コロナの感染拡大が直撃している街の一つが銀座だ。中国人“爆買い”観光客をはじめとするインバウンド消滅に緊急事態宣言による客足の激減が加わり、さらに議員の“銀座飲み歩き”問題で街のイメージまで悪化した。
こうした中銀座を救おうと1人立ち上がったのが、銀座生まれの宮本亞門さんと和菓子屋三代目の若旦那だ。ツイッターの投稿から始まり、著名人を巻き込むことになった取り組みを取材した。
どら焼き目当ての客足が絶えなかった店が
「この1年なんかあっという間だったんですけど、やっぱり銀座の人たちの声を聞くと、厳しい声がたくさんあります」
こう語るのは1922年以来銀座に店を構える老舗和菓子屋「木挽町よしや」の三代目斉藤大地さんだ。「よしや」は歌舞伎座の路地裏にありながら、朝から焼き上げるどら焼き目当てにコロナ前は客足が絶えなかった。

「去年の4月ごろから売り上げが下がって9割減までいきましたね。その後7割くらいまで戻ったんですけど、去年の暮れから年賀会のキャンセルなどで企業のお客さんが減って、街を歩く方も少ないので個人客も減っています」
コロナ前の銀座通りは中国からの観光客でごった返していた。しかしいまはすっかり様変わりし、緊急事態宣言以降は昼こそ買い物客がいるものの夜の銀座は閑散としている。
「宴会なくなり座敷は夜ほとんど使ってない」
特に飲食店は緊急事態宣言が発令されて以降“壊滅状態”だという。創業1968年の居酒屋「三州屋」の二代目、岡田孝さんはこう語る。
「いま売り上げは3割、4割ぐらいですかね。去年の10月ごろはお客さんが戻ってきたんですけど、今年になって半分以下になっています。緊急事態宣言になってから宴会がなくなったので2階の座敷は夜ほとんど使ってないですね」

さらに飲食店では昼間のランチにも影響が広がっているという。
「これまで11時半開店だったのを1時間早めました。土曜日は周りのお店がやっているので買い物のお客様が結構いらっしゃいますが、平日は会社がランチの外出を禁止するところも多いので、自宅からお弁当を持ってくる人がけっこういるみたいで厳しいですね。これからはテイクアウトやデリバリーにも力を入れていくつもりです」
「これ使えるかな」物々交換をSNSで発信
銀座では老舗の店舗も閉店を余儀なくされ、「よしや」の斉藤さんは何かできないかと考えていた。そこで思いついたのが銀座で昔からある「物々交換」の活用だ。
「ここ東銀座は銀座といっても下町文化みたいなものがあって、うちのどら焼きをあげて代わりに野菜をもらうとか物々交換が頻繁にあるんです。あるとき洋食屋さんにカツサンドをお持ち頂いたことがあって、それを自分のSNSに投稿したところ結構反響があって、『あれ?これ使えるかな』と思ったのがきっかけです」
【物々交換プロジェクト】
— 【公式】木挽町よしや👨🍳 (@kobikicho_y) April 2, 2020
本日よしやのどら焼きを1名様に差し上げます。
お渡しの際、御社・貴店で扱っている商品と交換させて頂き その商品をTwitterで紹介させて下さい。
助け合いの輪が大きくなりますようにまずは行動してみます。
※詳しくは下記をご覧下さい。#小さな店に出来る事 #拡散希望 pic.twitter.com/RVNkvfJvPN
そこで斉藤さんは「もしかしたら銀座の街の皆さんと物々交換して、僕がSNSで拡散すれば足を運んでもらうきっかけになるんじゃないか」と思い、「もの繋ぎプロジェクト」としてSNSで物々交換の発信を始めた。それが銀座界隈で話題になり「うちの商品と交換しよう」という店が増え、フォロワーも徐々に増えていったという。
東京タワーや銀座松屋も物々交換に参加
「投稿を見ている方たちは『どら焼きが次は何になるのかな』と興味があったんじゃないかと思います。物々交換の相手は僕が個別にお誘いするか、向こうから連絡が来た方のみとしました。中には銀座以外のお店からの問い合わせもあって、東京タワーさんから連絡が来たときはびっくりしたのですが喜んで入ってもらいました」(斉藤さん)

この「もの繋ぎプロジェクト」には銀座の和菓子や飲食店だけでなく、服飾専門店やホテルなど個人店から企業まで様々な業種が参加した。こうして「もの繋ぎプロジェクト」は百貨店の銀座松屋で物々交換された商品の展示会を開いたり、ユニクロがプロジェクトのオリジナルTシャツを販売するなど、SNSに留まらない広がりをみせた。
銀座生まれの宮本亞門さん「本気でやらねば」
そしてもの繋ぎ参加店舗・企業が100に達し、斉藤さんもそろそろプロジェクトは終了かと思った頃、協力を申し出たのが銀座で生まれ育った演出家・宮本亞門さんだった。
「僕が子どもの頃はいつもお袋と銀座の街を歩きながら、お店の女将に『どうなの景気は?』って聞きながらお店に上がり込んだりする暖かい下町だったんです。一方で銀座は歴史がある街で、デベロッパーが中心になって開発する街ではないので、なかなか横に繋がりにくいと思っていました。そんな中コロナがあって『誰かピンチをチャンスに変えようとしている人いないの?』と話をしていたら、『どら焼き屋の息子さんが頑張っているみたいですよ』と聞いて」

斉藤さんに会うと「ぜひ亜門さんに101番目になってほしい」と強く言われ、「銀座のことを何かしたいと思っていた」宮本亞門さんは心が動いた。
「銀座の皆さんは辛坊強いし、いい意味での誇りがあるのでもうダメだとは言わないです。ただやはり必死に頑張っていた小さなお店が消えていく話を聞いて、どんどん胸が痛くなって僕も本気でやらなければと思いました」
「ひと繋ぎ」で著名人も銀座の魅力を発信
宮本亞門さんはもの繋ぎの次はひと繋ぎだと、銀座を愛する多彩な文化人や著名人らに声をかけSNSを活用して銀座の魅力を発信した。
「著名な人たちも一緒に賛同してもらうことで、まずは注目をしてもらう。そして銀座の人たちにしてみれば『こんなに銀座って皆さんに愛されていた街だったんだ。もう少し頑張ろう』となればいいなと思いました」

また斉藤さんも銀座界隈の個人店や企業に声をかけ、「ひと繋ぎプロジェクト」に参加をお願いした。その一人が呉服屋「銀座ひときわ圓蔵」の店主早坂ワカナさんだった。
早坂さんは参加した理由をこう語る。
「斉藤さんとは町会が一緒なのでいろんな町会のイベントに声かけ頂くのですが、今回もどうですか?と言われて。これまでSNSはお店であまり使っていなかったのですが、内容を読んだらすごく素晴らしくて、銀座で商いをしていて断る理由がないなと思ってすぐにやりますとお話させて頂きました」

早坂さんは埼玉にある実家の呉服屋で修行したのち、2009年に銀座にお店を出した。お店のある東銀座の印象を早坂さんは「下町のイメージですごく気に入っています」という。
「ただコロナで着物を着て出かける場所が全然無くなってしまって、商売はちょっと先が見えない状態ですね。今まではお客様がうちを選んで来てくださる商売をずっとしてきましたが、これからはこうしてSNSを使った発信もしていかないといけないなと思います」
若い世代がポストコロナの銀座を創造する
宮本亞門さんはこう語る。
「やはり『この時期があったから我々はもっと面白くなったね』、『銀座の原点を思い出したから次に進んでいけたね』というようになってほしいと思います。今回のようにどんどん若い次の世代が繋がって銀座のためにアイディアを出して活性化してもらう。そのために僕が焚きつけているって感じです」

もの繋ぎ、ひと繋ぎを通して斉藤さんは「銀座をコロナに勝てるような街にしたい」と考える。洗練された文化を求めて人が集まる東京・銀座。個人店から大企業まで力を合わせてコロナを乗り越えたとき、どんな街に変貌するのか楽しみだ。
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】