広島・長崎に投下された原子爆弾。実は福島県にも、密接な関係があった。福島市渡利の瑞龍寺に展示されている鉄の破片。太平洋戦争にまつわるもので、薄れていく記憶を繋いでいる。
爆弾の破片を展示
寺に展示されているのは、爆弾の破片。1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下された。福島市の寺に残されているのは、かつてこの地区に落とされた爆弾の破片で、後に原爆を投下するための「模擬原爆」だったことが分かった。

弟の命を奪われて
1945年7月20日。「模擬原爆」は一人の若者の命を奪った。この地区に住む斎藤ミチさんは、あの日家の近くに爆弾が落ち弟の隆夫さん(当時14歳)を亡くした。

「その弟とは切っても切れない。仲良しだったの。二度と涙こぼしたくないから、忘れようと思って努力するの。弟が死んでいるから」
あれから78年。ミチさんにとって、今でも忘れたい思い出だという。

福島県では5発の模擬原爆
「模擬原爆」は全国で49発投下された。福島県内では福島市をはじめ、郡山市・いわき市で5発確認されている。後の調査で、当時 原爆投下の候補地だった新潟県に比較的近いことから、福島県が狙われたことが分かっている。

今も鮮明に残る記憶
齋藤英さんも、当時を良く知る一人だ。

当時、小学4年生だった齋藤さん。防空壕に避難していたためケガはなかったが、「防空壕出た時に、いつもは見ない山があった。田んぼに落ちた爆弾の山が出来ていた。それが直径20メートル位だった」「防空壕に入れって言われて入って。爆弾が落ちて、すごい音だったんですけども、小学校の窓ガラスが全部落ちてしまった」と当時の記憶は鮮明に残っている。

後世に伝える
齋藤さんは長きにわたり、地元・渡利地区の歴史を研究している。時が経つにつれて「模擬原爆」が落とされたことなど、戦争の記憶を繋げていきたいと強く感じるようになった。

「節目節目で、7月になると渡利に爆弾落ちたという戦争の話、大東亜戦争は悲惨な状態だったんだっていう話はしたいと思っています。どういう問題が起きたのか、どういう風に先人は解決していったのか調べて、後の人に伝えていかないとね」

終戦から78年。その時代を生きた人たちの高齢化に伴い、記憶の風化が進んでいる。記憶を伝え、それを受け止めて繋ぐ「平和へのバトン」が必要になる。
(福島テレビ)