広島市が被爆100年を見据え検討を重ねているまちづくりについて考えます。
キーワードは「継承」。
伝統文化を守る茶道・上田宗箇流を通して改めて見つめなおします。
「広島市平和文化のまちづくり懇談会」。
被爆100年を見据えたまちづくりを考えようとことし7月から広島市が議論をスタートさせました。
被爆者や文化人など有識者が議論を重ね、前回の会議では平和発信の中心的な役割を担う原爆資料館について、質・量ともに充実させる方向性が示されました。
議論の場には広島を代表する文化人として茶道・上田宗箇流の宗冏(そうけい)宗匠の姿もありました。
【上田宗箇流 上田宗冏(そうけい) 宗匠】
「私は30年かけて広島城内、上田家上屋敷の構成・再建に取り組んでまいりました。
(まちの)中心地が被爆して何もなくなった廃墟の中から、ゼロからのスタートという思考停止から脱することができました」
ことし5月、広島市西区の和風堂で行われた茶道・上田宗箇流家元継承の神事。
【上田宗箇流 17代家元 上田宗篁(そうこう)氏】
「自分の命をこの伝統文化を継承するために使い切る、という覚悟を決め、これからも広島、そして日本、世界に武家茶道文化が息づく活動ができるよう、看脚下の精神で取り組んでまいります」
上田宗箇流は400年にわたり広島の地で受け継がれてきた武家茶道です。
継承により宗匠となった宗冏氏は1945年生まれ。
あちこちに被爆の痕跡が残る広島市内で幼少期を過ごしました。
【上田宗箇流 上田宗冏 宗匠】
「原爆投下っていうのは本当に大変な出来事だよね。みんな本当にもう生きるのが精いっぱいで、歴史や文化なんか誰もみんな見る余裕もなかったというようなことですよね。広島を拠点にして再構築ができるかなと本当に思って、「さあどうしよう」という時に原点復帰しかないと」
1731年に描かれた絵図をもとに、広島城内にあった広島藩の家老・上田宗箇の上屋敷を2008年に復元。経済界を中心に広島の伝統文化を継承しようという機運が高まったことが追い風になったと言います。
懇談会でも「広島には原爆投下前から豊かな文化に彩られ、連綿と続く長い歴史がある」ことを強調する宗冏氏。
【上田宗箇流 上田宗冏 宗匠】
「被爆後の歴史や文化の継承の苦しさは、本当に日々感じながら今日までやってまいりました」
自身も継承の難しさを体感してきた宗冏氏ですが、懇談会では、こんな発言も。
【上田宗箇流 上田宗冏 宗匠】
「被爆2世、被爆3世という言葉が、実は私は当時大変違和感を感じました」
被爆の惨状を目の当たりにした人とその次の世代では決定的な違いがあるとの思いがあったからです。
一方で、宗冏氏のように被爆の実相を体感し戦後を牽引した世代もいずれ、いなくなります。
【懇談会で意見を述べた ユース・ピース・ボランティア】
「被爆者の声を直接聞くことが難しくなっている今、将来を担うのは若者の責任だと言えます」
かつて違和感を覚えた被爆2世・3世という言葉。
実体験のない人々に実情を伝えていくという点では歴史や文化の継承と同じ課題があると感じています。
【上田宗箇流 上田宗冏 宗匠】
「揺るがない使命感を持った若い人に、核になる人がどれだけ育てられるか、それがとても大事なんだと思います」
被爆の実相や復興の歴史に留まらず“ヒロシマ”というまちが紡いできた文化を継承していく役割は次の世代に引き継がれようとしています。
【上田宗箇流 17代家元 上田宗篁氏】
「伝統文化を継承していくっていうことの意味みたいなところが本当に一日一日一つ一つの行事があって、全部継承とか伝統文化を未来に残すことにつながっていくんだなっていうのを、この半年で強く感じるようにはなりました」
日々の営みの積み重ねが歴史や文化になり「まち」をつくっていく。
それこそが「継承」だと宗冏氏はいいます。
【上田宗箇流 上田宗冏 宗匠】
「普通のまちと違って、あれだけの大惨事の後をね、こうして引き継いでいく「まち」ですから、都市の役割がね、すごく重い都市ですよね、このまちは。それぞれの分野でしっかり次世代に渡されるか。個々の力だけでは難しいように思いますね」
被爆100年を見据え私たちはどんなまちで暮らしていきたいか、今、改めて問われています。
