ソチ、平昌と2大会連続でオリンピック銀メダルを獲得した渡部暁斗。その両方でライバルとして立ちはだかったのが、ドイツのエリック・フレンツェルでした。ワールドカップ通算303試合出場という最多記録を持つ渡部が、20年間の競技生活を通じて見つめ続けたもの。ライバルとの友情、家族の存在、そして競技への深い愛情。オスロでの現役最終戦を経て、渡部暁斗は今、何を語るのでしょうか。
■宿命のライバル、フレンツェル
2014年ソチ五輪でも、2018年平昌五輪でも、最後に渡部の前に立ちはだかったのはドイツのエリック・フレンツェルでした。
「悔しいですね。2回ともフレンツェルで、自分から仕掛けてもいるんですよ、この2試合に。でも完敗で」と渡部は率直に語ります。
フレンツェルの強さはどこにあったのでしょうか。
渡部の分析によれば、「抜群にやばいわけじゃないんですよ。でもこうポイントを押さえてくる感じ」なのだといいます。
能力的に大きな差があるわけではないものの、大事な場面で必ず外さない。
「メンタルはかなり強い選手だと思います。精神的に彼はすごい強い」と渡部は語ります。
ワールドカップのシーズン中でも、ここは取らなければならないという試合を確実に制す、「火事場のバカ力みたいなのがある選手」だと表現しました。
しかし、そのライバルとの間に、いつしか深い友情が生まれていました。
「交流がある。1番交流があるかもしれない」と渡部は言い、フレンツェルの自宅を訪問したこともあると明かしました。
競技について語り合うのではなく、「家族のこととか、まあ自分のその趣味のこととか」を話す間柄だといいます。
引退を報告した際は、現在コーチとして現場にいるフレンツェルから「君の人生を応援しているよ」というポジティブな言葉が返ってきたといいます。
「やっぱりこういう真剣勝負があったからこそかな」と渡部は静かに振り返りました。
■総合優勝の山に「誰もいなかった」
2017-18シーズン、ワールドカップ個人総合優勝を「本物」と信じて戦い続けてきた渡部でしたが、その栄冠を手にしたことで、逆にオリンピックへの思いが変化していったといいます。
「1番険しい山に1人で登っていって、登頂したんだけど、でも誰もいないじゃないですか」と渡部は表現しました。
ワールドカップ総合優勝は紛れもない偉業ですが、それを共有できる人の数が少ない。
一方のオリンピックは、声援を受けながら多くの人とその瞬間を共有できます。
「誰かと登りたくなった感じ」と渡部は言います。
「そのスポーツの素晴らしさだなと、そのときは思いましたね」と、オリンピックの価値を改めて認識した経緯を率直に語りました。
銀メダル2回という結果が残るからこそ、「もう少しみんなとわいわい登れる、こうイエーイっていう登山がしたくなった」という言葉の重みが伝わってきます。
■「50対50」たどり着いた哲学
ジャンプとクロスカントリーという、相反する能力を同時に磨かなければならないノルディック複合。
渡部は長年の競技生活の中で、「50対50」というシンプルかつ深い哲学にたどり着きました。
「どっちかに偏るとおかしいことになってくる。いろいろバランスを変えてやってみたけど、やっぱり五分五分でやって」という結論です。
ただ、その真ん中を支えるものとして、渡部が最も重要視していたのが「身体操作のトレーニング」でした。
「人体を操るっていう、まあそこのポイントを押さえておけば、ちょっと51パーと49パーになったとしても全然バランスが取れる」といいます。
体のことをしっかり勉強し、自分の体を思ったように動かせる状態を作っておくこと。「それが1番この真ん中を押さえておくという意味で大事かなと思いながらやっていた」と渡部は語りました。
スキージャンプは陸上競技と異なり、フィジカルの能力があまり反映されないという側面もあると渡部は分析します。
「筋力が弱い選手でも、うまさがあれば逆に飛べたりとか」という特性があり、クロスカントリーに比べてテクニックの比重が大きい。
だからこそ、どちらの競技においても「正しい位置」に乗り続けること、「正しいタイミングで正しいポジションで踏む」ことが最も重要だと語りました。
■妻「そんなんだったらやめれば」
2022年北京オリンピックを終えた後、渡部の中でぼんやりとした迷いが続いていました。
やめてもいいと思いながら、しかし完全には踏み切れない日々。
その状態は、本人が気づかないうちに日常の言葉にも表れていたといいます。
「家の中で、いやもう俺も年取ってきたから、若いのに勝てなくなってきたわみたいな発言が増えていたらしい」と渡部は語ります。
そんな渡部に、妻がある日言い放ちました。「そんなんだったらやめれば」
この言葉は、弱音を許さない叱咤でも、引退を促す圧力でもありませんでした。
「自分が1番、100対0でスキーに振っていた時を知っているから、彼女も競技者でしたし、そんな中途半端な気持ちを見たくない、ということを言っていた」と渡部は振り返ります。
「家族にも振りもしない、競技にも振りもしない、なんかどっちつかずの状態だった」ことを、妻の言葉が鮮明に照らし出したのです。
その言葉を受けて、渡部は決断。
最後のシーズンは「限りなく100に近い状態で、最後ここまでやり切ろう」という覚悟で臨みました。
それがミラノ・コルティナオリンピックであり、そしてオスロでの現役最終戦へとつながっていきました。
■盛大に祝ってもらったラストレース
ノルディックスキー発祥の地、ノルウェー・オスロで行われたワールドカップ最終戦が、渡部の現役303試合目にして最後の舞台となりました。
この試合は、ワールドカップ最多出場記録の更新でもあります。
当日は、渡部自身のこれまでの写真がプリントされた特別なジャンプスーツがチームからサプライズで用意され、「朝から晩まで、こんなに盛大に祝ってもらっていいのかと思うぐらい」の一日だったといいます。
試合を終えた後のファイナルパーティーでは、各国の選手やコーチ、スタッフから次々と声をかけられ、「暁斗コール」で送り出されたといいます。
さらに日本チームからは胴上げも。
「普段そんなにこう言ってくれることもないので、言われることもないから、なんかすごく感激しました」と渡部は語ります。
「302試合はずっと真剣にただやってきて、ようやくその真剣じゃない1試合を最後にちょっとだけ味わえた感じでしたね」その言葉が最も雄弁に、20年間の競技人生の重さを物語っていました。
最後の試合の出来について「120点でした」と語った渡部の表情は、これまでで最も穏やかでした。
■複合は「噛めば噛むほど味が出る」
現在、ノルディック複合は次回のオリンピック種目から除外される可能性があるといいます。
男女平等が叫ばれる中で、女子種目が採用されていないこと、出場国がヨーロッパに偏っていること、視聴率の低さなどが課題として挙げられています。
渡部は「除外のやり玉に上がっても仕方がないとは思う」と前置きしながら、「1924年の第1回大会から残っている伝統種目でもあるし、それをそんなに簡単に除外にしてもいいのかという気持ちもある」と複雑な思いを吐露しました。
一方で、渡部がこの競技に感じている魅力は明確です。
「一見するとおもしろみが分からない競技だったりもすると思う、初見は。でもやっぱりこう噛めば噛むほど味が出てくる」と語ります。
「2種目やるからこそ、人間性が出てくる。ただの才能があるだけじゃないという、その努力の仕方がレース展開に表れてきて、完璧じゃない人間たちが繰り広げるレースの味みたいなものがすごくおもしろい」と渡部は続けました。
引退後の自身のビジョンについては、「今まで1番本当にやりたいことをやってきたので、夢中になれるようなことに出会いたい」といいます。
悩んだ結果、渡部は6月1日、北野建設スキー部のゼネラルマネージャーに就任しました。
ノルディック複合の「1番のファンでもある」と語る渡部。
雪上に刻んだキング・オブ・スキーの軌跡は、次の章へと続いていきます。
※この記事は、2026年5月10日にNBS長野放送で放送した「北野建設Presents 雪上に刻んだ軌跡 キング・オブ・スキー 渡部暁斗」をもとに構成した内容です。(全3回の記事その3)