東日本大震災の影響を受けて、福島県・Jヴィレッジでサッカーの技術を磨くことができなかった少年。
あれから10年…少年はプロサッカー選手になり、あの時描いた夢を実現しようとしている。
原発事故でJヴィレッジが廃炉作業の基地に
いわきFC・山口大輝選手:
今年JFL優勝して、いわき市・東北を盛り上げる力になっていけたら
2021年1月に開かれた「いわきFC」新体制発表会。新たに加わった8人の選手が紹介された。
JFAアカデミー福島出身・宮本英治選手:
JFAアカデミー福島出身ということもあって、福島にすごく縁を感じています。皆さんと1つでも多くの勝利を分かち合えるように頑張ります! よろしくお願いします

世界に通用する選手を育成するため、Jヴィレッジを拠点に開設された「JFAアカデミー福島」。宮本選手も2011年4月にアカデミーへ入り、広野中学校に入学する予定だった。

しかし、直前の3月に東日本大震災・福島第一原発事故が発生。

JFAアカデミー福島は、静岡県に拠点を移したため、宮本選手は、静岡県でサッカーを学ぶことになった。そしてJヴィレッジは、廃炉作業の前線基地となり、ピッチは駐車場として使われ、寮も建設された。

JFAアカデミー福島出身・宮本英治選手:
ニュースだったり、映像だったりで(Jヴィレッジを)見る機会があって。複雑ですよね、何というか…しょうがないんですけど。そこ(Jヴィレッジ)で自分たちが早く戻って、早くプレーできたらいいなとずっと思っていました

入学するはずだった中学校からの贈り物は…
宮本選手には、忘れられない思い出と、今も大事にしているものがある。
JFAアカデミー福島出身・宮本英治選手:
筆箱です
入学するはずだった広野中学校から送られてきた。

JFAアカデミー福島出身・宮本英治選手:
大変な立場の広野町の先生方から物資が届いたのは、すごく感動したのを覚えていて。中学の時からずっと使っています。すごく自分でも思い入れがあって
拠点が静岡へ移り、アカデミー生の間には、福島へのある思いが芽生えたという。
JFAアカデミー福島出身・宮本英治選手:
アカデミー全体で「福島に恩返ししよう」とか。(福島を)意識しなかった時はなかった

アカデミーで6年間、切磋琢磨した宮本選手。プロを目指して進んだ国士館大学でも、サッカーに打ち込んだ。
Jヴィレッジの全面再開から間もなく2年。成長した宮本選手は、いわきFCと契約し、プロ選手となった。

先輩から受け継いだ背番号と“思い”
選手を見つめる、いわきFC・平澤俊輔さん。
いわきFC・平澤俊輔さん:
引退はしたけど、目標は変わってないですし、同じ目標を持ってますので。共にチームのために戦っていきたいなという思いでいます

主将としてチームを引っ張ってきた平澤さんは2020年、現役を引退。2021年からは、スタッフとしてチームを支えている。
平澤さんもJFAアカデミー福島の出身で、後輩に思いを託した。
いわきFC・平澤俊輔さん:
(宮本選手も福島に)特別な思いを持って入ってきているとは思うので。そういった思いをプレーに表してもらえれば、僕としてもすごくうれしいので、そういった所は期待しています
宮本選手の背番号は、平澤さんが付けていた「6」。“思い”と共に受け継いだ。

JFAアカデミー福島出身・宮本英治選手:
一緒にいわき・福島県を盛り上げていけること、すごく楽しみです。平澤さんに負けないくらい活躍して、自分の番号にしたいと思います
震災をきっかけに抱いた思いを胸に、努力を重ねてきたサッカー少年は10年後、プロ選手となった。

「復興のシンボルになって福島に恩返しがしたい」。JFLからJ3へ…、そしてさらに上のステージへ。あの日の夢に向かって、ゴールを目指す。

(福島テレビ)