「ひろしま満点ママ!!」から。
22日は、広島の歴史を語るうえで欠かせない放射線影響研究所です。
その歴史と意外な姿を調査しました。
【村上果穂リポーター】
「比治山を歩いていると、ひときわ目を引く建物があります。それがこちら放射線影響研究所。存在は知っているという方もいらっしゃると思うんですが、一体どんな施設なのか、今日はしっかりと調査したいと思います」
かまぼこ型の建物が印象的な広島市南区の放射線影響研究所、通称「放影研」。
普段、一般公開はされていませんが、今回は特別、広報担当の安永さんに、案内していただきました。
【村上リポーター・放射線影響研究所 安永あこさん】
「そもそも放影研という施設はどんな施設なんですか」
「はい。 私たち、日々被爆者の方、被爆2世の方にご協力いただいて、健康診断をさせていただいているんですけれども、そのデータをもって研究をしています。日々、放射線が人の体に与える健康影響の研究をしている機関になります」
「放影研」の歴史は1945年、原爆投下の1ヶ月後に研究者によって編成された日米合同調査団に遡ります。
1947年には、アメリカが原爆傷害調査委員会ABCCを開設、翌1948年には、日本の厚生省も加わり日米共同での研究が始まりました。
1975年に、ABCCから放影研へと再編され、現在も日米共同で調査研究が続けられています。
【村上リポーター・安永さん】
「具体的にはどんな研究が行われているんですか」
「基本的には、被爆者の方に 2年に1回、2世の方に4年に1回お越しいただきまして、健康診断をさせていただくんですね。 集団調査というふうに呼ぶんですけれども、対象となる方をお一人お一人見させていただくんですけれども、そのデータを全てまとめてですね、全体的な傾向、原爆の放射線を浴びた方が、その後どういうふうな健康影響が出ていく傾向にあるのかという全体としての傾向を見るというのが、放射線影響研究所の研究手法になるんですけれども」
その研究において、特に重要な役割を担っているのがこちらのバイオサンプル研究センターです。
【村上リポーター・安永さん】
「検診にお越しいただいている皆さんからご提供いただいているバイオサンプル、血液だったり、尿だったりのバイオサンプルを保管しているフロア部署になります」
「お邪魔します」
「今ここ入ってきていただいたのが冷凍庫が並んでいるフロアでして」
「すごく奥まで広く」
「ここのフロアに並んでいるものは全て冷凍庫で-80度で全て保管をさせていただいているフロアになります」
「-80度!」
別の部屋に、巨大な冷凍庫が置かれていました。
自動搬送式のロボット式フリーザーです。
「放影研」には亡くなった人の物も含め1969年からこれまでに提供を受けた血液と尿のサンプルが全て保管されています。
一体なぜ、全てのサンプルが保管されているのでしょうか?
【安永さん】
「10年後、20年後、 50年後、100年後になると、もっともっと今の私たちでは想像もつかないような科学技術がきっと進歩して開発されていくはずなので、そういった技術でも実際に被爆者の方、 2世の方の生体資料を調べさせていただけるようにという、未来の科学技術を期待して保管しているという側面もございます。 2年おき、4年おきのものを保管させていただいてますし、もちろんすでに亡くなってらっしゃる方のものも我々お預かりしてますので、もう二度と、もう一度くださいということが決してできないんですね。私たちが未来につないでいかないといけない生体資料でもあるというふうに私たちは考えています」
かつて、「研究はするが治療をしない」と批判を浴びることもあった放影研の研究ですが、その成果は現代の私たちの暮らしにも大きく役立っています。
【安永さん】
「わかりやすい例が実はこれなんですね。これは通称DSO2というふうに呼ばれていまして、簡単に言いますと、どれくらい放射線を浴びたのかが計算式で出せるようになったというのが研究成果の一つではあるんですね。もちろん、被爆者の方の健康福祉に役立てていただくためというところが私たちの 第1の目標ではあるんですけれども、実は私たちの日常生活にも常に使われていまして、レントゲン技師さんがお仕事をされる時に、レントゲン技師さんも常に放射線を浴びる仕事現場にいらっしゃいますよね。年間でどれぐらいの線量までの被爆になるように、お仕事の時間をこういうふうにコントロールしてくださいねとか、もっと大きいところで言いますと、宇宙飛行士の皆さんもそうなんですね。 宇宙空間というのは、この地球上よりももっともっと高い線量の放射線が飛んでいる空間になりますので、宇宙船の外で作業をされるっていうことは、そういった場面が宇宙飛行士の皆さんありますので、その時にどういう格好で、どういう状況で、何分まででとかっていう細かいルールがたくさんあるんですけれども、その放射線防護基準を作る上での必要なデータというものに活用していただいてます」
来年度には、広島市南区にある広島大学霞キャンパスに移転することが決まっています。75年以上使われてきた建物がどうなるかはまだ決まっていません。そして、放影研にはもう一つ歴史的な建物があります。それが、研究所の横にあるこちらの施設です。
【安永さん】
「これが数年前まで実際に人が住んでいたんですけれども。うちが使ってます。もともと職員寮だった建物ですね」
「比治山ホール」と呼ばれるこちらの建物、3年前まで放影研の職員が住んでいたのですが、現在は使われていません。今回は、特別に中を見せてもらいました。
【村上リポーター・安永さん】
「なんと。おしゃれすぎませんか?広いこのホールは何ですか?」
「今入ってきていただいたこの部屋が、もともと食堂として使われていたフロアになります。イメージとしては社員食堂みたいな形で」
「社員食堂にしてはおしゃれすぎますよ。このほら、電気とかもちょっとおしゃれな感じで」
中でも気になる場所が…。
【村上リポーター・安永さん】
「螺旋階段ですか?これ」
「そうですね。おしゃれな螺旋階段」
「しかも上から吊ってるんですよ。この階段」
「そうですね。階段、下からの支えはなくてですね、吊り階段になってます」
「すごいおしゃれ」
1953年に作られたこちらの建物は、前川國男による設計。
モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事し、戦前・戦後の日本建築界を牽引したと言われる建築家です。
螺旋階段を2階に上がると…?
【村上リポーター・安永さん】
「お部屋があるんですか?」
「二階も居室があるフロアになってまして、ここ見ていただくのがこちらはいわゆる単身者向け」
「えーおしゃれですね」
「そうですね。アメリカのドラマで見るような」
「海外のホテルを彷彿とさせるような」
「そうですね、はい。こっちは収納なんですけど、実は一番こっちの開けるとですね、中が洗面台に」
「洗面台も収納するんですか?」
「そうですね。シャワーとかは共用になるんですね。なのでたぶんちょっと歯を磨いたりとか、起きてすぐ顔を洗ったりみたいなのをここでやってたんじゃないかなというふうに」
「収まってることで、すごくおしゃれに見えますし」
「そうですね。生活感が隠れますよね」
「隠したいですよね、やっぱり」
「ですよね」
役員家族用の居住スペース、ベッドルームがゆったりとしているほかリビング・ダイニング・キッチンもひと続きになっていて広々としています。
【村上リポーター・安永さん】
「作りが独特で面白いですね」
「そうですね。なかなか現代の建物とか、人のお宅では見ることがないような配置かなと思います」
「新鮮ですね」
バルコニーに出ることもできるそうで…。
「わー、見晴らしがいいですよ」
「瀬戸内海が見えるんですけれども、こっちの方向、真正面に見えているのが宮島ですね」
「あれが!目の前だ」
「広島市中心部にいるとは思えないこの静かさ」
この「比治山ホール」も、今後の活用方法について議論が続いており注目されています。
「もう入った時のあのホールがおしゃれすぎて、引っ越しをしても、ちょっとぜひね。広島の歴史をずっと見てきた施設じゃないですか。だからね、その歴史を伝えつつ、残していってほしいなと願いたいですね」
