障害があったとしても、すべての子どもたちが、自分のやりたいことに挑戦できる社会とは何か。囲碁のプロ棋士を目指して修行を続ける弱視の少年と、その母親に話を聞いた。
1歳で白血病に。寛解するも視覚に障害が
この記事の画像(8枚)その少年は、取材が終わるとすぐテーブルに顔を近づけ、さっき終えた対局の棋譜並べに没頭した。今年4月に日本の囲碁を代表する団体、日本棋院のプロ候補生・院生となった中学1年生の岩崎晴都さん。彼は視覚に障害があり、右目がほとんど見えず、視力0.01の左目のみで生活している。
熱心に碁石を並べる晴都さんの姿に「いつもこうなんです」と、母・涼子さん。「他の子だったらここでゲームをやるんでしょうけど、この子にはそれはできないので。彼にとってこれが一番の遊びのような、楽しいことなんですね」(涼子さん)
晴都さんは、1歳2カ月の時に小児急性リンパ性白血病を発症し、5歳までに2度の再発を経験した。その度に骨髄移植や臍帯血移植を受け、8年経った現在では寛解。
しかし移植治療特有の晩期障害として、眼の角膜に混濁が現れ、徐々に視力が低下した。小学校1年生の頃は地域の学校の特別支援学級に通ったが、症状は進行。2年生の時に、点字を学ぶため盲学校(特別支援学校)に転校したという。
囲碁と出会ったのは、ちょうどその頃だ。祖父母の家の1階テナントに碁会所ができ、晴都さんは「黒と白なら見やすいかな」と気軽な気持ちで始めたと話す。
最初は碁石を使った簡単なゲームから始め、徐々に教室を訪れる幅広い年代の人々と対局を重ねるうち、どんどん囲碁にのめり込んだ。毎日のように碁会所へ通った末、小学校5年生の時にはついに碁会所の先生よりも強くなったのだ。
「卒業」を言い渡された晴都さんは、日本福祉囲碁協会の紹介でアマチュアの強豪が集まるさいたま市の指扇囲碁サロンへ。「その頃から、だんだんプロを目指してみようかなという気持ちになってきました」と晴都さんは言う。院生となったのはその2年後だ。
視覚障害者のための碁盤、「アイゴ」
晴都さんが囲碁を打つ際に使うのは、アイゴと呼ばれる碁盤。升目の線が盛り上がっており、その線に碁石の裏の溝をはめ込むため、対局中に触れてしまってもずれることがない。
また、黒の碁石には表面に小さな突起があり、指先で触った感覚で白と黒を識別できる。全盲の選手も参加する視覚障害者の囲碁大会でも採用されているという。
晴都さんがプロの指導を受ける際は、基本的にすべて日本棋院が運営するネット囲碁専用サイト上で行ってもらう。タッチパネルのデスクトップに表示して大きく拡大し、顔をディスプレイに近づけながら囲碁を打つ。
「小さい頃はピアノも水泳もやっていましたが、どちらも自主的にやりたいという感じではなくて。囲碁だけは違いました。最初こそ、週に1回1時間半だけの習い事でしたが、記録が上がるにつれて、それじゃ足りない、もっとやりたいと、どんどん時間が増えていって。すごく楽しそうに通っていましたね」(涼子さん)
涼子さんが晴都さんを育てる上で大切にするのは「やってみたいと言われたことは、挑戦させてあげたい」という思いだ。「『障害があるからできない』って言うのはいやなのです。そうではなくて、『どうしたらできるかな?』って考えたい」と語る。
こう思うに至ったのには、理由があった。晴都さんが最初に白血病を発症し、2歳で退院した後のことだ。
「退院した後、感染症になったら怖いので本当に大事に大事に、家の中で過ごしたんですね。でも、半年後に再発してしまった。その時、医師から命が危ないって言われて、私なんてことしちゃったんだろうって。家に閉じ込めず、もっといろんなことを経験させてあげればよかった。本当に申し訳なくて、すごく後悔しました」(涼子さん)
「幼稚園も習い事も、病気や障害が理由で断られることが当然あったんですけど、それでも何件か行くと必ず『うちなら大丈夫』って受け入れてくださるところがあるんです。そういう場所に助けていただきながらやってきたので、晴都に対しても、自分の障害についてあまり後ろ向きに考えないように、受け入れてくださるところにどんどん行ってごらんと伝えています。そして、やりたいことは親に言ってね、とも」(涼子さん)
「心のバリアフリー」を実現するには
障害のある子どもが、将来自立した日常生活や社会生活を送れるかどうか。それはすべての親にとっての気がかりだ。涼子さんも、「今の段階では、親が手助けできるけど、成長していろいろ一人でやるようになったら、きっとまた様々な困難があるんだろうなと思っています」と語る。
しかし、近年は視覚障害者をサポートするスマホやタブレットのアプリも増えている。カメラを向けると物の識別や色の判別ができたり、小さい文字を拡大して読めたりする機能があり、涼子さんもそれらのツールに希望を感じている。晴都さんにも上手に活用して生活してほしい、と話した。
テクノロジーの進化の一方で、人々の意識の変化は、なかなか進みづらい。涼子さんが気がかりなのは、そんな「心のバリアフリー」の方だという。
「視覚障害のある子って、危ないからと全部『だめです』と言われるか、お客様のようにすべてをお膳立てしてくださるか、そのどちらかになりがちなんですね。でも、実際は少しだけ手伝ってもらえれば、あとは健常者と同じように過ごせることも多いんです。周りからすると、どう接したらいいかわからないことが多いようで、難しいとは思うのですが」(涼子さん)
晴都さんは平日は盲学校へ、週末は日本棋院へ、どちらも一人で白杖を手に電車で通う。その道中では、通りすがりの老若男女に声をかけられたり、自ら声をかけたりしながらサポートを受ける場面もあるそうだ。飲食店にも一人で行き、スタッフにメニューの読み上げをお願いして注文するという。
心のバリアフリーを実現するには、障害のある人が「どんなバリア」を感じているのか、そして「どんな配慮」が適切なのかを知る機会が必要だ。そういった意味で、現在文部科学省が進めている「インクルーシブ教育」が、将来的な一助になるかもしれない。障害のある子と障害のない子が同じ学校において共に学ぶことで、互いの理解に繋がるはずだ。
晴都さんは、囲碁の魅力を「目が悪くても、障害があっても、健常者の人たちと対等に打てることです」という。将来の目標は「視覚障害者囲碁を世界中の人に広めたい」と語った。まずは、院生の在籍期限である17歳までにプロを目指し、修行に励む日々が続く。
岩崎晴都
1歳の時に小児急性リンパ性白血病を発症。そのGVHD(移植片対宿主病)により角膜混濁。右目の視力をほぼ失い、0.01の左目のみで生活する。小学校2年生で囲碁に出会って以来、年々記録を上げ、頭角を現す。2021年4月より日本棋院のプロ候補生・院生に。
取材・文=高木さおり(sand)