東日本大震災の発生から15年。

言うまでもなく発災は3月11日だが、原発事故の対応という点では3月17日も忘れられない日と言える。自衛隊が福島第一原発への空からの放水を行い、地上からも自衛隊や警察の放水が初めて行われた日だ。

放水直前の福島第一原発の様子 建物が大きく損傷している 2011年3月
放水直前の福島第一原発の様子 建物が大きく損傷している 2011年3月
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今回フジテレビでは13日(金)21時から22時52分まで、当時ヘリや地上からの放水にあたった自衛隊員らの決死の任務を取材し、初公開映像を含む当時の映像を交えたドキュメンタリードラマ「3.11~東日本大震災15年 福島第一原発事故 命の戦い~」を放送。

この取材の中で改めて明らかになったのが、見えない放射線、予期せぬ爆発、そして政府の方針による任務の変更に懸命に対応する自衛隊員の3月17日、さらに18日にかけての戦いだった。

放水ヘリの副操縦士が語る任務の決定

ヘリからの放水を行った1人が、当時第1ヘリコプター団の一員だった山岡義幸氏だ。

山岡氏は、11日の地震発生の際は千葉県の木更津駐屯地周辺で訓練飛行をしていて、地震の揺れを体感することはなかった。

激しく爆発・炎上するガスタンク 千葉・市原市 2011年3月11日
激しく爆発・炎上するガスタンク 千葉・市原市 2011年3月11日

訓練を終えると直ちに東北に向かう任務が与えられ、市原市のガスタンク火災を目の当たりにした。

翌12日の午前中には、当時の菅直人首相ら政府の調査団が原発を含む被災地を上空から視察した飛行の一員として参加していた。この頃までは山岡氏らの任務は人命救助などの災害対応全般だったという。

しかしその後、津波の影響で原発が冷却できなくなり、12日に1号機、14日に3号機の原子炉建屋が水素爆発。

東京電力の“本店”に乗り込む菅直人首相 2011年3月15日
東京電力の“本店”に乗り込む菅直人首相 2011年3月15日

15日未明には「東電が原発から撤退したいという話が来ている」との情報を受けた菅首相が東電本店に乗り込んで「撤退はあり得ない」と叱咤するなど、あらゆる手段で原発の暴走を止めなければいけないとの悲壮感が広がっていた。

そしてその15日、山岡氏らの隊に対し、ヘリで原発の上空を飛行し、空から原発3号機の使用済み燃料プールに放水する任務が下された。

事故当時第1ヘリコプター団の一員だった山岡義幸氏
事故当時第1ヘリコプター団の一員だった山岡義幸氏

これは、米国政府が燃料プールの水がなくなっている可能性を指摘し、日本はどこまで本気で原発事故対応に取り組むのかという疑念を抱いていたため、その疑念を払拭する狙いが日本政府にあったことがわかっている。

北澤俊美防衛相(当時)2011年3月
北澤俊美防衛相(当時)2011年3月

また、当時の北澤防衛相は「初期段階ではヘリ放水が非常に国民的にもわかりやすく効果が早いのではないかとの意見が非常に強かったこと」も理由に挙げている。

米国政府に対しても、そして日本国民に向けても、自衛隊を含む政府が一丸となって原発の冷却など事故対応に全力を尽くしていることを強調する狙いもあったこの任務。

原発周辺には大量のがれきが 2011年3月
原発周辺には大量のがれきが 2011年3月

山岡氏は、「地上から消防車とかでの放水によって水を投入しようとしたんですが、建屋の吹き飛んだ瓦礫やいろんなもので消防車が建屋に近づけない。また水が届かないという状況が発生して、空中からだったら水を入れるんじゃないかという話が出てきたと認識しています」と振り返った。

放射能の恐怖を乗り越える「使命感」と「家族のあと押し」

しかし、翌16日に別のパイロットが実施予定だったこの任務は、上空の放射線量が高すぎたため、実施が見送られた。

翌17日に再挑戦する形となり、山岡氏も副操縦士として飛行することが決まる。ただ、放射線量が大幅に下がるあてもなく、それであれば再びの見送りも十分ありうる状況だった。

しかし、その頃、首相官邸と防衛省の間では、17日には必ず実施すべきだとの方針が固まった。山岡氏はこう振り返る。

山岡氏らヘリの搭乗員はガスマスクと鉛が入った防護服を着用していた 2011年3月
山岡氏らヘリの搭乗員はガスマスクと鉛が入った防護服を着用していた 2011年3月

 「日本の国難の大地震において、1番機の副操縦士で選ばれたという名誉の気持ちや使命感というのはありました。
しかしながら放射能の影響というのが心配なところもありましたし、不安な気持ちもありました。それを出発前に家族に電話して、当日やることになった時に妻が私に、『誰かが行かなきゃいけないような危険なことであって、それがもしもあなただったとしたら、一生懸命頑張ってきてください』と応援してくれて、私の背中を押してくれた。
不安な気持ちも家族のおかげで気持ちを切り替えることができたと思っています」

山岡氏が乗っていたヘリ 空中放水を実施した 2011年3月
山岡氏が乗っていたヘリ 空中放水を実施した 2011年3月

3号機の建屋は吹き飛んでいて、上空には原子炉格納容器から漏れ出した放射性物質が高濃度で存在し、放射線量が非常に高いことは間違いない。

それを覚悟して空中からの放水に臨んだ山岡氏。その身体には放射線から身を守る鉛製の重さ計30㎏もの防護服をまとった。しかし、上空では、さらなる方針の変更への対応を迫られるなど、極限での任務が待ち受けていた。

山岡氏は、任務を終えたときの心境をこう振り返る。

「エンジンを止め終わってですね、改めて線量計の値を見た時にものすごい数値でしたので、任務が終わったこと、また体もこのままだと異常が起きるんだろうな、家族とも会えないかもしれないなと、いろんな思いが頭の中で駆け巡っていました」

福島第一原発は水素爆発で大きく損傷していた 2011年3月
福島第一原発は水素爆発で大きく損傷していた 2011年3月

そして、山岡氏は今、こう振り返る。

「やはり我々自衛官は、国民の平和安全のために一人一人が、陸海空自衛官すべて国民のために働くことが我々の使命であります。それをこの場でみんな認識して、みんな活動を通じてやっていると思っています。
福島第一原発の事故を通じて思ったのは、我々自衛官は本当に、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務めるには家族の支えがなければそういう気持ちになれない。
私の場合は背中を押してくれた家族がいて、支えがあったからこそ危険な任務に邁進できるというのが福島第一原発の事故を通じて改めて感じたことです」

爆発で部下が負傷 志願しての放水

一方、この空中放水と同じ3月17日の午後7時35分、地上からの放水に臨んでいたのが、当時、埼玉県の大宮駐屯地にある第103特殊武器防護隊の隊長だった大倉達也氏らだ。

第103特殊武器防護隊の隊長だった大倉達也氏
第103特殊武器防護隊の隊長だった大倉達也氏

大倉氏はこれに先立つ14日、部下らを3号機への給水に向かわせた際に3号機建屋の水素爆発が発生。部下らに怪我を負わせてしまっていた。責任を感じたという。

福島第一原発に向かう地上からの放水部隊 2011年3月
福島第一原発に向かう地上からの放水部隊 2011年3月

「やはり3号機爆発で部下を怪我させてしまい、家族も含めたところの責任というのは私すごく非常に重く受け止めておりました」

そして部隊は17日夜、地上からの放水をついに敢行。
大倉氏は翌18日の放水には自ら赴いて指揮をとった。この決断に至った心境について、こう振り返った。

放水直前に指示を出す大倉氏 2011年3月
放水直前に指示を出す大倉氏 2011年3月

「使命感なんですかね…自分がやらなきゃいけない、誰かがやらなきゃいけない、自分がやらなきゃいけない。そういう使命感ってやっぱりあったんじゃないのかなと思います。水素爆発があって、放射線が東日本全体に広がって、危ない状況になるかもしれない。そういったものを誰かが防がなきゃいけないという風な、そういう使命感だったと思います」

自衛隊による放水活動 2011年3月
自衛隊による放水活動 2011年3月

この大倉氏らの放水の映像が今回初めて公になるが、そこには、放射線量がどんどん上がる中で、複数の放水車が代わる代わる放水を続ける緊迫の一部始終が記録されていた。

この任務を振り返り、大倉氏このように語ってくれた。

大倉氏も化学防護車に乗り込み現場に向かった 2011年3月
大倉氏も化学防護車に乗り込み現場に向かった 2011年3月

「やはり教科書通りにはいかないというか、考えた通り、計画した通りにはいかない。どこかで計画の歯車が狂い出すそういったものが時々起こるので、そういったところにいかに対応していくか、柔軟性を持って対応していくかが大切なんだなと思いました。まさか他人が怪我するとも思っていないですし、教育の中で日本の原発安全だから危なくなるようなことはないというのをそれまでずっと教えていたんですけれども、そうじゃない事象が起きますし」

(フジテレビ 政治部) 

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