俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。
今回訪れたのは、世界遺産にも登録されている国宝「姫路城」です。
■「白鷺城」とも呼ばれる美しい姫路城
姫路城は江戸時代初期、徳川家康の娘の夫である池田輝政が築いた城です。
400年以上の時を経た今でも、その美しい姿で多くの観光客を魅了し続けています。
1993年には日本初となる世界文化遺産に登録された名城です。
姫路城は、その白い外観から「白鷺城」とも呼ばれています。この美しさを維持するために、幾度となく修理が行われてきました。
1956年から8年かけて行われた「昭和の大修理」では、大天守を解体して再建。さらに2015年に完了した「平成の大修理」によって、現在の真っ白に輝く姿が蘇りました。
「平成の大修理」後、姫路市民は城を見て「白すぎ城」と言ったというエピソードに、大東さんも思わず笑顔になります。
■姫路城の「逆さアゲハ」の謎
姫路城の屋根瓦には、アゲハチョウの家紋が使われていますが、実は城内に1つだけ家紋が逆さまになっている「逆さアゲハ」が存在しているといいます。
【大東駿介さん】「え、意味があるの?逆さに向いてる。縁起悪いよね」
姫路城を案内する姫路市立城郭研究室・博士の三角菜緒さんは、城内を進みながら、「逆さアゲハ」の存在を「本当です」と答えつつも、その理由については「追々、説明するとして…」とミステリアスに引っ張ります。
■鉄壁の防御を誇る城の仕掛け
姫路城は美しさだけでなく、攻めにくい防御力の高い城として設計されています。
【三角菜緒さん】「姫路城は、とても攻めにくい防御力の高い城だったんです」
城の石垣は非常に高く急勾配になっており、敵が登りにくい構造になっています。さらに、城の外壁には「狭間(さま)」と呼ばれる、銃や弓矢を撃つための窓が設けられています。
【大東駿介さん】「なんで丸、四角、三角になってるんですか?」
【三角菜緒さん】「長四角のものは、弓専用の狭間になっています。三角と丸と四角は、特に使い分けはないんですが、見た目で同じ形より違う形の方がオシャレ。そういったことを考えられて、形を変えられているそうです」
姫路城の狭間は、城の外側になるほど狭くなっているため、城内から外を狙いやすく、逆に外から内側を狙いづらい巧妙な造りになっています。現在でも城内におよそ1000個残っていますが、江戸時代には3700個以上もあったそうです。
■大天守までの道のりも見どころいっぱい
大天守までの道のりには知って楽しい見所がいっぱいあります。
姫路城で1番豪華な菱の門をくぐると、目の前には3方向に分かれた道が現れます。
【三角菜緒さん】「どちらが1番近いと思いますか?」
【大東駿介さん】「近さで言ったらこっちの方(右側)が近そうではあるけど、でも真ん中が一番進んでいきやすい感じがする」
【三角菜緒さん】「真ん中ですと11の門が我々を襲ってきます」
敵を惑わすために道が3方向に分かれており、正面のルートは坂が急で道が蛇行。さらに敵を迎え撃つ門が11もあるのです。
ちなみに正面のルートには、「将軍坂」という、暴れん坊将軍のロケ現場として使われた人気のスポットがあるということです。
■「逆さアゲハ」は姫路城の末永い安泰を願って?
それではお待ちかね、大東さんも気になっている「逆さアゲハ」の家紋の謎に迫ります。
「逆さアゲハ」は大天守の最上部にひとつだけあり、その理由については…。
【三角菜緒さん】「いつから逆さになっていたか、はっきりとは分からないですが、あえて完成させない。完成させると、あとは滅びていくだけ。姫路城が安全であり続けるという狙いで、瓦を逆さにしたんじゃないかという説があります」
姫路城の末永い安泰を願って、瓦職人が家紋を逆さにしたのではないかと言われているのです。
■「東大柱」の秘密 “東大”つながりで受験生のパワースポットに
大天守内部には、「東大柱」と呼ばれる巨大な柱が存在しています。この柱は地下から5階の天井、6階の床下までを1本の木で貫いており、継ぎ目がない約25メートルの長さを誇ります。
【三角菜緒さん】「これが先ほどの地下から5階の天井、6階の床下まで貫いている。1本で貫いている柱になります」
【大東駿介さん】「1本で?」
【三角菜緒さん】「そうですね。およそ25メートルほどの長さがあります」
驚くことに、西大柱は昭和の大修理の際に取り替えられましたが、東大柱は400年前の築城当時から姫路城を支え続けています。
【大東駿介さん】「これすごいな。国宝を触れちゃう。こんなことないですよ。だって他のものは全部博物館で管理されるわけやから」
「東大柱(ひがしおおはしら)」は「東大(とうだいばしら)」と読めることから、受験生のパワースポットになっているそうです。
■戦火を逃れた姫路城の奇跡
姫路城が「不戦の城」と呼ばれるのは、400年の歴史の中で一度も戦争に巻き込まれなかったからです。しかし第二次世界大戦中、姫路も空襲の被害を受けました。
西の丸に残されているL字型のくぎは、かつて城に黒い網をかけるために使われていたものでした。
【三角菜緒さん】「これは当時、空襲の危機に、日本中がさらされていたと思うんですけど…」
1945年、姫路は2度にわたり空襲の被害を受けましたが、白く目立つ姫路城が標的にされると考えた姫路市民が立ち上がり、黒い網をかけて上空から目立たないようにしたのです。空襲により街は焼けてしまいましたが、姫路城だけは戦火を逃れました。
【大東駿介さん】「不思議やな、これ。その取り組みで守られたかもしれないけど、これだけ見たらやっぱり目立ちますもんね。奇跡的に残ったとしか言いようがないですね」
■建築美と歴史を今に伝える生きた文化財
春には桜、初夏には新緑、季節によって様々な表情を見せる姫路城の魅力を実感します。
【大東駿介さん】「勉強になりました。ありがとうございます。面白かった!ワクワクするな~!」
400年の歴史と市民の想いが詰まった「生きた歴史資料」としての姫路城の価値を再認識する旅となりました。
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」2025年12月11日放送)