江戸時代、寛政年間に起きた「島原大変(しまばら・たいへん)」と呼ばれる津波の犠牲者を慰霊する供養祭が1日、島原市で営まれました。
島原市中堀町のアーケードの一角に建つ「宝篋印(ほうきょういん)塔型流死供養塔」です。
1792年の地震で眉山が崩壊し対岸の熊本と合わせ約1万5000人が津波で亡くなった「島原大変」の犠牲者を慰霊するため災害の翌年に建てられました。
今も毎年5月1日に地元の住民が供養祭を営み、200年以上も前の犠牲者に思いを馳せながら災害の教訓を伝え続けています。
供養塔奉賛会 隈部政博会長
「供養する気持ちに変わりはない。これからもみんなに伝えて大切に守っていきたい」
しかし、供養塔は2026年度の完成を目指す市道の拡幅のため移設が予定されていて、この場所での慰霊祭は2026年が最後となる見通しです。
防災に詳しい長崎大学 高橋和雄名誉教授
「生活と災害を忘れないということをバランスを取りながら」
「なるだけ近くで地域と離れないところに移転して(慰霊祭を)継続してほしい」
島原市指定の文化財が移設されるのは初めてで、古川市長は今後、移転先を絞り込みたい、と話していました。