瀬戸内海に浮かぶ広島県呉市・豊島。

ベテラン漁師・北瀬勝繁さん(73)は、伝統の一本釣りで数多くの獲物をつり上げてきた。

しかし仲間の漁師の数は減り続け、さらに不漁も続き「漁師には夢がない。ダメだ」と話す。

そんな中、2020年の春から勝繁さんのもとで孫の孝太が漁師の修業を始めた。

「じいちゃんみたいになりたいから漁師をする」と公言する少年と、跡継ぎが出来たことを喜びつつも、ベテラン漁師だからこそ知る今の漁業の苦しさを孫に味わせたくないとも考える祖父。

「仕事をすると言ってもメシは食えるか…それが心配。生活ができるかどうか。ワシでも生活にならんくらい。給料もあがらないし」

瀬戸内の島の厳しい現実の中、漁業に挑む祖父と孫の姿を追った。
 

跡継ぎという“希望”以上に募る不安

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瀬戸内海に浮かぶ広島県呉市・豊島。

人口約1,000人の豊島は、古くから瀬戸内海随一と言われる腕利きの漁師たちが集う島だ。

上質な鯛やあなご、ブランド化された太刀魚で知られている。しかし他の島の例にもれず、高齢化と過疎が進み、漁師の担い手は不足。

不漁も相まって、島の漁業は危機に瀕している。

「20年くらい前だったら、午前4時頃でもいっぱい漁師が歩いていた」と、漁に向かいながら話すのは、60年に渡って海に出続けている73歳の北瀬勝繁さんだ。

「瀬戸内はどんどん魚が減るばかりじゃ」とぼやく勝繁さんのこの日の釣果は、市場で売っても1,000円ほどだと嘆く。

2019年8月。勝繁さんの孫で広島市内に暮らす高校3年生の孝太がやってきた。

「小さい頃からの夢、なりたいのは漁師。小学校の時に作った美術作品は、カッパを着て魚を持っているもの。じいちゃんみたいになりたいから漁師をする」

漁師のじいちゃんに憧れ続ける孝太は、この日、“島の漁師になりたい”という卒業後の希望を伝えた。

「70年間培ってきたことを教えるのは、それだけでも大変。俺の跡継ぎとして何とかやっていけるというより、一番は生活じゃけんの。どれだけ勉強してなろうと思っても、生活するのは大変。メシは食えるようになんとかしなきゃならん」

そう話す勝繁さんの胸に、跡継ぎという“希望”以上に募るのは、孫の人生を引き受ける不安だ。

近年瀬戸内の海は、環境の変化により魚が激減し、生活がままならず引退する漁師も多いのが現状だ。

仲間の漁師たちは、「船が売れたら引退する、81歳にもなっとるので」「孫が漁をしたがるのは珍しい。なかなかいないよ、羨ましい」などと話すが、「羨ましいこと無かろうが、本当にどうしようかと思う」と、勝繁さんの心は複雑だ。
 

高校を卒業し、漁師見習い1日目

2020年3月1日。
高校の卒業式に駆けつけた勝繁さんは、「やりたいって言うからしょうがない。漁師の仕事は厳しいのは厳しい。『ちょっとやろうか』と、遊びのような気持ちなら、それも厳しい。島に来たらほとんど自由は全部取られてしまう」と、翌日から漁師修業が始まる孫に対して厳しい言葉を投げかけた。

“じいちゃんと孫”という関係から、“師匠と弟子”という関係に変わるのだ。

勝繁さんにとっても腹が決まる節目の日。

「(島から)ちょっと実家に帰るというわけにはいかんぞ。豊島からちょっと帰ってこようというのは自由にはできんということよ」と更に続けた言葉に、孝太は「わかりました」と真剣な表情で受け止める。

孝太が暮らすことになる部屋は勝繁さんの家の2階だ。

そこは、漁師にならず庭師の道を選んだ父がかつて住んでいた部屋。その部屋には漁師にとって大事な道具、ブイも置かれていた。

孝太にとっての憧れが現実になっていく。

その晩、勝繁さんは寿司店で食べれば何千円にもなるというネタを夕飯に仕込んだ。

しかし勝繁さんにとっては、市場で売っても「なんぼにもならない」というネタ。

この日も「一番良いのは会社員」とこぼした。

会社にいけば給料はもらえる。しかし、漁師は漁師にとっての会社である海に出ても、釣れない人は釣れないとこぼす。

孫をどうやって食える漁師に育てていくか、勝繁さんは悩んでいた。

漁師として働く初日、まだ慣れない足取りの孝太を連れて、勝繁さんが船を出したのは沖ではなく、天然のひじきが獲れる場所だった。

瀬戸内海の魚が減る中、10年ほど前から始めた「ひじき漁」は安定した収入を見込めるという。

海に浮かぶひじきを刈り取り、船いっぱいの量を積むには半日程かかる重労働だが、これまで一人でこの重労働を続けていた。

これで約5〜6万円になるという。

「魚がとれりゃ、わしもこんなことせん。魚とるほうが楽なんじゃけ。こんなにして働かにゃ食べられん」

勝繁さんより先にへばる孝太。

しかし息切れをして、「手だけ寒い」とつぶやく孝太が、船をロープで結ぶ姿は上達を見せていた。
 

「海には金が転がっとる。とれるかどうかは腕次第」

別の日、午前4時過ぎ。勝繁さんは孝太を連れて沖へ出た。
豊島伝統の漁法・一本釣りで狙うのは、島特産の鯛だ。

1本の糸に複数の疑似餌を付けて狙う一本釣りは、高い技術が必要だが、魚に傷が付きにくい。慣れないと海底に針が引っかかってしまうため、何度も失敗を重ねながら、孝太は糸のさばき方を体で覚えていく。

「昔は魚群探知機もなにもないから、潮の流れで考えて釣ったけど、今はこれで魚の場所が見えるんだ」

魚群探知機で鯛が海底近くにいることはわかっているが、なかなか釣れない。

勝繁さんの指導を受けながら糸を引き上げるが、魚が針から外れてしまう。

「餌を食いに来たのが分かってない。それが分かるようになるまでは時間がかかる」と一本釣りの難しさを伝えるが、孝太さんは「10回くらい聞いた」と言い返す。

勝繁さんは「10回聞いても千回聞いても分からんのよ。何十年掛かるのよ」と声を荒らげる。

体で覚えることを言葉で教えることは難しい。

しかし、魚が釣れるのは朝のわずかな時間。

生業としての漁に時間の無駄は許されないため、孝太に変わって勝繁さんが糸を引き始めた。

わずか数分で鯛が餌をつつく微妙な感覚を察知し、一気に釣り上げる。

「何の違い?」と孝太が驚くが、じいちゃんは「これがプロとアマの違い」と返すだけ。

海で60年生きてきたじいちゃんの確かな技だが、それを伝えるのが難しい。

孝太は真横でその技を見つめ、魚が釣れる感覚を養うため、何度も何度も自分で糸を垂らす。

魚が減っても漁師の意地で釣り上げる。

勝繁さんは言う。

「海には金が転がっとる。とれるかどうかは腕次第」
 

何が起きても二人の生きる場所は海の上

海が荒れた日、孝太さんは初めての仕掛け作りに励んでいた。

魚を釣る疑似餌は漁師それぞれ違い、これができないと漁にならない。

長年体に染みこんだ職人技を言葉で伝えるのは難しく、お互いの口調も荒くなる。

そんな修業の日々が始まった矢先、影を落したのは新型コロナウイルスだった。

「市場もいつもの年の半額くらいでしか買ってくれない。高級な魚ほどダメみたい。料亭とかがほとんど閉まっちゃってるから」

厳しい島の漁業に追い打ちをかけるような出来事だが、それでも二人の生きる場所は海の上。日々、魚のいる海へ向かう。

この日、孝太は「まぐれ」と言いつつも立派な魚を釣り上げた。

「まだ夢見ているみたい。まだ漁師じゃないけん、漁師になりたいだけ。まだ漁ではなく釣りをしている感覚」と喜びながらも自らを厳しく律する孝太さんに、勝繁さんは「やっぱり、まだまだ」と言いながらも笑顔を見せる。

ただ、自分の力で一匹の魚を釣り上げたことで、漁師として今後もやっていこうという気持ちはより強くなった。

「もっと極めちゃろと思いました。じいちゃん越えるまではいかんかな。自分なりにできて自信持てるまでできたら面白いんじゃろな」
 

孝太が見つけた小さな漁師の生きる道

瀬戸内海の魚が減り苦境に立つ島の漁業の中、そしてまだまだ一人前にはなれない中、自分なりにできることは何か。

孝太が勝繁さんを誘って向かったのは、孝太が島に渡る直前、家族で最後の外食として父が連れていってくれた広島市内の寿司店だ。

この店で父は、魚に最高の形で“仕事”をして客に出す板前の仕事を見せて、漁師になるというプロの自覚を促していた。

孝太は、板前の「昔の漁師じゃ通用しないです。魚の〆方、血抜きとか、完璧にやってくれたらこちらは助かる」というアドバイスを思い出し、下処理を済ませた瀬戸内のオコゼを直接売り込めないかと訪ねたのだ。

魚が減っているのなら、少しでも高く安定して買ってもらえるように直接店と関係を築いていく。

ネタと真剣に向き合う板前は「このオコゼはものがいいね。身が生きてるよ」と高評価をくれた。

今後もこの寿司店が魚を購入してくれることが決まり、板前と勝繁さんから人と人とのつながりの大切さを教えられた孝太。

漁師の修業を初めて2ヵ月あまりの孝太が、近所のおばあちゃんと話していた。
「ずっと帰らんのか?」
「帰らんよ。ずっとここが家じゃわ、もう住所も移した」

島の現実を知るじいちゃんは、今も「漁師には夢がない。ダメだ」とぼやく。

漁師は夢がない。だけど孝太の夢はこの島で行う漁業にある。その夢を叶えさせてやるために、勝繁さんは持てる全ての技術を孝太に伝えていく。

今日もまた2人は魚の少なくなった海へと出た。

夢と現実の狭間を揺れながら、将来の火を絶やさないために。
 

(第29回ドキュメンタリー大賞『漁火のゆくえ じいの背中とボクの夢』)

テレビ新広島
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