2021年、長崎県の雲仙普賢岳では、多くの犠牲者を出した1991年6月の大火砕流から30年を迎える。
当時の遺構や人々の記憶が消えゆく中、地元の関係者は、地質分野の世界遺産に認定された「島原半島ジオパーク」が持つ「防災」の価値を再構築して、痛ましい歴史の継承を図ろうとしている。

子どもたちに噴火災害の体験伝える「島原防災塾」

雨が降ると、どういうメカニズムで土石流が起きるのか…子どもたちが実験を通して学ぶ「島原防災塾」。

島原防災塾
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災害を知らない子どもたちに、普賢岳の噴火災害の体験を伝え、将来的には、地域の防災の担い手になってほしいという目的で、2011年に始まった。
火砕流や土石流の被害を最も受けた安中地区の住民グループが企画し、国土交通省の雲仙復興事務所や島原市の支援を受けて行われている。

清水洋塾長(九州大学教授):
噴火が終わって間もない時は、噴火の傷跡もあるし、人々の記憶も残っていた。災害の教訓を語り継ぐ重要性は、年を追うごとに重要性が増している。

今回の現地見学会は、島原市北部の杉谷地区。普賢岳北東部の千本木方向への火砕流や土石流で大きな被害を受けた地域だ。
街歩きをしながら、災害前の写真と今の建物や川を見比べる。

島原半島ジオパーク協議会・大野希一さん: 
古い石垣から、急に新しい石垣に組み変わったりします。そういうような、ちょっとした変化で、災害前と後の場所の変化がわかる

子どもたちは、災害で町の姿が大きく変わったことを体感したようだ。

子ども:
昔と変わっているところと今と同じところがあって

子ども:
いろんなことがわかって楽しかった。道が全然違った

雲仙復興事務所は閉鎖に…次の事務局機能担うのは?

だが防災塾の運営をサポートし、事務局機能を担ってきた雲仙復興事務所は、2021年3月末で閉鎖が決まっていて、すでに一部の砂防施設の管理は、長崎県に移管されている。

2022年以降、事務局機能をどこが担うのか?
いま視線を集めているのが、この日の見学会にもスタッフが同行した「ジオパーク協議会」だ。

ジオパークとは、ジオ(大地・地球)とパーク(公園)を組み合わせた言葉で、地質や地形と、その上に営まれる人々の暮らしを一体として楽しめる「地質遺産」のことだ。

海底火山の噴火によって形成された島原半島には、特徴ある断層や温泉などがあり、「人と火山の共生」をテーマに、2009年 北海道の有珠や糸魚川と共に、日本で初めてユネスコ世界ジオパークの認定を受けている。

ジオパークでは、地質や地形を損なうことなく歴史や文化・生活を守りながら、より多くの人に魅力を伝えて続けていくため、常に進化が求められる。
その1つが防災という観点だ。
このため、ジオパーク事務局では、これまでも防災塾の運営に積極的に関わってきた経緯がある。

清水洋塾長(九州大学教授):
目的の中に、防災というのが世界的にも位置づけられてきている。まさに(防災が重要である)そこの日本のジオパーク、特に雲仙はそこのリーダーとなっていく…そういう存在だと思っています

再認定へ…島原半島ジオパークの模索

島原半島ジオパーク内には、噴火災害の遺構も数多く残っている。

火砕流で焼けた旧大野木場小学校は、当初 砂防施設の建設計画で保存が危ぶまれたが、地元の強い熱意が行政を動かした。

旧大野木場小学校

また、湧き水を生かした憩いのスペース「われん川」も、故郷の面影を残したいという住民の思いで再生された。

そして、大火砕流で警察官や消防団43人が犠牲となった旧上木場地区には、慰霊碑や慰霊の鐘が建てられ、またマスコミ関係者が犠牲となった「定点」と呼ばれる場所でも、車両を掘り起こして保存整備する動きが始まっている。

ジオパークは4年に1回、再審査が行われ、2021年夏がその時期となる。
ジオパーク協議会では、こうした場所を災害について学び考える重要な「ジオサイト」の1つと位置付け、再認定につなげたい考えだ。
すでに、審査員による準備状況の確認作業も始まっている。

島原半島ジオパーク協議会・杉本伸一さん:
災害の記録と記憶を伝える、まさしく記録だけでなく、その時に人々がどんな思いだったかというのを伝えるのが必要だと思っています

ともすれば、消え去りがちな災害の遺構と人々の記憶。
大火砕流から2021年で30年となる普賢岳のふもとでは、その継承の難しさをかみしめながら、あらためて「ジオパーク」の価値を問い直す活動が続けられている。

(テレビ長崎)