特集は、受け継がれる昭和の味です。長野県伊那市の山あいの店で売られている名物の「ドーナツ万十」。先代の父の味を82歳になる女性店主が守り、さらに娘、孫にも受け継がれています。
見た目はドーナツ。でも、生地の中には、あんこがぎっしり。紹介するのは、懐かしい味のお菓子です。
アナウンサー:
「山あいにあるこちらの小さな集落。自然に囲まれていて、とてものどかな場所なんですが、この場所にポツンと菓子店があります。看板に杉島名物『ドーナツ万十』と書かれています」
こちらは、伊那市長谷の杉島集落にある「奥原菓子店」です。
アナウンサー:
「こんにちは。看板に杉島名物『ドーナツ万十』と書かれていたんですが、どんなものでしょうか?」
奥原菓子店・秋山勝子さん:
「こういうものなんですけど」
店で作っている菓子は、この「ドーナツ万十」のみ。生地の中にたっぷりとあんこが入っています。黒あんと白あんの2種類がありますが、中身は食べてみるまでわかりません。
アナウンサー:
「割ってみます。あっ、白あんでした。すごく滑らかで口当たりがよくて、甘さは控えめなんですけど、外にまぶしてある砂糖でプラスされている感じがします」
「ドーナツ万十」を作っているのは、2代目店主の秋山勝子さんです。
奥原菓子店・秋山勝子さん:
「父親の教えの通りに、材料も分量もやっている」
「ドーナツ万十」を作り始めたのは、先代の父・奥原平三さんです。製菓学校を卒業しており、戦地から戻ったあと、杉島集落に和菓子店を開きました。
「ドーナツ万十」を販売するようになったのは、1959年頃から。当時は林業も盛んで地域住民も多く、その後は、人気商品となった「ドーナツ万十」一筋で店を営んできました。
娘の勝子さんは結婚後も店を手伝い、平三さんが体調を崩した1985年に店を継ぎました。
奥原菓子店・秋山勝子さん:
「(当時の)村長がとてもこのおまんじゅうを愛してくれていて、父が倒れてお店を再開できない時に『やる気がなかったら村の婦人部に作り方を教えてやってくれ』と言われて。人に教えるくらいだったら、自分でやった方がいいと思って始めた」
その年の12月に平三さんは亡くなり、以来35年間、勝子さんが「ドーナツ万十」を作ってきました。
生地をちぎり、あんを詰めていきます。形を整えたら油の中へ。30秒ほど揚げて、冷ましてから砂糖をまぶして完成です。
作るのは1日300個ほど。地域の住民は減っていますが、遠くから足を運ぶ客もいて根強い人気です。
富士見町から:
「味は抜群。3日もたてば、また来たいくらい」
伊那市内から:
「うまいよ、20年も30年も昔から知っている。楽しみに(市街地から)上がってくる人もいる」
「割ったときの白だった、黒だったっていうのが楽しい」
奥原菓子店・秋山勝子さん:
「また食べたくて来たよって方が大勢いるから、うれしいですね」
実は、秋山さんには、頼りになる跡継ぎがいます。
飯島町の「茶房どーなつ庵」。もっと多くの人に味わってもらおうと、秋山さんが26年前に開いた店で、現在は娘の真弓さんと孫の信哉さんが営んでいます。
娘・真弓さん:
「母が忙しくしているのは見ていたので、お手伝いできればという気持ちがありました。おじいちゃんの味をそのまま受け継いで、長い間、皆さんに食べてもらいたいという気持ち」
こちらの店では、コーヒーなどと一緒に「ドーナツ万十」を味わうことができます。
飯島の店を手伝う孫の信哉さんは、いずれ「奥原菓子店」を受け継ぐことになっています。
孫・信哉さん:
「絶対、品質を落とさないってことと、丁寧に作ることを心掛けて、まんじゅうの味は変わらないって思ってもらえるようにやっていきたい」
奥原菓子店・秋山勝子さん:
「うれしかった。何の抵抗もなく孫も娘も自然に始めてくれたから。とにかくこの味を汚さないように、この店が続けていける限りはやっていきたい」
親から子へ、子から孫へ。4代にわたって、昭和の味が引き継がれようとしています。
(画像:奥原菓子店の「ドーナツ万十」)