけで別の道が待っている、もっと端的に言うと、ハナから競争相手として同じ土俵には乗っていないことを実感しました。
就職活動で「結婚しても仕事は続けますか?」と聞かれることもあったし、まだ”腰掛け”なんて言葉もあった時代です。結婚か仕事か、出産か仕事かの選択を迫られながら、「仕事をし続けられるかどうか」自体がチャレンジなのだと自覚するようになりました。
とはいえ会社に入ってからのアナウンサーとしての仕事は楽しく、手帳がスケジュールで埋まること=自分の価値だと思い、正月やゴールデンウィークも仕事することを充実感に代えて無邪気に走り続けていたので、2度の産休と育休の復帰後は大きな変化に揺らぎました。
自分の代わりはいくらでもいるし、産前と同じ働き方は無理です。東日本大震災で同僚がすぐに現地取材やスタジオで連日特番を担当しているときに、自分には乳飲み子がいて時短勤務するのも精一杯。仕事も家庭も中途半端だと罪悪感でいっぱいでした。
そのもがき苦しむ時間の中で、少しずつ仕事へのスタンスは変わっていきます。時間に制約があるからこそ集中力と段取り力が増し、明日やればいいこともなるべく積み残さない、指示待ちではなく仕事を創り出して貢献したい。ようやく「必要とされてなんぼ」の他人や世間の物差しではなく、自分の物差しで仕事も家庭も向き合えるようになりました。

佐々木:
女性は結婚や出産やライフステージが変わるときに、否応なく働き方を見直さざるを得なくなりますよね。単線で「仕事し続けるのが当たり前」とされる男性にとっては、どのタイミングで変化があるのでしょう?
田中先生:
これまで定年後の男性のヒアリング調査をしてきて、“働き続けなくてはいけない”は裏を返せば、働いてさえいればいいということにもなるわけですね。だから、仕事がなくなって初めていかに友達がいないか、家庭や地域に居場所がないか身にしみてきます。
だから定年後は「きょうよう」と「きょういく」が大事だと言うんですね。「今日、用があるか」「今日、行くところがあるか」。それは相当、切実な課題です。仕事中心の人生が終わったあと、ものすごい喪失感の中でもう一度新しい居場所を見つけていけなくてはならないわけですから。

(後編#2に続く)
【執筆:フジテレビ アナウンサー 佐々木恭子】