2010年にノーベル化学賞を受賞した根岸英一さんが6日居住地のアメリカ・インディアナ州で亡くなった。
85歳だった。

根岸さんは、有機化合物同士を触媒を使って結合させる「根岸カップリング」という技術でノーベル化学賞を受賞。
この発明は、ディスプレーに使われる有機ELなどに今も広く活用されている。

この記事の画像(6枚)

ストックホルムでのインタビュー

私が根岸さんとお会いしたのは、2010年ノーベル賞授賞式を前にしたストックホルムでのこと。
ノーベル賞受賞予定者が定宿にするグランドホテルで、個別のインタビューをお願いできることになり、お部屋までお伺いした。
インタビューは奥さまのすみれさんも同席され、くつろいだ雰囲気の中で行われた。

ノーベル賞受賞という、科学者としての頂に立った75歳。
この後の奥様との悠々自適な余生を思い描いているのかと思いきや、「今後やりたいこと」について聞くと意外な言葉が返ってきた。

「光合成をやりたい。自然が当たり前に出来ていることが、人間は未だにできない。これは恥だと思うんですよ。」

「こ、光合成ですか?葉っぱから酸素が出る…」

ノーベル受賞者が語る次の人生目標は、凡人から見るとあまりに壮大で、それを聞いた私は「若い世代に宿題を課されているのかな」と思っていた。
しかし、これはまったくの見当違いで、この後、根岸さんは、国内の研究者120人以上を集め「人工光合成」をオールジャパンで研究するプロジェクトを立ち上げる。
実現すれば二酸化炭素を人工的にエネルギーに変えることができ、温暖化問題を解決できる夢の技術だ。

それから10年経って、今年の4月にはトヨタ系列の研究所が植物の変換効率を大きく上回る人工光合成に成功。
この技術で日本は世界をリードする存在になった。

世界が脱炭素に大きく舵を切る今、10年も前にの技術に注目し、旗を振った根岸さんの先見の明には脱帽するほか無いだろう。

若い世代への注文

根岸さんに、若い世代へのメッセージを伺うと、開口一番「若者の内向き指向が心配。リスクを恐れず世界に出て欲しい」とおっしゃった。

ご自身は東大工学部を卒業後、繊維メーカー「帝人」に就職。
しかし科学者として真に開眼したのはその後のアメリカ留学を通じてだという。

研究者として大成するには、心地の良い日本の環境を外から見てみることが必要だと話されていた。

実際、その後取材させていただいたiPS細胞の山中伸弥教授はじめ、何人かのノーベル学者たちのほとんどは海外での研究で飛躍を遂げている。

しかし、本当に根岸さんが言いたかったのは、日本の教育の物足りなさだと、私は感じた。

日本の教育に足りない物

「天才を育てるのに必要なものは何ですか?」と根岸さんに聞いたところ、かえって来た言葉は、今も鮮明に覚えている。

「机にかじりついていくら勉強しても、決して才能は開花しない。少数の秀才たちとの間で、徹底的に議論し合うことで真の才能や、発明が生まれるんです」

「DNAの二重らせんをワトソンとクリックが見いだしたのも、大学で出会った二人の天才による徹底した議論によるものだった」

おそらくは根岸さんはじめ、アメリカで開花した学者たちが経験したのは、そうした天才たちとの「対話」「議論」だったのだろう。

そうした体験が例えば今の日本の大学で得られるだろうか。
また、企業や社会の中で、尊重されているだろうか。

根岸さんの教育観は、今も日本の教育や組織論に、疑問符を突きつけ続けていると、私は思う。

時代の先を見て、数々の贈り物を残してくれた「巨人」根岸さんに、日本人として改めて感謝と追悼の言葉を述べたい。

(日曜報道THEPRIMEプロデューサー:勝又隆幸)

勝又隆幸
勝又隆幸

フジテレビ報道局社会部長。1995年の入社以来警視庁、司法、警察庁クラブなど、事件記者を10年。
2010年からロンドン特派員として、ロンドン五輪、ロイヤルウェディングのほか、リビア、シリア、ウクライナで紛争取材にあたり、マレーシア航空機撃墜現場から中継取材も。
その後ニュース番組プロデューサーなど経て、2023年から現職。