30年前の雅子さまとの会話
日曜に天皇陛下の即位を祝うパレードをテレビで見ていたら、皇后陛下が涙ぐんでおられるように見えたので驚いた。前日に行われた国民祭典に続いて2日続けての涙だった。そもそも皇族の人が泣く姿をあまり見たことがない。なぜ雅子さまは泣いたのか。
この記事の画像(6枚)最初の涙は土曜日の国民祭典の奉祝曲の最後に嵐が「大丈夫、君と歩いてゆこう」と歌った後だった。僕は天皇陛下の「僕が一生お守りします」という結婚の時のプロポーズの言葉を思い出した。
お2人の結婚には紆余曲折があった。30年前、元号が昭和から平成に変わった直後に雅子さまと一度だけ電話で話をしたことがある。話といっても、天皇陛下(当時は皇太子殿下)のお妃候補として英国オックスフォードで追っかけまわしていた僕に対し、雅子さまが一度だけの電話取材に応じたのだ。
電話で雅子さまは天皇陛下との結婚については何も仰らなかったが、外務省は辞めないということは明らかにされた。外務省を辞めないということは結婚はない、と当時は判断した。
雅子さまを守り、共に歩いてこられた陛下
しかしその4年後、天皇陛下と雅子さまの結婚が発表された。天皇陛下の「僕が雅子を一生お守りします」というお言葉を聞いて、雅子さまの心変わりの謎が解けた。将来天皇になる人にこの言葉を言われたので、外交官としての道を捨てて、皇室に入る決心をされたのだ。
しかし皇室に入った後、雅子さまは体調を崩し、長い療養生活を送られた。一部メディアのバッシングもひどかった。2004年に天皇陛下が「雅子の人格を否定するような発言があった」と発言された時は驚いた。これは宮内庁批判だけでなく皇室批判でもある。この人は1人で戦っている。結婚の時の約束通り「雅子を一生守る」ために戦っているのだと思った。
この四半世紀は、お2人にとって決して平坦な道のりではなかった。しかし陛下が雅子さまを守り、共に歩いて来られた。国民祭典での雅子さまの涙は天皇陛下への感謝の涙だったのか。パレードでは日本中から集まった国民12万人が両陛下を祝福した。過去のバッシング報道もあったが国民は雅子さまを受け入れた。涙はその国民の気持ちが皇后陛下に伝わったからなのかもしれない。
皇室にも働き方改革が必要だ
いや実は一連の国事行為が終わって肩の荷が下り、ホッとされただけなのかもしれない。というのは今回わかったのが天皇皇后両陛下の「お仕事」というのはとてつもなく大変だ、ということなのだ。
天皇陛下59歳、皇后陛下55歳。天皇陛下と僕は同い年(厳密に言うと学年は同じだが陛下は早生まれなので僕が年は一つ上)なのだが、こちらは還暦で定年し、仕事は続けているものの、相当のんびり構えている。「仕事より大事なことはいっぱいあるぞ」などとつぶやく日々である。
だが陛下はようやく本来の仕事が始まったばかりで、それはあと20年も30年も続くのである。ちょっとかわいそうにも見える。14日の大嘗祭は夕方から翌日の未明まで延々と続いた。還暦の身にはきつかろう。皇室の働き方改革というのも少し考えてもいいのかもしれない。だとしたら、旧宮家の復活や女性宮家の創設について、せめて議論だけでもした方がいいと思うのだ。
【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】