ロシアによる軍事侵攻から1年半近く500日が経過し、西側の軍事支援を受けるウクライナ軍はロシアの支配地域の東部や南部で、反転攻勢を強めている。そうしたなか、ロシア人で構成され、反プーチンの立場をとる「ロシア義勇軍」を名乗る組織が、ウクライナから越境してロシア側に攻撃を仕掛けたことで世界を驚かせた。私たちはその戦闘員と接触を試み、話を聞けることになった。

ロシア連邦保安局(FSB)の元職員

7月、首都キーウ。約束をしては直前にキャンセル。そんなことが繰り返され、3度目の約束でようやく会えることになった。指定された市内某所に赴くと、その男性は笑顔で私たちを迎えた。ひげを蓄え、キャップをかぶった男だ。

イリヤ・ボグダノフ氏、ロシア・ウラジオストク出身の34歳。

「私はロシア連邦保安局(FSB)の現役将校で、階級は上級中尉だった。あと1カ月で大尉に昇進するはずだった。その前は、ダゲスタン共和国で工作員として3年間勤務し、ウラジオストク市の沿海地方国境警備隊でも1年間勤務していたんだ。」

ロシア連邦保安局(FSB)元職員のイリヤ・ボグダノフ氏
ロシア連邦保安局(FSB)元職員のイリヤ・ボグダノフ氏
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ロシア連邦保安局(FSB)と言えばソ連国家保安委員会(KGB)の流れを汲む、ロシアの情報・治安機関である。そのような国家の中枢機関に勤務していながら、政権に反旗を翻そうと思うようになった。

「私は、ロシア連邦には政治的な自由が存在しないことを十分に認識していた。街頭での過激主義から、特に政治闘争、友人の何人かが選挙に出ようとした時などだ。そして『マイダン』が起こったとき、ロシアでの革命が不可能であることが誰の目にも明らかになった。私は14歳からロシア連邦の民族主義運動に参加していたため、プーチン政権と戦いたいという思いがこの決断を後押しした。」

プーチン政権と戦うことを決意し、2014年にウクライナに移り住むと、ボグダノフ氏はすぐに東部”ドンバス”に向かい、ウクライナ軍の義勇兵として戦った。
その後、ウソ発見器に掛けられるなどの手続きを経て、ようやくウクライナのパスポートを手にすることができた。義勇兵として約1年間前線で過ごしたあとは戦闘地域を離れ、ブログを運営したり、洗車をしたり、また婦人服を運搬する仕事などをしながら生活していた。

侵攻直後、ロシア軍との激しい戦闘

そんな“一般市民”として生活をしているなか、迎えた2022年2月24日。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まると、ボグダノフ氏は再び武器を手に、戦地に向かった。

「2月24日、私は武器を支給された。その時点で私たちは、(2014年に)東部”ドンバス”で戦った退役軍人で構成されたゲリラ・グループに過ぎず、ウクライナの情報機関が監督していた。隊列が来るから待ち伏せして、グレネードランチャーで隊列を撃つ。燃えさかる橋を飛び越えたり、隊列をすり抜けたりした経験もある。
我々の戦闘員の何人かは民間人の服に着替えて、ブチャに入った。民間人を救出し、兵器庫に残った武器を回収していた。そのたびに危険は増していったが彼らは活動を続けた。別のグループはドローンを飛ばし、大砲を狙っていた。」

ボグダノフ氏が所属する部隊の一部が民間人になりすまし、潜入したのは、後にロシア軍が占拠し、民間人を大勢殺害したブチャだ。一方、ボグダノフ氏自身は、後に首都キーウ防衛の最前線となったイルピンに向かった。

「何度も通ったことのある道を車で走っていると、突然、兵士が十字路で『止まれ!止まれ!お前たちは何ものだ?』と、私たちを呼び止めた。私の銃はいつも弾が込められているし、安全装置も解除してあった。私は後部座席の右側に座っていて、直感的に何かがおかしいと気づいた。前方に向かって運転手と同乗者が『ウクライナに栄光あれ』と兵士に叫び返した。するとその瞬間、庭に歩兵戦車が停まっているのと、機関銃を持った兵士が窓の近くで横を向いているのが見えて、その1メートル未満の距離にロシアの3色国旗があった。ほんの数秒のことだった。私は発砲し、彼を殺した。」

直後に、周囲で機関銃が鳴り響き始めた。ボグダノフ氏を含む4人は、車から一歩も出ることができなかったという。

「私の前(助手席)に座っていた男性が外に出ようとしてドアを開けた途端、腹と胸に銃弾を受け、内臓が飛び出した。私の左隣の男性は…撃たれて腕も足もバラバラになっていた。衝撃を感じたあと…私は腕の感覚がなくなり、動かすこともできなかった。それでも私は左手を運転手に添え、冷静な声で『落ち着け。すべて正常だからアクセルを踏んでここから動こう』と指示した。怪我をしていなかった運転手は冷静になり、私たちはその場から走り去った。ロシア軍はその後、40メートルほど後ろを走っていた2台目の車に発砲し始めた。」

負傷したボグダノフ氏は、このあと腕の治療のため入院した。傷を見せてもらうと、20センチほどの縫合の痕が残っていた。銃弾が貫通し、腕の中には現在、チタン製のプレートが入っているという。

銃撃を受けた右腕には大きな傷跡が
銃撃を受けた右腕には大きな傷跡が

治療を終えて退院すると2023年9月、ボグダノフ氏はロシア義勇軍(RDK)に参加した。

ロシア義勇軍(RDK)への参加とロシアへの越境

「ロシア義勇軍は軍事的・政治的組織で、第1の目標はウクライナが1991年の国境に到達するのを助けることだ。そして、ウクライナの戦争が終わったら、我々の次の目標は、ロシア連邦の犯罪的政治体制を完全に解体すること。我々はまた、(別の義勇軍)ロシア自由軍団とは異なり、各国の自治権も支持している。つまり、誰かが分離独立を望めば、我々はそれに反対しない。」

ロシア義勇兵として活動するボグダノフ氏
ロシア義勇兵として活動するボグダノフ氏

ホームページによれば、ロシア義勇軍はロシア人志願兵で構成される組織で、2014年からウクライナ側で戦い、2022年2月24日からウクライナを守るために立ち上がっているという。兵士たちは、「保守的な考えと伝統主義的な信念を持っている」とも記されている。

ロシア義勇軍のホームページ
ロシア義勇軍のホームページ

ウクライナ国内から越境してロシア側と戦闘を行っていたのはまさにこの組織だ。

「私は5月から6月にかけてロシア・ベルゴロド州の作戦に参加した。軍事的な目的は、彼らの注意を(ウクライナ領内から)そらすこと、兵力を分散させること、兵站を混乱させること、計画に混乱を生じさせ変更させること、いくつかの軍事目標を破壊することなどだ。」

森の中で銃を構えるロシア義勇軍の戦闘員 (ロシア・ベルゴロド州)
森の中で銃を構えるロシア義勇軍の戦闘員 (ロシア・ベルゴロド州)

ボグダノフ氏がロシア領内で撮影した映像には、自らが車両に乗って移動したり建物を捜索している姿、火災が発生した森林の中を隊列を組んで行進していく様子などがあった。

さらに集落にある建物を取り囲み襲撃した直後に、ロシア兵を捕虜として捕らえる場面も映し出されていた。

建物を囲んで激しい銃撃戦が発生 (ロシア・ベルゴロド州)
建物を囲んで激しい銃撃戦が発生 (ロシア・ベルゴロド州)
直後に1人のロシア兵が捕らわれた
直後に1人のロシア兵が捕らわれた

こうした活動を行うロシア義勇軍についてロシア側は「ウクライナのテロリスト」と呼んでいる一方、ウクライナ側は「独立したロシアの地下組織」と説明し、あくまでウクライナ軍との関連を否定する。果たしてロシア義勇軍は本当にウクライナ軍の傘下になく、指示も受けていないのだろうか。

「ロシア義勇軍の状況についてはコメントできない。我々はボランティア部隊だと言っている。構造的なことについてもコメントできない。ただ、ロシアにとって我々は犯罪者、政権の敵であり、我々は指名手配されている。」

「ロシア領内で人を殺したか?」の問いに ボグダノフ氏は・・・
「ロシア領内で人を殺したか?」の問いに ボグダノフ氏は・・・

ロシア・ベルゴロド州への作戦はどれほど激しいものだったのか。「あなたも人を殺したのですか?」と訪ねるとボグダノフ氏は一瞬考えたあと、再び笑みを浮かべながら答えた。

「我々は戦争中だから・・・。」

「プリゴジンは愚か者、軽蔑しかない」

6月下旬にロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏が起こした武装反乱、いわゆる「プリゴジンの乱」をボグダノフ氏はどう見たのか。

「プリゴジンの反乱は、計画と意思を持ち、少なくとも3個大隊が背後にいれば、どんな人物でもモスクワに到達できることを示した。」

このようにプリゴジンの乱が示した成果については一定の評価をする。しかし、モスクワまでの進軍を中止したことは、裏切られた思いが強いのか、激しい言葉で非難した。

「プリゴジンは怖じ気づいた」
「プリゴジンは怖じ気づいた」

「彼は本気だったが、結果的に彼の目標、彼が声高に叫んだことは、自分自身とワグネルにとって、より良い条件を引き出すための駆け引きだった。
プリゴジンにはモラルも商才もなかった。プリゴジンは怖じ気づいただけで、これは陰謀論を抜きにしても言えることだ。
彼は権力を手にすれば何でもできた。誰も彼を止められなかっただろうし、誰もがそれに気づいていた。そして今、彼はただの愚か者だ。彼には軽蔑しかない。」

「ロシア政権崩壊に我々が重要な役割を果たす」

ボグダノフ氏は、戦争がどのような結末を迎えると見ているのか?最後に聞いてみた。

「もちろん、ウクライナが勝つだろう。ウクライナが勝つためには、ロシアを崩壊させることでしか達成できないと個人的には信じている。ロシア自体を崩壊させなければならず、そのためにはもちろんロシア自由軍が重要な役割を果たすことになる。」

「もちろん、ウクライナが勝つ」
「もちろん、ウクライナが勝つ」

そしてボグダノフ氏自身は戦いにどう関わっていくのか。

「私はロシアのナショナリストとしてウクライナに来た。しかし、2014年からの9年間ですべての見方が変わり、今は自分がロシア人だとは思っていない。でも、私はロシア連邦で生まれ育ったし、ロシア連邦を支持していた。それは私の運命であり、運命は私よりも強いものだ。私は負傷した時点で、自分の役割はすでに果たし、戦わないことも選択できた。しかし運命は私よりも強く、私はそこにいて、14歳のときに始まった戦いを終わらせなければならない。
私は義務を負い、運命を背負う男なんだ。」

およそ1時間半におよぶインタビューで、ボグダノフ氏は時に笑顔で、時ににらみ付けるような厳しい表情で語り、時折り疲れたような顔つきで大きなため息をつくなど、様々な表情を見せた。最後までウクライナ軍との関係は明かさなかったが、ロシア義勇軍が戦場を攪乱することで、ウクライナ軍が反転攻勢を強める中、少なからず戦況に影響を及ぼすことは間違いなさそうだ。

(FNNパリ支局長 山岸直人)

山岸直人
山岸直人

未来を明るいものに!感動、怒り、喜びや悲しみを少しでも多くの人にお伝えすることで世の中を良くしたい、そんなきっかけ作りに役立てればと考えています。新たな発見を求め、体は重くともフットワークは軽快に・・・現場の臨場感を大切にしていきます!
FNNパリ支局長。1994年フジテレビ入社。社会部記者、ベルリン特派員、プライムニュースイブニング、Live News αを経て現職に。ドイツのパンをこよなく愛するが、最近はフランスパン贔屓。