阪神・淡路大震災から31年を迎える神戸市中央区の東遊園地。この場所にある震災で亡くなった人や功績がある人の名前を、後世に伝える空間がある。
1月16日、新たに刻まれた名前がある。震災発生後、生涯を被災者支援に捧げ、去年99歳で亡くなった安田秋成さん。
仮設住宅で不自由な生活を強いられた人たちの暮らしを再建するため、神戸市とに何度も要望。年齢を重ねてからも同じ仮設住宅で暮らした人を訪ね歩き、安否確認を続けた。
かつて神戸市の職員として安田さんの要望を受け取り、長年交流があった高橋正幸さんも安田さんの名前が加えられるのを見守った。
元神戸市職員・高橋正幸さん:安田さんに『高橋さんあんたは戦友やで』って言われたときは一番うれしかったですね。
99歳まで“被災者支援”に捧げた人生でした。
■厳しい環境の仮設住宅での暮らし…自治会長として要求をぶつけることも
31年前の阪神・淡路大震災で、安田さんは神戸市兵庫区で被災。住んでいた家は全壊し、避難所生活を経て、ポートアイランド第3仮設住宅に入居した。
仮設住宅はすきま風が入り込む厳しい環境だった。火災防止のため、ストーブは使用禁止。そんな厳しい環境の中、安田さんは自治会長として住民の暮らしを少しでも改善しようと立ち上がった。
安田秋成さん:総理大臣が来て、いろんなこと言っても、実行しなければダメだと私は思いますね。一番弱いと言われる立場にあるけれども、怒れば立ち上がるんだってことをね、示そうと思うんですよね。
安田さんが要求をぶつけた相手が、神戸市の仮設住宅担当課長だった高橋正幸さんでした。安田さんはすきま風対策や電気カーペットの配布など32項目もの要求書を提出したことも。
時に激しく対立することもありましたが、二人の間には深い信頼関係が築かれていった。

■“被災者の暮らしをよくしたい”という思いは同じだった2人
安田さんは当時をこう振り返った。
安田秋成さん:高橋課長には全部をぶつけて、我々の怒りから泣き言まで。意見は違った、当然ね。
私たちが言うことに対して『それはできない』とかいろいろ言いますよ。しかし視点、目線が同じだと思っていた。
本当に仮設の人たちの暮らしを何とか少しでもよくしたい。生活再建に前進できるようにしたいという気持ちを持っておるというのは私と通じとった。
一方の元神戸市職員・高橋さんは、「ガンガンガンガン言われて、こっちも人間だから、言われればやっぱりガードを固めてしまう。それがやがて、『言うてるばかりじゃどないもならんわ』と。そこらへんで協力関係が生まれた」と話す。
意見は違っても、被災者の暮らしをよくしたいという思いは同じだった。

■最後の一人が去るまで仮設住宅に残った安田さん
安田さんは仮設住宅から最後の一人が退去するまで残り続けた。住民たちは各地の復興住宅へと移りましたが、復興住宅は20年で退去という決まりがあった。
その後も安田さんは退去を迫られた住民の支援や、一人暮らしのお年寄りの見守り活動に励む。
年末になると12キロものお米を持って各地を回り、仮設住宅時代の仲間たちをずっと気遣い続けた。
安田秋成さん:会う度にみんな弱っていっとると。やはり暮らしの再建ができていない。元に返りませんよね。命ある限り、みんな一生懸命生きとるんだから、やはり1年いっぺん訪ねるということは非常に大事なことだと思ってます。

■入院と退院を繰り返していた安田さんのもとを何度も訪ねた高橋さん
毎年続けてきた見守り活動。足腰が弱って高橋さんに支えられながら最後の活動をした時には、安田さんは96歳になっていた。
その後、入院と退院を繰り返していた安田さんのもとを、高橋さんが何度も訪ねた。
安田秋成さん:『ここから立ち上がっていくんだ、仮設から行動を起こしていくんだ』そういう思いがいっぱいでした。
元神戸市職員・高橋正幸さん:また来るからね。来るからね。

■「震災が安田さんと私の糸を結びつけてくれました」
晩年まで、被災者の生活再建に捧げた人生だった。
去年、99歳で亡くなった安田さん。高橋さんは弔辞でこのように述べた。
元神戸市職員・高橋正幸さん:あなたと私が目指しているのは、神戸の街、神戸の人たちが幸せに生きる、そのお手伝いをすること。
30年前の震災が安田さんと私の糸を結びつけてくれました。まだ私にはもう少し時間があるようです。
あなたの残された仕事を私は私なりに頑張ってまいります。見守ってください。

■『人を信じろ』『自分自身を裏切るな、裏切られても裏切るな』
安田さんが長年過ごした復興住宅は取材時の今月いっぱいで引き払うことになった。部屋を片付ける息子さんの元には、被災者を支えてきた活動の歴史が次々と出てくる。
安田さんの次男・裕治さん:父はね、質素に暮らしていたんで金品は何も出てこないですけど。
そこには震災後の会議の議事録や、被災者を支えてきた活動の記録が残されていました。
安田さんの次男・裕治さん:父は『命のある限り最後までやる』って宣言してしまってたので、コロナ禍で入院をして歩けなくなるまでは最後までやってましたね。
『過去帳』をつけながら一人ずつ、ずっと同じ仮設住宅にいた人たちの安否確認を続けてたっていうのは、これは私、実は知らなかったんです。
『人を信じろ』『自分自身を裏切るな、裏切られても裏切るな』と。それは信念として持っていたので。

■「安田さんの笑顔と叱咤が聞こえるような気がする」
高橋さんは最後にこう語りました。
元神戸市職員・高橋正幸さん:安田さんはずっと被災者の方々と伴走しておられた。ここへ来たらまた、安田さんの笑顔と叱咤が聞こえるような気がする。もうちょっと頑張らないかん。
安田さんの名前は神戸の真ん中にずっと残り続ける。
(関西テレビ「newsランナー」 2026年1月16日放送)

