あの加藤清正も茶席で使っていたかもしれません。かつて「安南(あんなん)」と呼ばれたベトナムで作られ、戦国武将や茶人に好まれた陶磁器を紹介する展示会が熊本市西区の島田美術館で開かれています。
【舛田 誠二さん】
「『筒茶碗』『半筒茶碗』といわれる桃山の抹茶茶碗と同じ形のものです。実は、これはベトナムでは茶碗じゃないんですよ。お茶を飲んだり、ご飯を食べたりする食器として使っていないんですね。仏事なんかに使われたんじゃないかと思います。これが日本に入ってきて、当時の桃山の文化人が『これは抹茶にいい』と思って、抹茶茶碗として使ったんですね」
会場に並んでいるのは日本の抹茶茶碗ではなく、14世紀から15世紀にかけて、当時「安南」と呼ばれたベトナムで焼かれた陶磁器です。
安土桃山時代以降、朱印船貿易で日本に伝わり、茶人たちに好まれ、茶の湯文化を豊かに彩りました。
これらの品々は熊本県内在住の舛田 誠二さんが集めたもので、初めて公開されるものもあります。
安南茶碗は日本で生まれた焼き物にも大きな影響を与えたと考えられています。
こちらの『黒地掻き落とし唐草文碗』は乳白色の透明の釉薬をかけたもので、日本の志野焼の茶碗に似ているといいます。
【舛田 誠二さん】
「古田織部が焼いた茶碗と同じ緑の茶碗です。ここにあるのは14世紀のベトナムのものです。緑に高火度と低下度があり、1200度で焼く高火度の茶碗と、800から900度で焼く鉛の入った低下度の茶碗があります。この高火度の茶碗を古田織部が焼いて、『織部焼』という有名な茶碗になってます」
ベトナムの焼き物の歴史は、紀元前にさかのぼり、中国の影響を受けながらも独自の発展を遂げてきました。
その素朴で自由な美しさが『わび』『さび』といった日本独自の美意識と深く響き合いました。
加藤清正も千利休や古田織部に茶の湯を学び、朱印船貿易に積極的でした。
安南の王との書状のやり取りの記録が残っていて、加藤清正もこれらの安南茶碗を茶席で用いていたかもしれません。
【来館者】
「多様ですよね、色も形も。きれいですね」
「状態もとても良い」
「昔からこういうふうなのがベトナムで出来ていたかと思うと、感慨深いものがありますね。古い時代のものが、こうやってきちんとした形で残っているのが・・・」
「本当にびっくりします。どの器にも欠けが全然ないので」
「素晴らしい物を拝見させてもらいました」
特別展『ベトナム古陶磁舛田(ますだ)コレクション安南茶碗、海をわたる』は熊本市西区の島田美術館で12月22日(月)までです。