日本は西側のASEAN後援者たるべき

ミャンマー問題はすでに地政学的な問題と化している。一国内にとどまらない影響を考慮しつつ解決を図るべきだ。そこにおいて、日本としては幾つかの原則を打ち立てておかねばならない。

① 非武装の市民に対する武力鎮圧は許されない。

② ミャンマーの破綻国家化は避けるべきであり、内戦当事者による停戦合意が必要だ。

③ 民政移管が必要であり、国軍はクーデター当初の宣言通り、ひとまず文民政権に統治の権限を委譲しなければならない。

④ 民政移管及びその後のプロセスにあたってはNLD(国民民主連盟)ほか民主化勢力が排除されてはならない。

⑤ 適切な時期に正当な選挙が行われるべきである。

これらの原則は理想論ではない。統治の安定が最終的には、人道的な意味においても、最も重要であることを認識し、秩序を重視しながらも民主化に向けたコースに復帰するための諸原則である。

国民への弾圧が続くミャンマー
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表向き、苛烈な対反乱作戦に反対しつつも、中国、ロシアはミャンマー国軍に甘い。彼らは自由民主主義を否定する傾向にある。日本は思惑含みの中国とは異なり、真に民主化と繁栄の両立を目指す立場でASEANの西側における後援者となるべきだろう。

ミャンマー国内が安定し続けるためには、持続的成長が可能な経済運営がセットでなければならない。孤立を深めたミャンマーが中国に傾斜しないようにするためにも、秩序だけでなく公正さを積み上げていくためにも、ソフトランディングした後の経済開発における西側及び日本の影響力を低下させてはならないのである。

日本とミャンマーとのつながり

日本はミャンマーにつながりがあると言われる。確かに日本は1954年以後、ミャンマーと関係を結び、多額のODAを行ってきた。8888運動のような民主化運動弾圧に際しては支援規模を縮小せざるを得ず、細々とした関係が続いたが、2011年の民政移管以後は本格的な支援を行うことができるようになった。2016年3月にアウンサンスーチー氏を事実上のトップとする民主派の政権ができてからは、潜在的な経済的なポテンシャルに着目した幅広い支援や投資が行われてきた。

拘束されたままのアウン・サン・スー・チー氏

5,000万人の人口と、安価で質の高い労働力を有するミャンマーは、ASEANの最後のフロンティアとして日本企業の関心を集めた。イオン、デンソー、キリンなどの日本を代表的する企業の進出がつづき、クーデターの時点では、数千人規模の日本人コミュニティーができていた。

だが、ミャンマーは国としてはまだまだ未成熟で貧しい。ミャンマーに限らないが、実は日本が円借款を多用するのは、それで自分が儲けるためではない。プロジェクトの実現可能性、経済合理性と透明性を相手に求めるための手段として、融資の際の客観的な判断プロセスが有用だからである。これが中国であれば、開発援助が相手国の汚職や腐敗の温床となったところで構わないと考えるだろう。彼らにとっては相手国の社会の成熟に資することよりも、政治的手段としての援助が重要だからである。だが、日本は違う。

また、発展過程においては、いきなり先進国のインフラや技術を持ってきても持続可能性がないこともある。人々の生活水準を上げ、内戦を終わらせて安定した生活や経済発展に希望を抱いて人々に生きてもらうためにも、現実味のある、時にはローテクなところから始める多岐にわたる支援が必要だ。まさに紛争から環境問題に至るまでSDGs(持続可能な開発目標)のような包括的な目標が必要な地域であり、多様な課題が詰まっているところだ。

紛争を終わらせる経済開発

そもそも、日本にとって東南アジアは欧米とは異なる意味で重要な地域であり、かつ、欧米のようなイデオロギー先行の捉え方とは異なる政策を取ってきた経緯がある。地味ではあるものの、足の長い援助を続けていく姿勢は、日本外交の隠れたファインプレーの領域と言ってよい。

東南アジア諸国には、少数民族など分離独立派との内戦を終わらせた成功事例も存在する。フィリピンのミンダナオ紛争の例は大いに参考になるだろう。ミンダナオ島はまだまだ紛争当事者のあいだに火種がくすぶってはいるものの、戦闘の再開よりも経済開発を紛争当事者が選ぶように努力が続けられている。日本からは、JICAもミンダナオ島において紛争再発を避けるために現在進行中で貢献し続けている。

内戦を終わらせるためには、武器を捨てて経済活動に従事することが利益になると紛争当事者が考える必要がある。また、生産や輸送のためのインフラはともすれば攻撃対象となりやすいため、第三者的な存在である外国政府がここに援助を行う意義は大きい。国内当事者が相互不信に陥っている中で、信頼に値する外国政府であると考えられれば、そこに参加する意義が生まれる。日本の援助が1円でも入っている施設は聖域であると見なされ、攻撃の対象から外れる可能性があるからだ。

中国のミャンマーに対する野望の一つには、マラッカ海峡が封鎖された際のバックアップとして、ミャンマー沿岸の海域から陸上でパイプラインを通し、エネルギー輸送を行う方法を確保しておくという地政学的な目的が含まれている。しかし、それとて一筋縄でいくとは限らない。陸上輸送手段は攻撃に脆弱で、内政が安定しない国においては非常にリスクの高い輸送手段だからである。

とにかく重要なのは、中国以外の国が、ミャンマーにおける中国の影響力をバランスする形で経済発展に寄与することである。そのうえで、政治の安定と民主化が両立するかたちで同時進行することが望ましい。

自衛隊とミャンマー国軍

今般、取りざたされた日本とミャンマーとのつながりの中では、自衛隊とミャンマー国軍との友好的な関係も指摘されるところだ。

防衛省とミャンマー国軍との正式な交流は、米国オバマ政権による対ミャンマー政策の転換以後に始まり、防衛大学校に日本政府負担で幹部候補生の留学を受け入れるようになった。今年3月に防衛大学校を卒業した中にもミャンマー国軍の幹部候補生が含まれている。現地で苛烈な対反乱作戦を指揮している幹部らは別として、留学中に西側社会の空気を胸いっぱいに吸い込んだ若者からすれば、これからどうすればよいか途方に暮れていることだろう。あまりに、現在母国で起きていることとのギャップが大きすぎるからだ。

抗議デモに参加中、頭を銃で撃たれて死亡した19歳女性の葬儀

防衛省・自衛隊はミャンマー国軍の取ってきた改革路線を支持しているのであって、軍政時代へのあからさまな復古を許容しているわけでは決してない。むしろ、今回のクーデターやその後の暴力的なデモ弾圧は、自衛隊からすれば最も理解できずなじめない行動だろう。

ミャンマー国軍の行為には各国の軍から非難が集まっている。3月28日付の「ミャンマー国軍による国民殺傷を非難する各国参謀長等による共同声明」には、日本の自衛隊から山崎統幕長が加わった(声明参加国は、米、英、豪、NZ、加、日、韓、独、伊、ギリシャ、デンマーク、オランダ)。声明は、非武装の民間人に対する武力行使を非難し、「プロフェッショナルな軍隊は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する」としている。声明への参加者はすべて民主国家の軍人だが、政治体制を問わず、プロフェッショナルな軍として守るべき規範があると呼び掛けたところが重要な点だ。

「プロフェッショナルな軍」の行動規範

たしかに、政軍関係における最重要事項は、政治体制が民主主義か否かではない。国内で暴力を集中させた存在である軍が、国民の抑圧に回るのではなく、庇護者となるべきだという点にある。もしも、圧倒的な武力を有する軍が国民の敵に回るのだとしたら、そもそも社会契約が成り立たず、暴力によって支配された国家ということになってしまう。

「プロフェッショナルな軍」というのはここでは専門用語で、国防の責任に専念する規律だった組織であることを意味する。軍が十分にプロフェッショナルならば、法を遵守し、政治の決定に従い、安全保障の責務に専念し、それ以外のことに(例えば平和的なデモの鎮圧など)駆り出されそうになっても指導者に諫言するだろう。

中国ではかつて、人民解放軍が天安門広場に集まった群衆に銃を向けたが、成熟した民主国家では、軍が自国民に銃を向けることは仮に暴徒化したデモであっても慎むべきであるとされている。昨年、米国で黒人運動(BLM)が暴徒化した際に、連邦軍を治安出動させようとしたトランプ政権に軍幹部が身を挺して諫言し、思いとどまらせたことは記憶に新しい(軍が反対したのは、国内治安を担う民兵由来の州軍が個別に対応すべき事案だからだ)。

(シリーズ#3へ続く)


#3:国軍は「権利意識を高めたミャンマー人の変化」を見誤った 紛争よりも共生、反動よりも経済発展を

【執筆:国際政治学者 三浦瑠麗】