東日本大震災から10年。
岩手・釜石市。震災で大きな被害を受けた。

釜石市の復興を支えてきたのが、福岡・北九州市の職員たちだった。
ともに製鉄の街として栄えたことをきっかけに始まった復興支援。鉄の絆が紡いだ釜石市の今を取材した。

釜石市の再建に尽力する北九州市の職員

製鉄の街として知られる岩手・釜石市。あの日、街は津波にのみ込まれた。
被災した住宅は3,656軒。888人が亡くなり、152人の行方はわからないまま。

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あれから10年。
市内の中心部に立ち並ぶ真新しい建物。
釜石市によると復興事業は90%以上が完成し、街は日常を取り戻したようにみえる。

1,500km以上離れた釜石市の復興を支えた1人、北九州市の職員・原田一臣さん。

原田さんは当時、人手不足に陥っていた釜石市に派遣され、復興事業に携わっていた。
担当は市内の沿岸部にある小白浜地区。防潮堤の手前の60世帯が津波の被害にあっていた。

自宅を失い、仮設住宅での生活を余儀なくされた被災者。
原田さんは、被災者が新たに暮らす高台の住宅地を作るために奔走していたが、一筋縄ではいかず、計画の遅れに苛立つ被災者から不満をぶつけられることもあった。

仮設住宅の住民(当時):
なんでこんなに遅れて、みんな不思議に思ってる。3年もかかって何も進まない

北九州市職員・原田一臣さん:
すいません

北九州市職員・原田一臣さん:
地元の方と話すときに、東北の方言がちょっとわからなかったので、それでコミュニケーションを取るのが難しいなと言うのは一番印象にある

被災者に一日も早く日常を取り戻しもらいたい。見知らぬ土地で連日、足を棒にしながら働いた原田さん。

住民との信頼でできた"絆"

熱心なその姿に、地元の人たちも次第に信頼を寄せるようになった。

仮設住宅の住民(当時):
まだ独身だから、嫁さんを世話してやっかなと。仕事が早いからさ、だから本当に九州に帰したくない

北九州市職員・原田一臣さん:
全くそんなことはないです。色々お話しを聞いて頂いて、本当に助かっています

あれから7年。
小白浜地区の集落には、いま高さ14メートルを超える巨大な防潮堤が聳える。

地元住民・木村健一さん:
あそこに小さい小屋みたいなのがあるんだけど、あそこからまっすぐに小さい道路があった

津波に自宅を奪われた木村健一さん。被災当時は勤務中で、自宅にいた妻と娘も避難して無事だったが、30年近く住み続けたマイホームを失った。

地元住民・木村健一さん:
うちの家はこっちだったんだけど、向こうの方に2階だけ残っていました。2階がすぽっとありました

ーーそのときはどういう気持ちでした?

地元住民・木村健一さん:
亡くなった人とか、家どころではないって人たちからいっぱい話を聞いていたから、家はまた建てれば済むかなと、そう思っていました

木村さんは、震災から6年以上がたった2017年11月、新たな土地で念願の自宅再建を果たした。いまは妻の千賀子さんと2人で暮らしている。

ーー仮設住宅で寝るのと違う?

妻・千賀子さん:
安心が違う。飛び起きて、すぐに服を着てというのが半分にはなりました。海の近くじゃないから

新しい自宅が建つのは、原田さんが担当した高台の住宅地。
小白浜地区では、被災した20世帯以上がこうした高台で自宅を再建した。
被災地に灯る新たな明かり。
木村さん夫婦にとって、子どもや孫が集う心安らぐ場所となった。

妻・千賀子さん:
おかげ様で建てることができてよかった

地元住民・木村健一さん:
人からの恩を忘れてはだめだと思う

釜石市には、いまも北九州市から3人の職員が派遣されている。

あれから10年…事業完了に目処

10年続いた復興支援だが、事業の完了に目処がたち、2021年3月末で終わることになっている。

北九州市から派遣・明松誠一郎さん:
こうやって、できた街を見ると少しは役に立てたのかなと…。やりきったなって思いもありますし、寂しい気持ちもあります

この10年間で北九州市から派遣された職員の数は、震災直後も含めるとのべ450人以上。釜石の復興に大きく貢献した。

釜石市 復興推進本部・佐藤善広係長:
長期に渡って一緒に仕事をしてきたので寂しい。復興事業が無事に進んだのも、派遣職員の方々がいたおかげだと心から感謝

そして、現地で奮闘を重ねた原田さんも、また得がたい経験をした。

北九州市職員・原田一臣さん:
これ(当時の写真)、釜石市の職員とたまに電話で話したりもするけど、そんなときとか部屋の片隅に置いてるので見たりする。(写真を指差し)いろいろなところから集まった人間でひとつのことをやっていくという仕事は、強い繋がりも生まれた。大変な中でも一緒の目標に向かってやっていけた

自ら希望して釜石に2回赴任し、復興を支えた原田さん。合わせて3年に及んだ、釜石での暮らしから改めて感じたことがあるという。

北九州市職員・原田一臣さん:
自分がいま、普通に暮らせているこの日常の幸せに感謝して、一日一日大事に一生懸命生きていかなければいけないと感じるようになった。10年は10年として、私も、一緒に働いていた同僚も、絶対に釜石とか東北とか震災のことは忘れませんし、10年を迎えますけど、今後もよろしくお願いしますと釜石や東北の方に伝えたい

東日本大震災から10年。
ともに製鉄の街として栄えた北九州と釜石の鉄の絆は固く結ばれている。

(テレビ西日本)