原爆の日を前にTSSライクでは「つたえるつなげる平和への一歩」と題して継承について考えていきます。
初日は、語り始めた93歳の被爆体験証言者を取材しました。
廿日市市で暮らす大橋和子さん。
【大橋和子さん】
「くさい!これはもう年中糠漬けは欠かしません。これがすごいおいしいんです、これをパンにつけて食べるんです」
料理好きな和子さんは93歳。
1人暮らしです。
【大橋和子さん】
「趣味?無趣味が趣味。おさきに、頂きました」
いつも笑顔で前向きな和子さん。
その顔と腕には大きな火傷の跡があります。原爆で負った傷です。
【大橋和子さん】
「言葉にできんことはたくさんあります。そういう風なことはなかなか話せんのですよね」
語って来なかったあの日の記憶ですが3年前にがんになり、気持ちが変化しました。
今は、4度目の手術を終え、薬を飲みながら病を抑える生活です。
【大橋和子さん】
「今話しとかんと悲惨なことを誰も知らずに、被爆者自体が話すのはおそらくもうね。何年かのうちに1人もいなくなると思うんですよ。だからそれがやっぱりね、残念と思って、必ず残しておきたいと思って」
決意した和子さんは、93歳にして平和文化センターの被爆体験証言者になりました。
今年5月、初めての証言に臨みます。
【大橋和子さん】
「すごい緊張しています。いい具合に話せればいいと思って」
93歳という年齢は、最年長での初証言です。
【大橋和子さん 被爆証言】
「私はこの日の話を家族にも兄弟にも一度もしたことはございません。あまりにも残酷過ぎてできなかったんです」
81年間苦しられた被爆体験です。
和子さんは、中学1年生だった12歳のとき、爆心地から1.5キロの平塚町で被爆しました。8月6日は同じ学校の生徒およそ500人と学徒動員中で、建物を壊し空地や道路を造る作業をしていました。
【大橋和子さん 被爆証言】
「私はまぶしいので、手をここに跡がありますが、この手を額にもっていて、友達の影から後ろから空を見上げました。空を見上げたとたんピカっと光り少し間をおいて、どーんと大きな音と共にあたりが真っ暗になりました」
【原爆投下のシーン】
目の前にいた友達を始め、500人いた同級生の半数以上が即死、かろうじて助かった和子さんも吹き飛ばされました。
【大橋和子さん 被爆証言】
「ふと体を見ると裸に近い状態でした。目が、鼻が、口がどこにあるか分からん。本当に悲惨な姿でした。それが私の顔だと」
周りを見るとそこは地獄でした。
【大橋和子さん 被爆証言】
「人間の目で見てはいけない、本当に無残なその姿を言葉で表すことはできませんみなさん、戦争は絶対してはいけません。戦争は人間が人間でなくなるんです。平和が一番です。平和があれば何もいりません」
【大橋和子さん】
「これが私。修正してあるけんね、写真は。写真屋さんで撮ったのはみな修正してある。
わからんようにね」
戦後、和子さんは顔と腕にやけどが残り、好機の視線や差別に苦しみました。
【大橋和子さん】
「これがね、どれかぁ思います?これ。見えんでしょ。ここから上が見えんようにしよった。捨てた。泣きながら破って捨てた」
短大でせっかく取得した教員免許や保育士免許も、一度も使うことなく隠れるように、生活をしてきました。
【大橋和子さん】
「これ結婚写真、恥ずかしいような」
転機は夫との出会いでした。
家族の知り合いで、家に出入りしていた夫克己さんが、和子さんを見初めてくれました。
【大橋和子さん】
「やさしかったよ」
夫克己さんは30年近く前に亡くなりましたが、子供1人と孫2人今ではひ孫も6人、幸せだと語ります。
【大橋和子さん 被爆証言】
「どうかみなさん戦争を阻止してください」
初証言の後も和子さんは精力的に伝え続けていました。
【大橋和子さん 被爆証言】
「小学生の皆さんには申し訳ありませんけどこれは説明ができません。この場面だけはつらくて」
これは、大橋さんが小学生には見せていない原爆体験の絵です。
首から上と、手足が半分ない赤ちゃん。
それを背負って歩くお母さんの姿。
【大橋和子さん】
「子供にはよう言わんです。言えんです。本当に体験した百分の一もよう話してないと思いますよ」
元気そうに見える和子さんですが4度の手術で、体は万全ではありません。
【咳をする和子さん】
【大橋和子さん】
「血圧がね、どうしてもちょっと変動が激しいんで。今低い方で、ちょっと休んどきゃ大丈夫です」
こんな日は、弱音も出てきます。
【大橋和子さん】
「本当言うと資料館に行きたくないんですよね。必ずにおうてくる。それはもうどうしようもないかねと思って。もう近くにいくともうバーと押し寄せるけどそういうこと言っといたら伝えることはできんと思って」
過去を乗り越えることは、決して簡単なことではありません。
和子さんを支える人もいます。
【大橋和子さん】
「行ってきま~す」
【出山ひさ子さん】
「安全運転で行きますんで」
出山さんは和子さんが食堂を営んでいた10年前に、お客さんとして出会いました。
他の被爆者の被爆伝承者をしてきた出山さん。
運転や、パソコン作業など和子さんを助けてしてくれます。
この日は広島市内まで送迎です。
【出山ひさ子さん】
「広島市内に近づけられん、近づくのが怖いっていって。どれだけ勇気のいることかなと思って」
【大橋和子さん】
「行くと決まったときにはその日の1~2時間前からずっと自分を自問自答するんです、ずっとなだめていくんですよ。それはもう友達と思うて、においが来たか来たかいう気持ちで受けています。だから大丈夫です」
それでも、爆心地に近づくと…
【咳をする和子さん】
【出山ひさ子さん】
「伴走者でありたいと思ったんです。大橋さんが歩まれる道を私は支えていくと心を決めたので、大橋さんの気持ちが続く限り私はサポートしていきたいと思っています」
出山さんは、和子さんの被爆体験を継承したいと考えています。
【大橋和子さん 被爆証言】
「熱い中、お忙しい中をきょうはようこそお越しくださいました」
万全のサポートを得た和子さんは、過去と真正面から向き合いながら伝え続けます。
【大橋和子さん】
「これからも1人でも多くの方に少しでも知ってもらいたいというのが一番の望みです。命のある限り、私の使命かなと思います」
