「とてもきれいです。白い桜なので、とても映えます」。

上海から足を運んだ女性は、笑顔でそう話してくれた。

中国・江蘇省無錫市(むしゃくし)の太湖の水面に浮かぶ半島、黿頭渚(げんとうしょ)。中国政府が定める観光地の格付けでは、最高ランクの5Aに位置付けられている名所だ。普段は上海から車で2時間ほどで到着する場所だが、観光シーズンの最中、各地からの訪問客で道路は渋滞し、倍の4時間かかった。晴天に恵まれたこの日、車を降りると、人々の笑顔と話し声があふれていた。日本の花見とよく似た光景に春の訪れを感じた。

中国・江蘇省無錫市の黿頭渚の桜
中国・江蘇省無錫市の黿頭渚の桜
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ここで特に人々を魅了しているのが、桜だ。春になると、100種類以上、3万本を超える桜が咲き誇る光景は、中国有数の花見の名所として知られている。地元メディアによると、2026年3月28日、29日の2日間だけで、訪れた人は18万5000人を突破した。

そして、実はこの桜は日本と深い関係がある。日中戦争に従軍した一人の日本人男性が、戦場となった中国の地に平和への祈りを込めて植えた桜なのだ。その後も桜の植樹は毎年行われ、男性が亡くなった後もその遺志は娘夫婦へと引き継がれ、活動は40年近く続いてきた。

だが2026年、その活動に異変が生じた。

「過去のことは忘れましょう」中国人の一言が心動かす

活動の創設者は、長谷川清巳さん(故人)。1942年に徴兵され、中国に野戦部隊の一員として送られた。「殺すか殺されるか、2つに1つしかない」。凄絶な体験は、戦後も長く、家族にさえ語られることはなかった。

長谷川清巳さん。無錫市から贈られた太湖石を三重・鈴鹿青少年センターに寄贈。
長谷川清巳さん。無錫市から贈られた太湖石を三重・鈴鹿青少年センターに寄贈。

転機は戦後30年以上経ったあとに訪れた中国への旅だった。長谷川さんは、何度も訪中を重ねるなかで、ある夜、中国人からこう尋ねられた。

「昔、中国に来たことがありますか」。長谷川さんは「ハイ」と答えただけで黙っていた。しばらくして今度は「何のお仕事で来ましたか」と聞かれた。これに対し、返事に詰まる長谷川さんの心を察したのか、その中国人はこう言って話題を変えた。「過去のことは忘れましょう。楽しく一杯やりましょう」。長谷川さんはこの夜の言葉に、深く感銘を受けた。

園内の水辺を歩く観光客。桜に囲まれている景色は美しい。(中国・江蘇省無錫市)
園内の水辺を歩く観光客。桜に囲まれている景色は美しい。(中国・江蘇省無錫市)

1986年、長谷川さんは訪中団を募り、中国各地を訪問した。その中で、無錫市側の歓迎の席で桜の植樹を提唱すると、その場で承諾された。

なぜ桜なのか。長谷川さん自身はこう言葉を残している。

「桜の木は日本の普通の人々の平和を愛する安らぎの心の木であり、平和を願う日本人の心を桜に託し、日中友好の促進と世界平和を願い、そのシンボルとして友好が深まることの願いをもって贈りたい」

それから2年後の1988年2月29日、長谷川さんは、日本から集まった約400人の参加者とともに、太湖のほとりで1500本の桜の苗木を植えた。

その後も、長谷川さんらは中国を毎年訪れ、1994年には「日中共同建設桜友誼林保存協会」が正式に発足。募金活動や参加者から苗木の購入費用を集めて、中国での植樹活動を行ってきた。これまでに延べ1万5000人にのぼる日本人が参加し、植えられた桜は年々増えていった。今では中国最大規模の桜の名所へと育った。

父の遺志を継いだ娘夫婦

長谷川さんが2009年に亡くなると、バトンは娘の喜代子さん(75)と、その夫・新發田(しばた)豊さん(74)=埼玉県毛呂山町=へと引き継がれた。

2025年の植樹式の様子。真ん中の書を持つ男性の左が新發田喜代子さん、右が夫の豊さん。(写真:喜代子さん提供)
2025年の植樹式の様子。真ん中の書を持つ男性の左が新發田喜代子さん、右が夫の豊さん。(写真:喜代子さん提供)

喜代子さんはこの活動について、「父が始めたことですが、大勢の人が中国に関心を持ち日中友好を願っている事を知りました。これを続けていくことが友好の証だと思いました」と話してくれた。

こうした活動の輪は、若い世代にも広がりつつある。桜友誼林保存協会は、学生と社会人が共に活動を担う民間団体「日中未来創想会」とともに、友誼林の活動を次世代へつなごうと、2025年に東京でPRイベントを開催。約40人が集まり、桜植樹の歴史や意義について語り合った。このほかにも、中国・無錫や近くの揚州の小学生を日本に招くなど、中国の若い世代とも交流を行ってきた。

コロナ禍の2020年から2023年では現地訪問は叶わなかったものの、ビデオメッセージを送ることで、交流が途切れることはなかった。2025年の植樹式では、例年参加していた上海の日本国総領事館だけでなく、北京の在中国日本国大使館から金杉憲治大使も出席した。出席者によると、式典の内容は、日本文化を感じさせるものが多く、日本側の参加者も胸を打つものがあったそうだ。

届かなかった招待状

しかし、2026年の春、例年と違う事態が起きた。

桜の植樹式に、日本側への招待状が届かなかったのだ。活動開始以来、初めてのことで、在上海日本国総領事館にも届かなかった。喜代子さんはこう話した。

「昨年12月頃、日中関係が厳しい状況だから難しいと案じていました。12年のお付き合いの担当者に直接連絡して聞きました。 式典は縮小して行う、日本の私たちは参加できないとの事。言葉には出しませんが、お互い現状を理解しているので『わかりました』と答えました」。

満開の桜を背景に記念撮影する親子(撮影:工藤雄矢)
満開の桜を背景に記念撮影する親子(撮影:工藤雄矢)

2025年11月の高市首相の台湾をめぐる発言以降、中国側は日本に関連するイベントへの対応を厳しくする場面が増えている。コロナ禍さえも乗り越えてきた民間交流が、今度は政治の波に飲み込まれた。

続けて、喜代子さんは複雑な胸の内を明かしてくれた。

「無錫(の担当者)へは何も言えないジレンマはありますが、相手も詳しく話しません。 信頼は揺るぎ無いと信じています。ひと言で信頼が壊れるのが怖いので、暗黙の了解です」。

それでも、桜は今年も咲いた

2026年も、無錫の桜は変わらず満開を迎えた。平日にもかかわらず、中国各地から訪れた人々が桜の下で写真を撮り、笑顔を見せた。「中日櫻花友誼林」と書かれた石碑の前では、順番待ちで、写真撮影している様子も窺えた。

桜のトンネルの下、笑顔で花見を楽しむ人々。平日にもかかわらず多くの観光客が訪れていた。(撮影:工藤雄矢)
桜のトンネルの下、笑顔で花見を楽しむ人々。平日にもかかわらず多くの観光客が訪れていた。(撮影:工藤雄矢)

黒龍江省から来た男性は、「当時の中国政府と日本の協力に感謝している。おかげで、こんなに美しい桜を楽しめる」と述べ、2026年に日本側が招待されなかったことについては、「中日友好は夫婦みたいなもので、喧嘩もある。でも長期的に見れば、良い面の方が多い」と話した。

広東省から来た男性も、「こういうことは政治の影響を受けないのが一番。この桜は中日民間交流の良い面を象徴している。維持して発展させるべき」と、静かに言葉を選んだ。

「中日櫻花友誼林」と書かれた石碑の前で写真を撮る人で、列ができていた。(撮影:工藤雄矢)
「中日櫻花友誼林」と書かれた石碑の前で写真を撮る人で、列ができていた。(撮影:工藤雄矢)

2027年は、桜を植え始めてから、節目の40年目にあたる。日本人が植えてきた桜の木は、今や中国の春の風景に溶け込んでいる。

「平和を願う日本人の心を、桜に託して」

長谷川さんが遺したその言葉は、招待状の届かない春にも、3万本の花びらとともに風に舞っていた。

喜代子さんは、「桜を見れば、皆さん笑顔になります。お花見ができるのは平和だからこその楽しみです。『日中友好、世界平和』を願っています」と話す。

桜友誼林保存協会のメンバーは高齢化が進み、活動を支えてきた世代は確実に少なくなっている。それでも長谷川さんをはじめ、戦争を知る世代が紡いできた思いは、桜となって太湖のほとりに根を張っている。政治の波に揺れながらも、民間が積み重ねてきたものは簡単には消えない。その思いを絶やしてはならないはずだ。
(取材・執筆:FNN上海支局 工藤雄矢)

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工藤雄矢
工藤雄矢

FNN上海支局特派員。1991年大阪府生まれ。2015年関西テレビ入社。報道カメラマンとして京都アニメーション放火殺人事件、コロナ発生時の病棟取材など国内外の現場を取材。ドキュメンタリー撮影で民放連テレビ報道部門優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞など受賞。2024年から上海赴任。