史上最悪のクマによる被害「三毛別ヒグマ事件」。

 北海道北部の苫前町で7人がヒグマに命を奪われました。

 今も巨大なクマが出没を繰り返すこの町で、同じ悲劇を繰り返さない…先人の思いを継ぐハンターを追いました。

 わなで吠える体重300キロの巨大なヒグマ。

 2025年、苫前町では6頭のクマが捕獲されました。

 更に、400キロ級のクマが箱わなのまわりをうろつく姿も。

 連日、出没するクマへの対応に追われているのが苫前町猟友会の会長、林豊行さんです。

 「だいぶもらった時から使うと切れなくなるので、研いで、研いだ分だけ細くなっている」(苫前町猟友会 林豊行会長)

 林さんがお守りとして持ち続けてきたのが1本の刀。

 町内で110年前に発生したある悲劇の記憶とともに受け継がれてきたものです。

 「二度とああいうことはあってはならない」(林会長)

 苫前町三渓地区。

 うっそうとした森の中にたたずむのが「三毛別ヒグマ事件」の復元地です。

 「ヒグマ事件としては過去最大の事件」(苫前町郷土史研究会 伊藤通康会長)

 大正4年12月9日、開拓地の民家にいた女性と男の子が突然現れたクマに襲われ犠牲に。

 翌日、クマは2人の通夜にも乱入したうえ、別の民家をも標的にします。

 「臨月のお母さんが襲われたが、お母さんが子どもを守るために『腹破らんでくれ。喉食って殺してくれ』と」(伊藤会長)

 2日間で母親と身籠っていた子どもを含む7人の命が奪われました。

 このヒグマは、体長2.7m、体重340キロのオスで、事件から5日後に駆除されました。

 「冬眠を逸した。穴を持たないクマ『穴持たず』。そういった熊がお腹を空かして最終的に人間を襲った」(伊藤会長)

 「これが足跡。体重でいえば200キロ以上あるかな」(林会長)

 惨劇から110年経った今も、クマから町民を守るため活動を続ける林さん。

 「2025年はやっぱり出方が異常。クマを捕ってこなかったから、繁殖したクマが『ここが自分たちの居場所だ』と感じている」(林会長)

 町を駆け回るクマに、心が休まる日はありません。

 「これはクマが入っているエサを食べようとして、この下を掘った」

 「なかなかやるもの」(ともに林会長)

 雪が積もった2025年11月にも町に巨大なクマが現れ、いとも簡単に箱わなをなぎ倒しました。

 今も町のどこかに身を潜めています。

 「デントコーンを食ってダボダボになったやつかな。くだらないワナを仕掛けて俺を捕まえる気でいるなと言いながら、くるっと回って笑いながら去っていった、そんな感じ」(林会長)

 ハンターになって約50年。

 林さんが猟に出る時に欠かさず持ち歩くのが、師匠から受け継いだこの狩猟用の刀です。

 「大川春義さんが亡くなって、息子高義さんが使っていた。形見ですよ」(林会長)

 大川春義さんは、三毛別ヒグマ事件のクマを撃ち取ったハンターの弟子で、幼少期に三毛別で事件を目の当たりにしました。

 息子の高義さんと親子で町民を守るためにクマを捕り続けたといいます。

 高義さんのもとに嫁いだつゑ子さんは、当時クマを相手にする親子の姿に驚かされ続けたことを思い出します。

 「クマの子っこ。こんなのを連れてきて。親クマを打ったから子っこが残った。一晩中ガオーガオーと鳴くの。えらい目に遭った」(故・高義さんの妻 大川つゑ子さん)

 特に春義さんは、ある言葉を胸に故郷を荒らしたクマへの執念を燃やし続けた人生を歩んだといいます。

 「父親が『春義や 敵討ちせい』と」(大川つゑ子さん)

 町内の神社。

 春義さんが建てた事件の慰霊碑があります。

 そこには町を守る自らの誓いも刻み込まれています。

 ~ 一生を賭して、クマ退治に専念し、以て部落の安全を維持するは、己れに課せられたる責務なり~

 「じいちゃん(春義さん)は4月になったら、猟に出てもういない」

 「必ず持ってくる。百何頭を捕った全部」

 「ろうそくを立ててクマの頭を祀っていた」(全て大川つゑ子さん)

 その春義さんから幼少期にクマ撃ちに誘われハンターになった林さん。

 すべてを学び、共に故郷を守り続けてきました。

 「”沢底から上にいるクマを撃つな”。”少しでも高いところに上がって二の矢を撃つなど出来るようにして撃て”と」

 「(刀見つめて)ありがたいなと思う。世話になってるから。やっぱりもらったときは嬉しかった」

 「大先輩の気持ちが入っていると思う」(全て林会長)

 「突然1頭のクマが壁を破って飛び込んできました」

 辛い記憶を今だからこそ知ってもらいたい。

 町では「三毛別ヒグマ事件」を語り継ぐ取り組みが進んでいます。

 「クマ出ないようにしてほしい」

 「あれだけ悲惨なことはないと思うので、若い世代も理解して継いでいければいい」(いずれも苫前町民)

 頭が獅子ではなくクマという「苫前くま獅子舞」も、町民らで50年以上紡いできた事件を後世に伝える表現の一つです。

 「こっちは牙は木。だからぶつかるとケガをする」(苫前町くま獅子舞保存会 花井秀昭会長)

 くま獅子舞の保存会で会長を務める花井秀昭さん。

 子どもの頃に聞いた話が記憶から離れませんでした。

 「おばあちゃんから事件当時クマが襲ってきて、骨をかみ砕く音が聞こえたという話をうちのおふくろが聞いていた」(花井会長)

 担い手不足で一時は活動が止まりましたが、町の子どもたちがメンバーに加わり復活。

 歴史を次の世代へと繋いでいます。

 「楽しい・嬉しい事件ではないので、引きずるのかとの話もあった。でも、こういう人がいたから今の苫前がある。そういったことを後世に伝えていかなければならない」(花井会長)

 悲劇の地でクマと共に生きていかなければならないという現実。

 「共生というのはお互いに認識しあって認め合ってという意味。お互いに恐れて近づけないように、それしかしょうがない」(林会長)

 先人たちの思いを胸に、林さんは、動き続けます。

 「撃ちたくて撃つというよりも、撃たなければならないから撃つ」

 「クマが増えて誰かが犠牲になることを防ぐためには、今できることをやらなければならない」(林会長)

北海道文化放送
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