全国に約130万人いるとされる『田中さん』。西日本に非常に多く、福岡県内でも最も多い苗字だが、そんな田中さん達が一堂に会するユニークなイベント『田中サミット』が開催された。更に地域の住民全員が『田中さん』という“郵便局員泣かせ”の地区を取材した。
全国の『田中さん』が一堂に!
「田中です」「田中です」「面白い!誰と交換しても田中(笑)」

福岡市で10月24日に開かれたのは『田中サミット』。田中の苗字を持つ人や田中さんと縁のある人など約200人が集まったユニークなイベントだ。当然ながら会場で名刺交換しても、相手は自分と同じ『田中さん』なのだ。

「『たなか・かなた』です。上から読んでも下から読んでも同じ『たなか・かなた』。回文になっています。『しんぶんし』みたいな。どう見ても『たなか』(笑)」と更にユニークな田中さんもいたほどだ。

主催者によると、福岡県内には約9万5千人の『田中さん』がいて、最も多い名字とされている。

この日、講演を行った『田中研究家』によると、田中姓は「筑後、八女、柳川など県南が多い」という。
その指摘を裏付けるような情報を会場にいた男性が口にした。

「僕、八女の奥地の出身なんですけど、田中しかいない地区がありますよ」というのだ。
『田中さん』しかいない集落
取材班が向かったのは、福岡県南部に位置する八女市立花町。地元の事情に詳しそうなハチミツ店の女性に尋ねると、早速、電話帳で調べてもらった。

「電話帳で見たら分かる。立花町の田中さんの所の住所見たら、大体、どこが多いか分かるから。田中、田中、田中…。白木が多い!白木!」。『白木(しらき)』という地域に田中さんが大勢暮らしているらしい。

『白木』に向かう前に、更なる情報を求めて役所を訪ねた。窓口の担当者に、本当に立花町には、田中さんが多いのか聞いてみると「そうですね、私も田中なんですけど」といきなり田中さんに遭遇。

立花支所の次長を務める田中克彦さんによると、自分の携帯の電話帳に登録されている『田中』は、ざっと100人を超えているという。

「私も『白木』出身なんですけど、白木の『鹿伏(かぶせ)地区』というのがあって、35軒くらいの集落なんですが、そこはほとんど田中じゃないですかね」と教えてくれた。

白木の中でも『鹿伏(かぶせ)地区』という場所は、ほとんどが『田中さん』だという。地図で見ると『鹿伏地区』は、熊本の県境に近い更に南の集落だった。

35世帯全員が『田中』さん
鹿伏公民館を見つけ、周辺を少し歩くと『DOKOMOたなかさんちの農園』と書かれた古い看板があった。

『どこにでも、田中さんちがある』そういう意味にも思える。ここが『田中さんしかいない地区』のことなのか?
早速、住人に尋ねると、意外なほどあっさり「はい、田中です、全員田中です」。

鹿伏地区にある35世帯の全てが『田中さん』。100%『田中さん』の地区だった。

「ここ田中です、ここも田中ですね」長年、この地で暮らす田中良次(たなか・りょうじ)さんが、集落を案内してくれた。

最初に立ち寄ったのは、田中良次さんの身内の田中洋幸さん(84)。

取材班が最初にこの地で見つけた看板を作った本人だ。田中姓の多さを活用し、地域を盛り上げようと25年ほど前に立ち上げられた観光農園で10年余り続けたという。

残された写真の全員が『田中さん』のため、名字ではなく、下の名前で呼び合うのが当たり前だった。

取材中に顔を出した田中洋幸さんの娘さんも「嫁いでも田中です。2キロ先に嫁いで、(田中から)田中に」と笑う。

鹿伏地区に住んでいて最も困る問題は、郵便。

「郵便ポストにまでは名前を書いてないが、前は表札に全部(フルネーム)書いてましたね」と住民は話す。まさに郵便局員泣かせの地区だという。

「郵便屋さんが間違う時があって。表札は田中で付けてますよ、田中だけ」と話すのは、田中俊臣さん。記者が恐縮しつつも『田中だけの表札、意味ありますか』と尋ねると、「いや、意味ない!」と笑った。
ルーツは熊本側の『田中城』か?
田中姓のみの『鹿伏地区』は、どのようにして生まれたのか?

八女市合併の前、最後の立花町長を務めた田中礼助さんは、「田中城というのが熊本県、山ひとつ向こうにある。それが関係あるんじゃないかと伝わってきているが、定かではない」と話す。

ルーツとして語り継がれてきたのは、戦国時代、鹿伏地区から5キロほど離れた熊本・和水町にあったとされる『田中城』。

1587年に起きた一揆の後、移ってきた一族が分家していったという可能性だ。

「元を辿れば、1つだった」と話す田中礼助さん。『ご先祖は武士だった?』と尋ねると、「そうなればね」と笑った。
一方、田中城があった熊本県の自治体の文化財担当者によると、城から移った人の存在は、古文書にもなく、言い伝えが本当かどうかは確認できませんとのことだった。

ルーツは定かではないが、この地区で暮らす人々は、今も特別な縁で結ばれている。

「同じ田中姓やけんさ、お互いに気を遣わずに生活できるというかね。なんかあった時は、近所に言えばいいし…。葬式のお見送りとかも皆んなで全員でやる。そういう人との繋がりが一番いいんじゃない?」と元町長の田中礼助さんは話す。

『田中さんしかいない町』には、長い年月、暮らしを共にしてきた人々の歴史と深い絆が今もしっかりと残っていた。
(テレビ西日本)

