東日本大震災から、まもなく10年。
原発事故の影響で、埼玉・加須市に集団避難した福島・双葉町の町民。2022年、一部区域で居住が可能になる。
「故郷に戻りたくても戻れない」避難者の胸の内を取材した。

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原発事故の影響で集団避難…双葉町民の今

刻まれた「希望」の文字。2021年3月6日、震災を風化させないために設置された、モニュメントの除幕式が埼玉・加須市で行われた。

原発から10キロ圏内にある福島・双葉町。「発展豊かな未来」とうたい文句が掲げられたこの町は、原発事故により深刻な被害を受けた。

地震発生から8日後、町民約1200人は町から200キロ離れた埼玉県に避難。
その後、廃校となっていた加須市の旧騎西高校に移った。現在でも、加須市内では約400人(3月5日時点)が生活をしている。

10年の月日で新たな地域に根付く生活

双葉町から避難してきた藤田博司さん(81歳)、ヨネ子さん(80歳)の夫婦。
双葉町では主に和牛の飼育をしていたが、現在は白菜やブロッコリーなど野菜を作り、地元の直売所で売っている。

博司さんは2020年3月まで、双葉町埼玉自治会の会長を務め、畑仕事はヨネ子さんが切り盛りしている。

藤田博司さん(81):
出しゃばったことすると(妻に)怒られる

藤田ヨネ子さん(80):
怒らないよ。大事な旦那さんだもの

避難して10年。地域にもすっかり溶け込んだ。

近所の人:
しばらく来ないと「あれどうしたのかな」って…

藤田ヨネ子さん(80):
何日も来ないと「あれ具合悪いのかな」って…

「戻る」「戻らない」2つの選択

そんな藤田さん夫婦や双葉町民にとって、貴重な交流の場となってきた場所が「NPO法人 加須ふれあいセンター」。

避難してきたばかりの双葉町の人々に温かい食事を提供しようと、震災後、加須市民が始めた。

支援続ける加須市民 富澤トシ子さん:
あったかいお味噌汁をおわんで飲んで、お茶わんでご飯を食べたいという思いの、おばあちゃんたちが多かったの。ふるさとの味を思い出してほしいなって

しかし資金面などの理由から、センターは3月末に閉鎖されることになった。

2022年春、一部区域で居住が可能になる双葉町。

復興庁がまとめた調査によると、双葉町民の約6割(62.1%)が「戻らない」と決めていると答え、「戻りたい」と答えた人は約1割(10.8%)にとどまる。

藤田ヨネ子さん(80):
戻れる条件にならないと戻れない。まさかこんなことになるとは思わなかったから。しょうがないよね。現実を受け止めなきゃいけないし、だからあとは前向きにやっていくしかないかな

藤田博司さん(81):
夢の中に双葉のことが出てくる。どういうことをすれば戻れるのか。先駆者になって、自分の住みたい町をつくるっていう年齢ではない

藤田さん夫婦は、「不安を抱えつつも、いつかは故郷に戻りたい」と話している。

一方、「双葉町に戻らない」と答えた約6割の町民に、復興庁が理由を聞いたところ、「避難先で既に自宅を購入した」「医療環境に不安がある」などの声が多くあった。

改めて、10年という月日の重さを感じる。

(「Live News days」3月9日放送分より)