岩手県八幡平市の南東に位置する松尾地区、もとは松尾村でしたが、2005年に安代町・西根町と合併して八幡平市となった。

明治時代に県が地域の地理や歴史・産業などを調べまとめた岩手県管轄地誌には、松尾村の読み方が「マトウ」と書かれ、「マ」は間(あいだ)、「ト」は場所という意味で山間部を示す地名ではないかと考えられている。

長年にわたり岩手県の地名を調べている宍戸敦さんによると「もう一つの説は、松尾の辺り全体を見ると、山並みが麓(末端)まで下りてきている。「尾」が先端部分、それが地名となった」と考えられるという。

松尾地区にある長者屋敷公園には、大きな岩から湧き出る長者屋敷清水がある。
清水は「岩手の名水20選」に認定され「太刀(たち)清水」とも呼ばれている。

「長者屋敷と太刀清水」の由来について宍戸さんは「長者屋敷に蝦夷の長である『登喜盛(ときもり)』という人物がいた。伝説によると「登喜盛」が各地から財宝などをかすめ取った。財を築いた地と言われている。登喜盛を坂上田村麻呂(征夷大将軍)が、成敗をするということになる。坂上田村麻呂が登喜盛を剣で成敗した。その剣を清めたところが、太刀清水と言われている」と説明する。

さて、松尾地区には1970年ごろまで硫黄を産出していた松尾鉱山があった。
最盛期には、国内需要の約8割をしめ「東洋一の硫黄鉱山」と松尾鉱山は呼ばれた。

資料を保存・展示している施設(八幡平市松尾鉱山資料館)で、実際に鉱山で働いていた畑覺さんに当時の様子を聞いた。

松尾鉱山で働いていた 畑覺さん:
坑内に多くの仕事があった。スコップでの積み込み作業や掘った後の穴を埋める仕事。松尾鉱山の硫黄は火がつきやすく火薬を作るのに適していた。化学繊維(の原料として使用)だから需要があった。

最も栄えた時期には、約1万5000人が暮らし集合住宅や学校、映画館などが整備された。

畑さんは「鉱山直営の店がメイン、個人店が時計店と靴店と豆腐店(など)。映画は毎日上映、映画はいっぱい見た。芸能人をたくさん呼び、当時有名だった人はほとんど来た。若い人たちが集まってダンスをしながら歌っていた」と当時の事を振り返る。

「雲上の楽園」と呼ばれるほど発展した松尾鉱山、戦後の高度経済成長で硫黄鉱石の需要がなくなり閉山した。

資料館では鉱山の存在や意義を今に伝える。

松尾鉱山で働いていた 畑覺さん:
ここに(資料館)来ると若返ったような感じがして、癒やしを感じる。

日本の近代化を支えた鉱山と、今も岩から湧き出る名水、松尾の由来となったこの山あいの地から、たくさんの歴史が生まれ今へと続いている。

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