爆撃機の模型を持ち、微笑む男性。
アメリカ軍の元パイロット、ポール・ティベッツ氏です。
81年前、彼が遂行した任務。
それは広島への原子爆弾の投下。
“成功”した理由を次のように語っていました。
【ティベッツ氏】「作戦には正確性が必要だった。そのために練習用の爆弾を使った」
Qその練習は効果的でしたか?
「非常に効果的だった」
アメリカは、原爆と同じ形の爆弾「模擬原爆」を使い、日本各地を「練習台」にしていたのです。
■通称・パンプキン 原爆投下の「リハーサル」としてアメリカ軍が製造
福井県の博物館に展示された爆弾の模型。終戦直前、日本に落とされた「模擬原爆」です。
来場する人は 「初めて見ました。そういう縁があると知らなくてびっくりしました」「自分たちには関係ないという風に思っていたので身近って言ったら変だけど、他人ごと感がなくなった」と、その爆弾の存在を初めて知って感じたことを口にします。
長さおよそ3メートル、重さおよそ4.5トン。
丸みを帯びた形から、「パンプキン」と呼ばれました。
アメリカがこの爆弾を作った理由。ある資料にそれが記されています。
「原爆投下作戦を成功させるためには、作戦全体のリハーサルを完璧に行うことが不可欠である」
原爆の投下実験の映像には、爆弾が的を大きく外れ、離れたところに落ちていることがわかります。
人類史上初となる原爆の投下。その威力を知るため、目標地点への正確な投下が求められました。
しかし、巨大な爆弾のため、落下の軌道が不安定に。アメリカは原爆の形を模した模擬原爆を使い、日本各地で投下の練習を行うことを決めたのです。
■模擬原爆で約400人が犠牲に 大阪・東住吉区にも…刻まれた記憶
模擬原爆は、全国に49発が投下され、あわせて約400人が犠牲になりました。
関西では、奈良以外の地域が標的となりました。
大阪市東住吉区には1945年7月26日に投下され、4人が死亡しました。
爆弾が落ちた地点の近くに住んでいた、橘住雄さん(88)。幼かった81年前の状況を今も鮮明に覚えています。
【橘住雄さん(88)】「誰かが『黒い物落としよった』って言うから、『どこどこ』って(見ていたら)どっかーんって。上の屋根からガラスとかが全部バーっと落ちてた、びっくりして向かいの家に飛び込んだ」
この投下によって、小学校には血だらけの人が運ばれました。
毎年追悼式が行われる寺の本堂は、その爆風によって今も傾いたままです。
【橘住雄さん(88)「むちゃくちゃですわな、練習用に、人がいてるのにそこに落として、亡くなるんでしょ。なんとも思わんのかなと思う。人間として考えられないこと。モノとしか思ってない」
■軍需工場(当時)の寮が破壊され「修羅場」に アメリカ軍は「優秀な結果が報告された」
滋賀県大津市にあった東洋レーヨン滋賀工場(当時)でも16人が命を失いました。
今も東レの工場があります。
当時は、魚雷などを作る軍需工場で、軍の関係者、職員などが犠牲になりました。
おととし、遠く離れた静岡県の倉庫に被害を詳しく記した資料が保管されていることが判明しました。
その資料には、死者数が6人から8人に変わるなど、混乱の状況とともに、その光景も記録されています。
【東レの資料】「傷ついた人たちが血に染まって破壊された建物の間から出てくる」「戦場であり修羅場であった」
一方、この投下についてアメリカ軍の資料にはこのように記されていました。
「優秀な結果が報告された」
■神戸に4発投下 うち1発は見つからず…探し続ける若き研究者
そして、実験に使われた神戸市。
4発が落とされ、そのうち1発は今もどこに落ちたのか分かっていません。
模擬原爆について研究する若き研究者が神戸大学大学院にいます。
西岡孔貴さん。
研究を続ける決心をしたきっかけをこう話します。
【西岡孔貴さん】「広島の地で、大阪或いは神戸といった都市も原爆と関わりがあるという展示を見たときにすごい衝撃を受けました」
模擬原爆の研究を続ける西岡孔貴さんは、神戸での投下実験が持つ意味を教えてくれました。
【西岡孔貴さん】「投下を担当した機体が広島への原爆投下を担当したエノラ・ゲイです。エノラ・ゲイにとっても日本上空で行う初めての任務だったので、広島への投下の第一歩にあたる作戦が神戸の上空で展開されていた」
そして今もその1発を今も探し続けています。
■
西岡さんは、残された当時の日記などから、模擬原爆が摩耶山に落ちたと推測。
3年前、山中での調査を行いました。
小型の金属探知機を地面に刺しながらしらみつぶしに探した結果、爆弾とみられる金属片を複数発見。
西岡さんは、80年近く経っても当時の痕跡が見つかることに歴史の不思議さ、重みを感じたと話します。
しかし、成分分析の結果、爆弾ではあるものの模擬原爆ではないと判明。
今は東灘区のあたりと見て、調査を進めています。
調査を進める意味について西岡さんはこう話します。
【西岡孔貴さん】「身近なところにも原爆にかかわるような歴史が、眠っている。パンプキンをきっかけに、核兵器の問題は今の国際社会にも残り続けているので、見つめ直す機会になればいいなと感じている」
■
広島に原爆を投下したポール・ティベッツは、何度もある質問を投げかけられました。
それは“Are you proud of what you did?”(自分がしたことを誇りに思っているか?)
戦後、自身の任務をこう振り返る際、こう答えています。
「はい、誇りに思っています。年月が過ぎても、私は同じ結論に至っています。自分がやったことは、当時世界に平和をもたらした、と」
いま、世界には1万発近い核兵器が、存在しています。
