先ほども書きましたが、ゲームやアニメなどの日本作品が発売禁止など理不尽な被害にあっても、「早く遊びたかった」と愚痴る人はいても、その理不尽さに異論を提起する人はほとんどいません。
「それはそうだけど、私は遊びたかったんだよ」レベルです。
宗教から道徳を学ぶ?
アイデンティティは、人の生き方に「道徳」としての機能を果たします。
古い本ですが、1899年のアメリカで発売され、欧米での日本観に大きな影響を及ぼした新渡戸稲造著『武士道』を読んでみると、「キリスト教のような宗教がないなら、人々はどこから道徳を学ぶのか」と、欧米の友人が日本人の道徳観を不思議に思う場面が出てきます。
日本からすると、「えっ、じゃ宗教から道徳を学ぶのですか?」と、欧米のほうが不思議だったりしますが、欧米の文化において、キリスト教の教えは宗教的な側面(教義)だけでなく、生活的な側面(道徳)でも大きな影響力を発揮しました。
難しく考えることもないでしょう。「弱者を助ける」などがそうです。

私も一時、キリスト教徒だったことがありますが、「罪を犯したことがない人だけ、石を投げなさい(他人を判断しようとする前に、自分自身で基準を守っているのか省みなさい)」などは、「私には他人の道徳性を判断する資格がある」と思い込む人が多くなった最近の社会において、なかなか心に響く教えであるといまも思います。
そして、こうした「宗教の教理から来る道徳観」に、韓国の反日思想はとても似ています。
学校で直接教えるかどうかより、「どこにいても」その影響を受けるからです。

シンシアリー(SincereLEE)
1970年代、韓国生まれ、韓国育ちの生粋の韓国人。歯科医院を休業し、2017年春より日本へ移住。2023年帰化。母から日韓併合時代に学んだ日本語を教えられ、子供のころから日本の雑誌やアニメで日本語に親しんできた。韓国の反日思想への皮肉を綴った日記「シンシアリーのブログ」は1日10万PVを超え、日本人に愛読されている。初めての著書『韓国人による恥韓論』から第18弾『韓国の絶望 日本の希望』(扶桑社新書)など、著書は70万部超のベストセラーとなる。