東日本大震災と原発事故から15年。福島県富岡町から避難したある家族は、葛藤の末に故郷へ帰還した。現在はそれぞれが別の場所で暮らすが、「富岡は故郷」という揺るぎない想いと強い絆を胸に、未来へ向かって歩みを進めている。
故郷での再出発
福島県富岡町出身の山内笑(えみ)さん。震災前は生まれ育った町で家族と平穏な日々を送っていたが、原発事故で生活は一変した。夫の隆生(たかお)さん、娘の海咲(みさき)さんとともに会津若松市、その後いわき市での避難生活を経て、現在は富岡町に戻っている。
笑さんは今、母親の栄子さん(73)が経営する警備会社で働く。帰還を決めた理由について、「やっぱり生まれ育った場所に戻りたい・帰りたいというのが一番で、母もゆくゆくは富岡に帰りたいと言っていたので、力になれたらいいなと思っていました」と語る。
警備の仕事は浜通りがメイン。そこには、復興を少しでも後押ししたいという親子の強い思いがある。母・栄子さんは「早くこっちに家族みんなで来てくれないかなって、いつも思っていました。まず社員を幸せにすることが第一、それと地元・富岡の何かお役立ちができればなと常々思っております」と話す。
家族それぞれの新たな挑戦
一方、福島県楢葉町出身の夫・隆生さんは一念発起し、2025年1月に手打ちうどんの店「山笑う(やまわらう)」をオープンした。
店名は俳句の季語に由来する。「春のスタートという意味もあって、これからお店を始めていくぞという思いでつけました」と隆生さんはその思いを明かした。
そして、震災当時小学3年生だった娘の海咲さんは、高校卒業後に東京へ進学。現在は都内でウエディングプランナーとして働いている。
15年前、一変した日常
原発事故後、一家は会津若松市での避難生活を余儀なくされた。先の見えない状況に、笑さんは当時、葛藤を抱えていた。
「故郷に帰れるようになった時に、もう娘が学校も卒業して結婚して、子どももできてってなると、やっぱり私たちからは一緒に富岡町へ帰ろうとは強制できない」
忘れられない故郷の記憶
原発事故から2年8カ月後、笑さんたちは一時的に立ち入ることが許可され、娘の海咲さんも通っていた母校・富岡第一小学校を訪れた。目的は、教室に残されたままの学用品を運び出すことだった。
思い出の品を避難先に持ち帰ることについて、当時12歳だった海咲さんは「心に残って大切な物になると思います。故郷ですごく大好きな所だったから」と話していた。
離れていても心は一つ
あれから12年あまり。家族はそれぞれの場所で暮らしているが、その絆は変わらない。笑さんは、東京で暮らす娘に故郷のことを伝え続けている。
「娘は震災時小学校3年生で記憶もあまりないと思う。でも“あなたの故郷はここ富岡だよ”ということは伝えている。私がいることによって“帰ってくる場所”だということは言っている」
さらに、「家族はこれからも変わらず強い絆で結ばれていると思っているので、誰がどこにいて何をしようとお互いを思う気持ちを大切にしながら変わらず仲良くやっていきたい」と家族への想いを語った。
「ここで自分ができることを」
今も一部で避難指示が続く富岡町。人口は約1万1000人だが、実際に町に住むのは2700人あまりで、多くの人が帰還に踏み切れない状況が続いている。
それでも、笑さんの決意は固い。
「変わらず自分がここにいる。ここで自分ができることをする。仕事もそうですし、町のために出来ることがあれば一生懸命やっていきたい。それで町が活性化すればうれしいですし、本当小さな力ですけど何か力になりたい」
家族との絆を胸に、故郷でこれからも生きていく。「あの日」から15年を迎えた笑さんの、揺るぎない想いだ。
(福島テレビ)