岩手・陸前高田市の高田小学校で、震災後初めて児童が被災した建物に入り、津波の怖さを教わった。
心のケアの観点から行われていなかった“津波の怖さ”を直接感じる授業。児童は何を感じたのか。

子どもたちに震災と向き合う授業を…

米沢祐一さん:
あそこに矢印見えますか? 津波の到達水位というのがありますけど、あそこまで津波が来たんです

煙突の高さまで到達した津波
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6月18日、陸前高田市の津波の爪痕が残るビルに、初めて地元の小学生が入った。
高田小学校4年生の児童28人だ。

米沢商会ビル(岩手・陸前高田市高田町)

児童が生まれたのは2011年の4月以降で、誰も津波を知らない。

4年生の児童:
高い所で少し怖かったけど、津波のことが実感できた

震災で7人の児童が亡くなった高田小学校では、児童への心の配慮から2019年まで、こうした直接震災と向き合う授業は行われてこなかった。

その方針を変えたのが2020年、母校である高田小の校長に赴任した金野美惠子さんだ。
金野さん自身も、両親を津波で亡くしている。

高田小学校・金野美惠子校長:
被災地における現状を、ここで生まれた子どもたちが知らないまま過ごしていいのか、葛藤がありまして

高田小学校・金野美惠子校長

現在、高田小は半数以上が津波を体験していない児童だ。
教師も18人中、11人は当時を知らない。
このため金野さんは、当時の被害の様子や復興に向けた歩みを地域の人から学ぶ授業を取り入れた。

このうち4年生は、担任の菅野洋介さんが陸前高田市出身だが、震災当時は内陸にいて津波を知らず、自身も学びながらの授業だ。

4年生担任・菅野洋介さん:
経験していないからこそ、津波のことをそのまま伝えるのはどうなのかなというのもありましたし、あまりこちら側が教えるのではなく、現地の人に話を聞いたり、実際の被災地に足を運んで感じてもらったりした中で、これから授業の中で、子どもたち自身に考えさせていきたいと思っています

高田小学校4年生担任・菅野洋介さん

「怖さを感じることで防災力は高まる」

教師も児童も、津波の恐ろしさを知らない。
こうした中、ある思いをもって手を差し伸べた人がいる。

米沢祐一さん:
陸前高田で生まれて、陸前高田で育ちました。出身校は、皆さんと同じ高田小学校です

米沢祐一さん

米沢祐一さんは、自分のビルを震災遺構として残し、この屋上で生き延びた経験を語り継いでいる。

米沢さんには、小学5年生の娘がいて、この10年間、津波の恐ろしさを語り伝えてきた。
今回は、同じ年代の児童たちに娘に話すように優しく、時に臨場感を持って語りかけた。

米沢祐一さん:
奥に歩き出そうとした時に、あれっと思ってるうちに、ダァ~っとものすごい勢いでドーン。本当に今、皆さんがびっくりするぐらいの、ものすごい揺れが来ました

陸前高田の未来を担う子どもたちに「怖さを感じてもらうことで、防災力は高まる」。そう信じて、説明にも熱が入る。

米沢祐一さん:
全部真っ黒。全部津波ですよね、周り。それで、はしごがあるんだけど、次の瞬間、このはしご登ってました。煙突の前に津波が当たって、しぶきがパシャパシャって体にかかるような感じ。ここから(登った煙突の)下は、360度全部津波です。それを想像してほしい

無理には登らせないよう配慮もしていたが、ほとんどの子どもたちが、怖さを感じながらも屋上の煙突まで登って、当時の津波を追体験した。

4年生の児童:
すごく怖かった

4年生の児童:
一面真っ黒を想像して、すごく怖かったです

4年生の児童:
あそこまで高いと思わなくて、今日ここで登ってみて、初めて津波がこんなに高いんだなと思いました

米沢祐一さん:
やっぱり力が入りました。だから、いつもよりも気持ちが入ってたというか、聞いてほしいという気持ちはありました

子どもたちに津波の怖さを伝える米沢祐一さん

校長の金野さんは、児童たちの感想を聞いて、今回の体験学習に手ごたえを感じていた。

高田小学校・金野美惠子校長:
体で感じることによって、怖いという言葉が出てきました。怖いと思わないと、防災というか、人間本来の「生きたい」というところにいかないのではないのかな。だから、体験学習が大事だと感じました

命の大切さを学んだ高田小の子どもたち。「この体験を通して、自分たちは何をすべきか」。次の課題に向けて、成長の日々が続く。

(岩手めんこいテレビ)