福島県いわき市の 塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)。
昭和の歌姫・美空ひばりさんの名曲『みだれ髪』の舞台として知られるこの場所で、ひばりさんが残した 直筆の“詫び状(わびじょう)” が公開された。手紙は39年前、いわき市長に宛てて送られたものの複製で、市庁舎内で地元有志によって発見された。
いわきの海に響いた名曲
公開に合わせて行われたイベントでは、歌手の 坂本冬美さん が『みだれ髪』を披露した。
「憎や恋しや塩屋の岬」
いわきの海を背に歌声が響くと、会場にはひばりさんの面影を思い起こす空気が広がった。

叶わなかった“いわき訪問”
『みだれ髪』は、ひばりさんが大病から復帰した際の第一作として発表された楽曲。
夕暮れの塩屋埼灯台に佇む女性の姿を重ね合わせて作詞され、いわき市は作品の重要な舞台となった。
レコーディング後、ひばりさんは宣伝活動でいわきを訪れる予定だった。しかし体調が戻らず、訪問は叶わなかった。その思いを綴ったのが、今回公開された“詫び状”だ。

手紙にはこう記されている。
「『みだれ髪』『塩屋埼』、こんなに素晴らしい作品のテーマを与えて下さったいわき市に行ってみたいという気持ちは、今も変わっておりません」
便箋4枚にわたり、いわきへの感謝と心残りが丁寧な筆致でつづられている。
その約1年半後、ひばりさんは帰らぬ人となった。
市庁舎での“偶然の発見”
手紙は、いわき市の庁舎で地元有志が資料整理を行う中で見つかったもの。
「絆を伝える大切なものとして後世に残したい」と、市、ひばりさんの著作権を管理するプロダクション、そしてファンが協力し、公開に向けた準備を進めてきた。

ひばりプロダクションの 加藤和也社長 はこう語る。
「美空ひばりが皆さんに心から愛されている存在だったと改めて実感しました。母が最後に心残りだったのは、きっとこの場所に自分の足で来れなかったことだと思っています」
絆は生き続ける
塩屋埼灯台周辺は、東日本大震災で津波の被害を受けた地域でもある。
それでも海の街はいま力強く歩みを進めている。

歌姫が力を振り絞って綴った直筆の思いと、復興を続けるいわきの海。
ひばりさんとこの街を結ぶ絆は、これからもここで静かに息づいていく。
(福島テレビ)

