ミャンマーはクーデター以後、過酷な弾圧が続き、これまでに750人以上の市民が亡くなっている。その苛烈さもあり、ヤンゴン市内では大規模デモが減少したとされる。国軍がとっている制圧策はゲリラに対して行うような対反乱作戦(counter insurgency)に等しく、とても自国民のデモへの対応とは思われない。だが、市民は抗議の意思を示し続けている。とりわけ、民主化後の感覚を強く持っている若年層は、国軍による支配や暴力に屈しない姿勢をとっているとされる。

ASEAN臨時首脳会議が重視したもの

そんななか、4月24日にインドネシアのジャカルタでASEAN臨時首脳会議が開かれた。クーデターに反対する市民を弾圧し殺害している総責任者であるミャンマー国軍のトップ、ミン・アウン・フライン総司令官は背広姿で出席し、事実上ミャンマー政府の代表として遇された。

ASEAN臨時首脳会議に出席したミャンマーのミン・アウン・フライン総司令官
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首脳会議は以下の5項目の内容について合意している。

①市民を標的にした武力行使の即時停止、および関係者全員が自制すること

②国民の利益を最優先として、平和的な解決を目指し関係者全員で建設的な話し合いをもつこと

③ASEAN事務総長の協力により、話し合いのプロセスにASEAN特使を派遣して仲介すること

④ASEAN人道支援局からの人道的支援を受け入れること

⑤ASEAN特使の派遣を受け入れ、関係者全員と面会すること

インドネシアのジョコ・ウィドド大統領はアウン・サン・スーチー氏はじめ、拘束された政治家を即時釈放することを盛り込もうとしたが果たせなかったという。ミャンマー国軍はASEAN特使については明示的に受け入れを表明しており、会談の内容を各国の参加者が語ったところによれば、ミン・アウン・フライン総司令官はその場で暴力停止などの要求には反対しなかったとされる。一見して分かる通り、第一項目にある「自制」の対象は関係者全員となっており、国軍だけでなく争いのすべての当事者を想定しているかたちだ。

市民を武力弾圧しているのは国軍であることを考えれば、後退した立ち位置だと批判する人もいるだろうが、国軍が武力行使している相手が非武装の市民だけでなく、少数民族の武装組織でもあることを考えると、国軍の要求をここで容れることを通じ、ひとまず暴力の停止を目指したということだろう。

秩序は混乱に勝るが市民の弾圧を許してはならない

ASEANの対応をぬるま湯的でクーデターを許容するに近いと非難する声は欧米や日本には少なくないが、ASEAN自体、民主化の優等生とは言えない。ベトナムやカンボジアは自由な国ではないし、シンガポールは豊かで開放的だが民主国家ではない。タイではまさにクーデターが起き、民政移管をせずに軍事政権が長期化している。フィリピンのドゥテルテ大統領は麻薬と汚職撲滅のために「処刑」という過激な方策を取った指導者だ。タイ、フィリピン両国ははたして国家元首の参加を見送っており、インドネシアやマレーシア、シンガポールなど、関与に積極的な各国との温度感の違いが窺える。

だが、各国がミャンマーと異なるのは、秩序が保たれており、軍により自国民が日々殺傷されているというわけではないこと。ASEAN諸国の非難は、クーデターそのものよりも、子どもを含めた死者が積み上がっている状況に向けられている。クーデター後も国軍に軍事支援を行っているロシアでさえ、同様の立場に立っている。

各国の対応の振れ幅は、内戦の本格化を避けるという大義名分で国軍の支配を認める立場から、正当な選挙で選ばれた民主的政権にすぐさま権力を移譲すべきという立場までの幅にある。基本的に、ASEANや日本のアプローチはその二つの中間を行くものだ。

泥沼状態が続くミャンマー

すでに少数民族武装組織の蜂起で国軍の側に犠牲者も出ており、内戦は本格化しているといってよい。内戦がさらに激化することは避けた方がいいし、武装組織に対して国軍だけは武器を使うなというわけにもいかないだろう。広く当事者に武力行使の停止を呼びかけたASEANの態度は正しい。だからといって、国軍による非武装の市民に対する弾圧を同列に扱ってはならない。

中国は表立って行動せず、ASEANによる問題解決を支援しているが、そのように問題の後景へと引くことでかえって影響力を高めている。その裏で、中国はロシアとともにミャンマーへの武器禁輸措置を阻んでいる。

「中国問題」の意味

今回のミャンマー問題を考える上で、中国の存在は外せない。むしろ、日本や米国にとってのミャンマー問題はある意味「中国問題」であるともいえる。それはどういうことだろうか。

そもそも、ミャンマー国内において民主化のプロセスが動き出した背景には、多様なものがあるが、軍事から経済の幅広い分野までを掌握している国軍が、中国の過剰な影響力に対して警戒心を覚えたという点が最も重要である。90年代から2010年ごろまでのミャンマーでは、中国の存在感が圧倒的に大きくなったからだ。

国家主導の様々なインフラプロジェクトに加え、中国の民間事業者が大量に進出したことで、ミャンマー経済は急速に中国化が進んだ。ミャンマー国軍は、国家の統一と秩序を最も重視する統治者であるとともに、自分達の利権の集合体を管理する存在でもある。

他民族、多言語のミャンマーを統治する彼らの発想の根幹には、ナショナリズムがある。中国の影響力の過剰さに対する警戒心こそが、国軍がNLD(国民民主連盟)と和解し、欧米との関係を再構築する動機だったわけである。

中国に対する警戒心は、例えば、中国が主導して進めていた巨大なミッソンダム計画の中止をめぐる動きにも表れていた。移住を強制される住民の反対運動の形式をとりながら、中国を快く思わない軍の一部と民族系の資本勢力の協力があったとも言われている。同時に、中国が一部の少数民族側と通じているという見方もあった。外から断定するのが難しい不確かな情報に基づくとは言え、中国の影響力が高まるにつれ、対中警戒心も高まっていたことは間違いないだろう。

欧米はミャンマー国軍の軟化を受けて、ミャンマーと急接近する。しかし、2017年に大規模なロヒンギャ掃討作戦が行われたことから、西側との関係はふたたび悪化してしまう。ロヒンギャは長年にわたる迫害から逃れ、相当人数が周辺諸国で難民として不便な暮らしを強いられてきた。難民キャンプ育ちの若者の中には、イスラム原理主義に共鳴する者も出てきた。だが、ロヒンギャ全体がそのような思想に共鳴しているわけではないのに、一部が過激化したことで混同がなされ、子どもに至るまでが掃討作戦の対象となり難民化する。スーチー氏がそれに対し正面からの批判を避けたため、国際社会から名誉はく奪の動きにあったことは記憶に新しいだろう。

NLDはその後も国軍と共存し、政権の座に就いていたが、昨年11月の議会選挙では事前予想を覆して改選議席の8割を獲得する。軍政の流れを汲む最大野党は少数の議席確保にとどまった。

軍政下で経済発展を志向したことで、中国の影響力が過大になってしまった。それをバランスするため、西側の影響力を取り入れようとNLDと手を組んだが、国民の支持はますますNLDへと向かった。 勢力バランスが崩れれば、いずれ自らの統治者としての権限も利権も侵される。国軍はこうしたジレンマに直面していたと考えられる。圧力のかけ方によってはシーソーのように中国に振れ戻る可能性も容易に想像できる。

しかし、「中国問題」に目を奪われすぎるあまり、地域の実情が目に入らなくなってしまっては本末転倒である。ミャンマー問題に適切に対処する上でのカギは、「中国問題」の勘所を押さえつつも、地域の目線に立って物事を把握しておくことである。

(シリーズ#2に続く)


#2:ミャンマー国軍は「プロフェッショナルな軍」にあらず 裏切られた自衛隊との友好関係 

【執筆:国際政治学者 三浦瑠麗】