岩手県南部に位置する一関市千厩町。街灯やバス停、マンホールには馬の装飾が施され、町を歩けば馬とのつながりが随所に感じられます。町内には「千厩地名発祥の地」と記された標柱も立っています。午年にちなんで馬にまつわる地名を探りながら町の歴史と文化をたどります。
西島芽アナウンサー
「今、私がいる場所は『千(せん)』の『厩(うまや)』と書いて、千厩(せんまや)と読む一関市千厩町です。『厩(うまや)』というのは馬を飼う小屋を意味します。『千』の『厩』、馬に関係がありそうな地名です」
「千厩」の地名について、一関市教育委員会文化財課の畠山篤雄さんによると、「源義家(八幡太郎義家)が前九年合戦で安倍貞任を討つ際、この地で馬を飼っていたという伝承がある」と話し、それが千厩の地名の由来と伝わっていて、「この場所だ」と江戸時代の古文書にもその記述が残っているといいます。
「馬」にまつわる伝説が残されている一関市千厩町。
かつては馬産地として有名な地域で、多くの馬がこの地で育てられていました。
町内には“馬櫪神(ばれきしん)”と刻まれた石碑が16基残っているといいます。
畠山さんによると「『馬櫪神』は馬の守護神、馬を健康に育てていく時にお祈りしていた馬の神様になる。馬が健康に育つようにと祈った石碑になる」と説明します。
町内にある馬櫪神の碑の数からも、人々が馬と共に暮らし、馬を大事に育ててきたことが分かります。
「千厩」の地名の由来には、馬にまつわる伝説の他にも地形が関係しているという説もあるといいます。
長年にわたり岩手県内の地名を調べている宍戸敦さんは次のように説明します。
宍戸敦さん
「千厩の意味としては『セマ・ヤ』で狭い谷という意味ととれると思う。千厩の地名の由来の標柱がある辺りの地形に千厩川が流れ、周辺の山が切り立っている。ここが千厩の由来になった場所だと考える。一方で千厩の周辺というのは馬産地で、優秀な馬を産出することで有名な場所であった。馬に関わる伝説も多く残された。その中に安倍氏と戦った源義家の伝説なども残されている」
千厩はかつて馬を育てる馬産地として知られた地域で、平安時代には今も語り継がれる名馬「大夫黒(たゆうぐろ)」がいました。
町内には大夫黒のモニュメントが建てられています。
畠山さんは大夫黒について「源義経公の愛馬と伝わる。義経の兄・頼朝の平家追討の戦いに参加。その戦いの中でも一番有名なのが一ノ谷の合戦(1184年、現在の兵庫県神戸市)で、”鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし”という山の崖の上から平家の陣を襲う時にも活躍したという馬になる」と話します。
源義経の愛馬として活躍した「大夫黒」のほかにも、一関市千厩町には源義経にゆかりのある場所が残っています。それが「新浪(あらなみ)神社」です。
源義経の兄・頼朝の戦勝を祈願して開山したと言われている神社で古くから地域の人々に親しまれています。
西島アナウンサーは、「午年の始めにぴったりの場所。皆さんの一年がウマくいきますように」と締めくくりました。
一関市千厩町。この場所の歴史と文化から馬と人が共に未来を切り開いてきた道のりが見えました。