永田町の暮れの風物詩
この記事の画像(5枚)立憲民主の枝野代表が国民民主ら会派を組んでいる野党に合流を呼び掛けた。数合わせを嫌っていた枝野氏が野党結集にかじを切ったとみられるが、もし一緒になるなら党名も党首も変える、つまり「合流」でなく「新党」でないと駄目だろう。
新党結成は最近の永田町の暮れの風物詩だ。なぜ暮れなのかと言うと、1月1日時点での議員数等に応じて320億円の税金が政党交付金として各政党に配られる。今から25年前にこの制度ができて以来、新党結成は暮れの新しい風物詩となった。
この話はシンプルなようで複雑だ。日本の政治システムは2大政党制を前提にしているので、選挙に勝つにも、国会で質問するにも、2大政党の一員でないと損をする仕組みに25年前に変わった。
「よりを戻してもまた別れる」?
一方で旧民主党のように同じ党の中に違う意見の人がたくさんおり、政権運営の途中に離党したりして政治を混乱させると国民のひんしゅくを買うことになる。
鷹揚な人は、枝野さんも玉木さんも野田さんも小沢さんも、もともとは民主党の人でそんなに考えが違うわけではないのだから、共同政策を少し柔軟にして、まず元のさやに納まればいいじゃないかと言う。
しかし残念ながらかなり多くの人がこれに批判的で、「どうせよりを戻してもまた別れるんだろ」と大変冷やかにこの動きを見ている。
僕は鷹揚な人なので、先日も立憲民主の幹部に「原発政策も本質は違わないんだから、少しは妥協したら?」と勧めたのだが、彼は頑として妥協はしないと言い張った。たぶん、しないのではなく政治的にできないのだろう。
トップは新しい人で
確かに小池百合子さんから排除された一昨年の選挙の時、「枝野立て」の声が上がり、立憲の孤高の姿勢にシビれた有権者はいた。しかし立憲の孤高主義も世論調査を見ると国民にはだんだん飽きられている。今は妥協の時、という事実を立憲の人々は受け入れるべきだ。
しかし妥協して玉虫色の政策で新党を作っても国民は納得しない。だから1つの解決策は旧民主党政権の中枢を担った枝野さん、福山さん、安住さんらがいつまでもトップにいたらダメだ。彼らは表に出ない方がいい。玉木さんはギリギリセーフ。
山本太郎さんの人気の理由の1つは既成政党の人ではない、ということだ。それは世界的な傾向でもある。山本さんをトップにかつぐのはやめといた方がいいと思うが、トップは新しい人でないとダメだ。
攻め込む隙はある
旧民主党の皆さん、国民はあなた方が思っているよりあなた方を許してませんよ。ただちょっと安心していいのは、だからと言って自民党をものすごく好きかというと、そんなことも全然ないのです。攻め込む隙はある。それをこの7年間うまくできていないだけだ。どうしたら国民に許してもらえるかを考えるのが、合流とか新党結成より先でしょうね。