福島県喜多方市の老舗、笹正宗(ささまさむね)酒造を襲った大規模火災から2カ月が経過した。1818年の創業以来、200年を超える歴史を持つ蔵は、火災により多くの酒と建物を失う絶望に直面した。しかし、焼け跡から奇跡的に救い出された日本酒が、地元の蔵元たちの支援を受けて来週から出荷される。仲間の絆に支えられ、兄弟二人三脚で歩む再建への道のりと、希望の光となった「復活の一滴」を追った。
老舗を襲った突然の悲劇
2026年6月1日、喜多方市の笹正宗酒造で火災が発生した。
黒い煙が立ち上り、複数の建物から火が出る光景は、歴史ある酒蔵を無慈悲に飲み込んだ。
1818年に創業したこの老舗酒蔵では、倉庫や仕込み蔵がほぼ全焼した。焼け跡には、長年酒造りを共にしてきた道具が無残に散乱し、蔵に保管されていた約2万5,000本分の酒もその多くが焼失した。
社長を務める弟の岩田悠二郎(いわた・ゆうじろう)氏は、どこかに甘えや慢心があったのではないかと自省し、先祖から気の引き締め時だと教えられたように感じていると心中を明かした。
製造責任者である兄の高太郎(こうたろう)氏とともに理想の酒を追い求めてきたが、火災当日は二人で東京出張から戻る途中の出来事であった。現場にいた別の蔵元から「全焼も覚悟しろ」と電話を受けた際、高太郎氏は一週間ほど悪い夢を見ているのではないかという感覚に陥ったと振り返った。
会津の蔵元が結集した支援
甚大な被害を前に立ち尽くす兄弟に対し、手を差し伸べたのは会津の仲間たちであった。
火災直後から、会津の酒蔵や酒屋が集まり、再建に向けた話し合いが連日連夜行われた。宮泉銘醸(みやいずみめいじょう)の宮森義弘(みやもり・よしひろ)社長は、笹正宗の酒造りをいかに繋いでいくかが重要であると強調した。他の酒蔵の設備を借りて岩田兄弟の酒を造り続けることが最善の策ではないかと提案し、仲間を決して見捨てない姿勢を示した。
顧客からも、状況を案じる声が多く寄せられた。渡辺宗太商店の渡辺宗太郎(わたなべ・そうたろう)社長は、消費者が状況を聞いて良いものかためらっている現状を伝え、情報発信の重要性を説いた。仲間の絆が、再建への確かな希望を繋ぎ止めていた。
奇跡的に残った5,000本
絶望的な状況の中、一つの奇跡が起きた。
激しい火の手を免れた貯蔵庫の角から、無傷のタンクが見つかったのである。曙(あけぼの)酒造の鈴木孝一(すずき・こういち)社長は、これを「奇跡という言葉では片付けたくないほどの出来事」と表現した。この酒が無事であれば、苦難の中に一筋の光が見えると期待を寄せた。
火災から4日後の6月5日、生き残った酒を別の酒蔵へと移動させる作業が始まった。集まったのはやはり会津の仲間たちであった。「酒を救いたい」という一心で、蔵の垣根を越えた協力体制が敷かれた。
ポンプを通じて移送された酒を口にした高太郎氏は、その味が変わっていないことに安堵(あんど)し、思わず涙を浮かべた。悠二郎氏も、周囲の支えがなければ成し得なかった一歩であるとし、これを「復活の第一歩、復活の一滴」と称した。
伝統を継承し再建を誓う
救い出された約5,000本分の「ささまさむね」は、いよいよ8月中旬から福島県内に出荷される。高太郎氏は、往生際(おうじょうぎわ)の悪さは自身の性格そのものであり、それが酒にも表れたのかもしれないと語った。土俵際で踏み止まり、何とかして立ち上がろうとする執念が、この酒には宿っている。
悠二郎氏は、この地で代々受け継がれてきた文化や伝統を自身の代で終わらせるわけにはいかないと強い決意を口にした。喜多方の水と場所でしか造れない酒を次世代へ継承するため、「必ず再建する」と誓った。絶望の淵から這い上がる覚悟が、笹正宗酒造の復活を照らす灯(ともしび)となっている。
(福島テレビ)

