東京オリンピック・パラリンピックの開催まで残り2カ月となった。5月のFNNの世論調査では「中止した方が良い」との回答が56.6%と過半数を超え、開催に厳しい見方が広がっている。アメリカでもメディアを中心に開催を危惧する声が相次ぐ。

そんな中、57年前の東京大会で金メダルを獲得したアメリカの元五輪代表がFNNの取材に応じ、選手の為に「開催する道を選んで欲しい」と東京オリンピックへの思いを語った。妻のパトリシアさんと共にオンラインでの取材に応じたのは、1964年の東京オリンピック、陸上男子1万メートルで金メダルを獲得したアメリカの元代表選手ビリー・ミルズさん(82)。

カリフォルニア州の自宅リビングには東京でお土産に買ったオリンピックのポスターが飾られていた。

ビリー・ミルズさんと妻のパトリシアさん
ビリー・ミルズさんと妻のパトリシアさん
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ーー日本の最新の世論調査では半数以上がオリンピック・パラリンピックの中止や延期を望んでいる現状についてどう思うか。

ミルズさん:
新型コロナウイルスの感染拡大の厳しい状況にあって日本国民の多くが延期や中止を望むことはとても理解できます。しかし、東京オリンピックの元代表選手として、また、オリンピックによって人生の挫折から救われた人間としては「開催して欲しい」という気持ちがあります。なぜなら、オリンピックは人々に勇気や希望を与える「きっかけ」となりうるからです。

57年前に初めて東京に到着した時のことは今でも忘れられません。飛行機の中から見た富士山の美しい姿は、ネイティブアメリカンである私の故郷、サウスダコタ州のブラックヒルを彷彿とさせる荘厳なものでした。アメリカで人種差別を受け続けて育った私には、日本人の控え目さやひたむきな姿は私の部族ラコタ族に通じるものがあり、不思議とほっとした気持ちになったのを覚えています。オリンピックの開催をとおして日本のすばらしさを世界に知ってほしいというのが私の率直な気持ちです。

ーー再び東京の地を踏む計画があるか?

ミルズさん:

2021年の東京オリンピックは私にとって特別な意味があります。開会式には妻と娘、孫も連れて東京で見届けたいと考え準備もしていました。しかし、新型コロナの感染抑止という事で外国人観客を受け入れない方針が発表されたため、断念せざるを終えませんでした。これは仕方のない事です。きっといつか状況が落ち着いたら、思い出の地を巡るのが夢です。

私は、日本にすっかり恋してしまったのですから。東京で食べたお寿司の味が忘れられず、アメリカに戻ってからも1964年からずっと週に1度はお寿司を頂いています。

ミルズ家は娘4人、孫12人、ひ孫2人の大家族
ミルズ家は娘4人、孫12人、ひ孫2人の大家族

ーーミルズさんはオリンピックによって人生の挫折を乗り越えることができたと述べているが、どのような経緯があったのか?

ミルズさん:

私はサウスダコタ州にあるインディアン居留地で育ちました。幼いころから差別を受けて育ちました。白人居住者の多い街ではレストランに入っても水も出してくれず、1時間近く待たされたこともあります。私の母は8歳の時に亡くなったのですが。その時に父が私にこう言いました。「息子よ、お前の魂の翼は折れてしまった。その翼を癒すことができるのは夢だけだ」と。

そしてその父も私が12歳の時に心不全で亡くなりました。私はどうすれば魂の翼を癒すことができるのかをずっと考えていました。そんな時に出会ったのが走ることだったのです。走っている時だけはあらゆる差別や苦しみから解放されたのです。

東京オリンピックで陸上男子1万メートルに出場した時、私は無名の選手でした。誰も私が優勝できるとは思っていません。実際ゴールまでの最後の直線に入った時、私は3位でした。しかしその時、私は心の中で叫んでいました「翼、翼が欲しい!」気付いた時には、ゴールのテープを切っていました。

1964年の東京大会 男子1万メートルでゴールを切るミルズさん(妻パトリシアさん提供)
1964年の東京大会 男子1万メートルでゴールを切るミルズさん(妻パトリシアさん提供)

ミルズさんは自己ベストを約50秒更新する28分24秒4の当時のオリンピック新記録で金メダルを獲得した。陸上男子1万メートルで金メダルを獲得したアメリカの代表選手は未だにミルズさんただ一人という。

ネイティブアメリカンとして人種差別の中で育ち、様々な苦しみを味わったミルズさん。それでも陸上競技に出会い、差別を乗り越える力を磨いた。ミルズさんが追い求めてきた魂の「翼」は東京オリンピックでの金メダルという形で、その胸に輝いた。全ての苦労が報われた瞬間だった。

ミルズさんに生きる力をくれた57年前の東京オリンピック。2021年にも、多くの選手に同じ場所で感動を味わってもらいたいと願う。ミルズさんはインタビューの最後、日本の選手にこうエールを送った。

東京大会で表彰台に上がるため靴を履き替えるミルズさん 
東京大会で表彰台に上がるため靴を履き替えるミルズさん 

ミルズさん:
私はオリンピックに出場し、父が言ったように翼を再び得ることができました。私は、スポーツを通じた感動が人々の心をつなげ、また選手自身にも挫折を乗り越えるきっかけを与えると信じています。日本の選手の皆さんに申し上げたい、今は自分のことだけに集中して試合で最高のパフォーマンスを発揮してほしい。私の心は選手の皆さんと共にあります。
 

ミルズさんは82歳になる今も、ネイティブアメリカンの若者の育成や文化を保存する活動を精力的に続けている。ミルズさんの現在の活動や、1964年の東京オリンピックでの写真などもこちらのURLから見ることができる。
(https://indianyouth.org/who-we-are/billy-mills/)

【執筆:FNNワシントン支局長 ダッチャー・藤田水美】

ダッチャー・藤田水美
ダッチャー・藤田水美

フジテレビ報道局。現在、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院(SAIS)で客員研究員として、外交・安全保障、台湾危機などについて研究中。FNNワシントン支局前支局長。