クーデターに対する抗議デモが続くミャンマー。デモを牽引しているのは「ジェネレーションZ」と呼ばれる1990年代半ば以降に生まれた若い世代の人々だ。軍政下にあった前世代よりも比較的自由な環境で育ってきた24歳以下の若者たちは、時にユニークなアイデアを交えて平和的なデモを行ってきた。しかし2月末以降、警察や軍が本格的に武力行使を始めると状況は一変し、デモの前線に立つ若者たちが銃撃や暴行などで次々と命を落としている。

日本大使館前に集まった市民ら(ヤンゴン市内)
日本大使館前に集まった市民ら(ヤンゴン市内)
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デモを牽引するZ世代

「軍事クーデターを認めない!」
「軍事クーデターを拒否せよ!」

2021年2月24日、FNNがヤンゴン市内の日本大使館前を訪れると、学生ら若い世代が日本語でクーデターに対する抗議の声を上げていた。その中心となっていたのは「ジェネレーションZ」、Z世代の若者たちだ。

ウェディングドレスをまとってデモに参加したり、楽器を演奏して抗議者を励ましたり…Z世代の若者たちはユニークな抗議方法を次々と生み出し、クーデターに対する抗議デモを牽引してきた。また、外国語が堪能な若者たちは各国の大使館や国連事務所前で、英語や日本語、中国語などその国の言葉を駆使して助けを求めてきた。実権を掌握した国軍をけん制するため国外から圧力を呼び込む戦略だ。

日本大使館前のデモに参加した日本語教師のレイさん(23)もその一人だ。

「日本政府に私達の声を伝えたいと思ってきました。民主主義のために最後まで戦うと確信しています。絶対に勝つと信じています。」

デモに参加した日本語教師・レイさん
デモに参加した日本語教師・レイさん

強い信念の一方で彼らの頭には当局による弾圧の恐怖もよぎる。参加者の一人(大学生男性・22歳)は匿名で「鉄砲のない国民に発砲する軍が私達は怖い。それでも自分自身で、自分の国ミャンマーを助けたい」とFNNに語った。

ミャンマーでは1988年と2007年にも軍事政権に対して市民たちが正面から立ち向かったが武力で鎮圧され、多くの市民が犠牲となった歴史がある。新世代の若者たちは親世代から国軍の恐ろしさを伝えられて育った。そこで今回のデモで若者たちは、国軍や警察との衝突を避けながら抗議を続ける平和的な方法を模索してきた。さらにスマホ世代の彼らはデモの様子を撮影し、SNSを通じてリアルタイムで世界中に現状を訴えてきた。

激しい弾圧で犠牲となる若者たち

クーデターへの抗議デモが始まった当初、国軍側は本格的な武力行使を控えていた。しかし2月末を境に強硬姿勢に転じ、今ではデモを強制排除するために実弾を使用することも厭わなくなっている。犠牲となっているのはデモの前線で抗議する若者たちだ。 

射殺された大学生ニ・ニ・オン・テッ・ナイさん
射殺された大学生ニ・ニ・オン・テッ・ナイさん

西ヤンゴン大学の学生だった23歳のニ・ニ・オン・テッ・ナイさんは2月28日、抗議デモの中心地レーダン交差点から数百メートル離れた場所で銃撃された。3月2日に行われたニ・ニさんの葬儀には数千人の市民が参加し、抵抗の印である三本指を掲げた。この日は警察や軍によるデモ弾圧で少なくとも18人が死亡した。

第二の都市マンダレーでは3月3日、デモに参加していた19歳の女性チェ・センさんが首を撃たれて死亡した。歌とダンスが好きなごく普通の若い女性の死に、市民の怒りが高まった。さらに警察はチェさんの遺体を墓から掘り起こして検視を行い、撃たれた傷や摘出された銃弾が警察のものとは異なるとして「女性の死と警察は無関係」と主張した。このため市民の反発はさらに拡大した。ミャンマーではこの日、3月3日だけで少なくとも30人以上が射殺された。

銃撃で死亡したチェ・センさん(19)
銃撃で死亡したチェ・センさん(19)

ミャンマーでは非武装の市民が次々と命を落としていて、ミャンマーの人権状況を調査する国連の特別報告者は3月11日の国連人権理事会で、これまでに少なくとも70人が殺害されたと述べた。その半数以上が25歳以下の若者だという。Z世代を中心にミャンマーの人々は今も命をかけて、国軍に対する抗議活動に参加している。

【執筆:FNNバンコク支局長 佐々木亮】

佐々木亮
佐々木亮

物事を一方的に見るのではなく、必ず立ち止まり、多角的な視点で取材をする。
どちらが正しい、といった先入観を一度捨ててから取材に当たる。
海外で起きている分かりにくい事象を、映像で「分かりやすく面白く」伝える。
紛争等の危険地域でも諦めず、状況を分析し、可能な限り前線で取材する。
フジテレビ 報道センター所属 元FNNバンコク支局長。政治部、外信部を経て2011年よりカイロ支局長。 中東地域を中心に、リビア・シリア内戦の前線やガザ紛争、中東の民主化運動「アラブの春」などを取材。 夕方ニュースのプログラムディレクターを経て、東南アジア担当記者に。