岩手県久慈市といえば、海のイメージが強い街。しかし、秋の紅葉に彩られた久慈渓流を訪れると、その印象は変わります。切り立った崖と澄んだ流れが織りなす景観は、まさに自然の造形美。ここには、久慈という地名の由来にまつわる地域の歴史が隠されています。
久慈という地名について、長年わたり岩手県内の地名を調査してきた宍戸敦さんは、「久慈は『抉(えぐ)る』という字に由来する可能性がある。抉(えぐ)るという字は、『くじる』『こじる』という言い方もする。このくじるからきていると思う。中のものを抉り取るという意味合い。地形に絡むと、岩が削られた大きな崖を指すのではないかと考えられる」と話します。
宍戸敦さん
「久慈市内では2ヵ所考えられる。一つは沿岸部の波で浸食された地形、もう一つは、久慈渓流の渓谷。可能性として高いのは、かつて久慈の中心地近くにあった久慈渓流が『久慈』の地名の由来である可能性は高い」
「久慈」という地名の由来の一説とされる久慈渓流。「抉(くじ)る」という言葉にふさわしい、深く抉れたような渓谷が特徴的です。
久慈渓流の魅力をさらに深掘りするため、北三陸の地形や歴史に詳しい三陸ジオパーク認定ガイドの島川芳樹さんに話を聞きました。
三陸ジオパーク認定ガイド 島川芳樹さん
「石灰岩の直立している状態の地形です。2億2000万~2億3000万年程前の石灰岩とされている。地層(下から順に平坦に堆積した地層)は、古い順番に積み重なっていく。板を横にしたような状態なんですけれども、ほぼ直角に近い形になっている。だから地殻の変動があった。その後、久慈渓流の水が流れて横に削ったり縦に削って、川の流れが出来上がっていく」
久慈渓流にある景勝地「鏡岩(かがみいわ)」は、切り立った崖の迫力をすぐそばで感じることが出来ます。
日の光を反射して輝くその姿から名付けられ、一帯を明るく照らす様子は訪れる人々を魅了していると説明する島川さん。
久慈渓流と呼ばれている場所は、「久慈川」の中流域。この久慈川のように市内には山間部から太平洋へ多くの川が流れ出ています。
久慈湾南側に位置する「長内(おさない)」も、川と深い関わりを持つ地域です。
宍戸さんによれば、その由来はアイヌ語にあるといいます。
宍戸敦さん
「長内は『オ・サツ・ナイ』で、『オ』は川尻、『サツ』は乾いている、『ナイ』は川。つまり枯れ川、水無川が長内だと考える。かつて長内地域にある長内川を枯れ川だと思って調査に行ったことがある。ただ水がずっと流れていて、これは枯れ川ではないなと思ったところ、ちょうど長内川に流れ込む支流で、小屋畑川(こやはたがわ)という小さな川全体が枯れ川になっている。もしかしたらこの小屋畑川が『長内』の由来となった川なのだなと考えた」
長内地区第13区行政連絡区長 上山昭彦さん
「小屋畑川は、今、結構水が流れているが、何日か前に大雨が降って、その名残でまだ流れている。通常はこんなにいっぱい流れてない。全然水が無くなって枯れ川になることもある。大雨が降ると氾濫することもあり、災害をなくすため別な方に新しく川を作る工事をしている」
沿岸部の崖、久慈渓流の渓谷、小屋畑川の流れ――久慈市に残る景観は、地名の由来を今に伝えています。