新型コロナ”国内初確認”から1年

新型コロナウイルスが日本で初めて確認されたのは、2020年1月15日午後8時45分頃、中国・武漢から帰国した神奈川県に住む30代の男性。

厚生労働省では確認の直後から対応に追われ、発表は翌16日だった。

初確認から1年。発生当初から厚労省の医系技監として対応を指揮した鈴木康裕氏は、最初の感染者が確認されたときは、「これほどの大きな騒ぎになるとは思っていなかった」と当時を振り返った。

厚労省 鈴木康裕前医務技監
厚労省 鈴木康裕前医務技監
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「これほどの大きな騒ぎになるとは…」

--最初に国内で感染者が出たとき、どのようにお感じになりましたか。

年末に中国でそういう疾患があるということがわかって、1月15日だったと思いますけれども、ただそのときは中国国籍の人で日本に住んでおられて、中国に帰られて感染して日本に帰ってきたっていうことだったと思うので、そういう意味では日本人の患者ではないということでましたけれどもついに、日本に入ってきたなということになりました。

ただ、そのとき私の記憶ではまだヒトヒト感染はないというふうに、WHOも中国も言っていたので、もちろん年間にかなりの数の新しい感染症が報告されているんですが大部分は流行せずに終わるんですね、だからそういうことを含めて注意はしなきゃいけないと思っていましたけども、これほどの大きな騒ぎにはなるとは思っていませんでした

--当時厚労省でも医系のトップとして先頭に立って対応にあたられ、未知のウイルスと闘い、今振り返ると、どういう日々だった?

やっぱり一番私以外にも関わった人間みんな思っていたと思いますけれども、不確実性の中でどういう意思決定をするかっていうところが最も困難なところだったと思いますね。

特にこのウイルスが、例えば季節性インフルエンザと何が一番違うかというと、季節性インフルエンザはごほん、ごほんとといってから人に感染させますね。だから感染源がだいたいわかるそう人に近寄らなければいいんですけど、これは潜伏期に感染性が最大になるので、ということは元気でピンピンしている人が最もうつしやすいということですから、そういう意味では非常に人から人への感染を防ぎにくいですよね。

それからもう一つある意味で賢いウイルスなのかもしれませんが、若い人はかかってもほとんど症状がない、でもその人たちが高齢者や病気を持っておられる方にかかるとそういう人たちが重症化してしまう、ということなので広がりと重症化がちょっと違う側面になって、そういうところもちょっとやりにくいと思いました。

ダイヤモンド・プリンセス号で「国家的危機」

--ここまで広がるというのはやっぱり想像もつかなかったという印象?

我々もっとも、ある意味でショックを受けたのが、ダイヤモンド・プリンセス号っていうクルーズ船が横浜に着いた。かなりの人がプラスだったので、これはやはり、ただことではない。非常に感染性がやっぱり強いということがわかりました。

ダイヤモンド・プリンス 2020年2月
ダイヤモンド・プリンス 2020年2月

--厚労省の中でもダイヤモンド・プリンセス号で陽性者が何人か出たということで、これまでと認識が変わってきた?

あれは2月冒頭でしたけど、あれに出合って初めて我々これは国家的危機だなと思いましたね。もし、狭い船の上で、これだけの患者さんが出るっていうことになるとすると、一旦入ってきだすと、ものすごいスピードで広がる可能性がありますから、そういう意味では、まさに我々にとって目を覚まさせられた体験だったと思います。

ダイヤモンド・プリンス号感染者への対応 2020年2月
ダイヤモンド・プリンス号感染者への対応 2020年2月

--一方でダイヤモンド・プリンセスっていうのは船長も外国の方で、船も外国、横浜に停泊していたということで、日本の対応を評価されるべきところもあったんではないか?

確かにおっしゃったように、船の船籍というんですか登録されているのはイギリス、運営されていたのはアメリカ、たまたま日本に寄港したってことですけども、外国人の方の全ての医療もう搬送も日本政府が責任を持ちました。

これはもう人道的に当然だと思いますけれども、ただもしこれがルールということにされるとなると、あの誰か船の上で具合が悪いような船っていうこと寄港を拒否する国はほとんどだと思うんですよね。

私は国際的なルールとして登録をした国と運営をした国とたまたま寄った国がどういう責任分担するかってのはやっぱり国際ルールとしてちゃんと定めないとダメだと思いますね。

PCR検査能力を強化すべきだった

PCR検査風景
PCR検査風景

--PCR検査がなかなか拡充されない、足りない日々が続き、アビガンについても厚労省が批判・指摘されるようなこともありましたけれども、その当時、今から振り返ると?

PCR検査についてはやはり必要数に比べてキャパシティが圧倒的に足りなかったっていう事実だと思うんですね。
2009年で新型インフルエンザがありましたけど、そのときの経験を踏まえた反省文の中でもやはりPCR能力は強化すべきだというふうに10年以上前書いてあった。そういう意味では我々今からの反省点としたら、この10年間の間にきちっと拡大をしておくべきだったなと思います。

ただしPCR検査も絶対ではないっていうことをぜひ、私は皆さんがたにも認識をしていただきたいと思いますけれども、見逃しもありますし、本来は陽性でない人を陽性と判断してしまうこともあるので、そういう意味ではPCR検査を絶対視をしてそれだけを判断基準にすることの危険性っていうのもやっぱりある程度考えないといけないと思います。

ただもちろんこれは非常に有効な診断のツールであることは間違いないです。

それからアビガンっていう治療薬についてですけれども、これだけ感染が広がってくると、何かこれをコントロールできる治療薬はないのかと思うのは、私は当然だと思うんですね。

ただしアビガンの場合には新型インフルエンザの薬としては承認されましたけれども、あの再奇形性という次の世代に奇形が生まれてしまうかもしれない。というリスクがやっぱりあるので効果とそれから副作用をどういうふうにきちっと科学的にバランスさせるかっていうところが大事だと思いますね。

ですからいろいろな場面では官邸側の意向と厚生労働省が対立してたような論調もありますけど私はそういうことよりむしろ健全な着地点を見つける論議だったと思いますね。

当然ながら進めていくという意見もあるし、こういう点を注意すべきという、じゃあ具体的にどうしたらいいのかってやっぱり話し合いながら決めるっていうのが、まっとうな社会だと思います。

PCR検査風景
PCR検査風景

日本の医療制度のキャパを超えた

--8月までの在任中、今も顧問として携わられる中、在籍中から一番大変だったことは?

私の見方だと日本という国の医療制度が持っているキャパシティをオーバーフローしてしまったっていうとこが一番大変だったと思うんですね。

あの例えば、保健所ものすごく忙しいって大変だったんですけれども、これはやっぱり感染症が減っていく中で、保健所の人数も、箇所数も減ってきて、そこに保健所が対応しなきゃいけないものすごく大きな感染症がきたところで、やっぱり負荷がとても受け止めきれないほどになってしまった。

それから、病床でも一部そういうところがあったとおもいますね、病床は幸い完全な医療崩壊というとこまでいかなかった。そういう意味では、通常持っているキャパシティを凌駕してしまうだけの負荷がかかってしまったっていうところがやはり皆さんがたにもご心配をおかけし、私は8月までの段階ではそれなりに日本はしのいだと思いますけれども、危ない場面も結構あったかなと。

--4月に続いてまた緊急事態宣言が出される、現在の状況については?

今は冬なので、当然ですけれども温度が低くて、乾燥している。ということになると当然ですけれどもウイルスが飛びやすくなるし、ウイルスが落ちても生き延びる力が長いんですね。そういう意味では非常にウイルスにとっても繁殖しやすい環境だし、それから我々人間にとっても環境は大事だとわかっていても、ここで窓を開けたらものすごく寒いですから。そういう意味ではなかなか換気もしにくいということになると、あの環境としては割と感染が広がりやすいってことがあると思いますね。

これでもうほぼ1年ですから、国民の方々の間にやはりある意味で言う慣れというか、対策疲れというか、そういう面も一部出てきてる可能性があると思うんですね。そういう意味で、なかなか今難しい段階であるのかなという気がします

鈴木康裕前医務技監
鈴木康裕前医務技監

弱毒化して今後ただの”コロナ風邪”に?

--コロナっていうのが今流行っているコロナはこのまま消滅することはなくて、やはり将来的には共存していくことに?

それを考える時に一つ考えた方がいいと私思ってるのはスペイン風邪ですね。

ちょうど100年ぐらい前、第一世界大戦の時に流行りましたけれども、あれもう全世界で当時の人口で4000万人ぐらい亡くなったんですね。あのスペイン風邪も3年で実は弱毒化して普通の季節性インフルエンザになったんです。

これはほとんどのウイルス学者がそうおっしゃってますけれども、ウイルスっていうのは自分1人で生きていけないので、動物とか人間に寄生していきるわけですけれども彼らの生存戦略何かといったら、寄生した先をやっぱり長生きさせることなんですね。

早く寄生先が死んだら自分も死んじゃいますから、ということからすると、彼らの自然淘汰のためにとるべき戦略はやっぱり弱毒化して、感染性はして一般の風邪になるっていうことだと思う。私はおっしゃるようにこの新型コロナウイルスがなくなることはないと思いますけれど、コロナ風邪の一つになるということは十分あると思います

ウイルスイメージ
ウイルスイメージ

--どのぐらい後にというのはなかなか難しい?

わからないですけれど、イギリスや南アフリカで今起こっている変異ウイルス、これは非常に感染性が増していて、ある統計によると50%ぐらい感染性が高いと言われていますけれども、今私が見た限りでは、病原性が増しているという報告が一つもないので、もしかするとこれがその弱毒化への一歩という可能性もあると思う

5年、10年で次のパンデミックに備え

--弱毒化しているウイルスと一緒に付き合っていかなければならないとすると、私達はどういう生活を心がける。付き合っていくためにどうしていったらいいのか?

実は季節性インフルエンザですけれども、2020年の流行はだいたい3分の1以下ですね、例年の。

かかった人も3分の1、亡くなったかたも3分の1、実はそれだけじゃなくて風疹とか麻疹とか、子どもさんの病気とかも含めて減っている。そういう意味ではやっぱりマスクをする。手をよく消毒する。それから、なるべく3密を避ける。これ新型コロナの対策であると同時に、空気や人との接触で広がってしまう病気の予防にもなる。この生活様式っていうのは、私はある程度継続していくべきかなと思います。

もう一つは、2000年以降を振り返ると、SARS、 MERSとか新型インフルエンザも含めて、4年か5年に1回はでも世界的パンデミック起こっていますね。

ということは今回の新型コロナが弱毒化したとしても、5年か10年の間におそらく次のパンデミックの可能性がある。そういうときの予防としてもやはりマスク人をしたり手をよく消毒するっていうのは大事だと思いますね。

--4,5年に1回来るかもしれないパンデミックに備えて、どういう意識・認識を持っていなければいけない?

ちょっと言い方が難しいですけれども、私は日本人はもう少しこう、究極の選択についての議論をすべきだと思うんです。

例えば、だからある病院に一つしか人工呼吸器がないけれども、そこに3人の人工呼吸器が必要な人が来た場合、誰に付けるかこの選択をお医者さんしなきゃいけないですね。

でも一般的にそれを議論しようとするとみんな作れって議論になる。人工呼吸器は一個しかないですから、そのときに若い人を救うのか、それとも生産性の高い人を救うのか、男なのか女なのか、これは非常に難しい問題で正解はないかもしれませんけれども、あの単にお医者さんだけに押し付けるんじゃなくて、これやっぱり社会全体の問題として議論すべきだと思います。

これ今呼吸器の問題で言いましたけれども、もしかしたら病床が1個しかないところに、3人入院する人、必要な人が出てきたとときに誰を入れるのかっていうのと同じ問題だと思う。

--社会経済活動と感染者を減らすことの難しさを感じました

そうですね。これは日本だけじゃなくてどの国も、どうやって両立させるかっていう非常に苦労していると思います。

ただし悪いことばかりではなくて、例えば遠隔でオンラインで勤務する関係の企業とか、それをもとにどういう形で人と人の間をつないでいくかっという新しい働き方とか生き方とか仕事の仕方っていうのが少しずつ出てきてるので、これをどういうふうに今後のためも含めて生かしていくかというのが大事だと思うんですね。

特に例えば何らかの理由で、子供を育てるとか、家にいなきゃいけないってことでも、半分ぐらいは仕事をしたいっていう人に通勤を強いるんじゃなくて、家からの仕事に参加できる、ということをすることは、私は全体として見れば、悪くないと思うので、そういう契機としてもやっぱり使うべきだと思いますし、先ほどの将来に備えてっていう今、この感染に学んで将来のために準備をするということが、やっぱり社会を強靭にしていくということだと思うので、そういう面も今回の経験として私は生かすべきかなと思います。

インタビュー・執筆:厚生労働省担当 滝澤教子

滝澤教子
滝澤教子

フジテレビ社会部 国土交通省担当 元厚生労働省担当