公園や駅前などにある人物の像。
中でも裸の女性をモチーフにした裸婦像はよく見かけますけれども今、多くの自治体で「公共の場にふさわしくない」として撤去や移設の動きが相次いでいるそうです。
21日のテーマは「不快?芸術?相次ぐ裸婦像撤去の動き」ソレってどうなの?です。
香川・高松市の中心部にある中央公園です。
約3.5haの園内には、2人の少女が向かい合って立つ裸婦像があります。
作品名は「女の子・二人」。
市によりますと、35年以上前の1989年ごろに設置されたそうです。
瀬戸大橋の完成を記念して作られたこの作品。
この像を作った彫刻家の阿部誠一さんに話を聞きました。
彫刻家・阿部誠一さん:
海峡を挟んでお互いが呼びかけている。幼い子は成長していく→地域が成長するということに引っかけている。
しかし、この裸婦像が8月末、現在の場所から撤去されることが決定したんです。
その理由を、高松市役所の担当者・岡田さんに聞きました。
なぜ撤去するんでしょうか?
高松市公園緑地課長・岡田光信さん:
中央公園自体が開園後40年が経過し、再整備を行うことを検討した状況。「女の子・二人」の所が新たな施設にかかってしまうということで、移設が必要となったというふうな流れ。小学生などからは「どうして裸の像があるんですか」との内容や、違う方からは「少し時代にそぐわないのではないか」という意見をいただいている。
一部の市民からこうした声もあり、公園のリニューアル工事に伴ってこの場所からの撤去を決めました。
市は今後、この像について別の場所への移設も含め調整していくとしています。
同様の動きというのは他にもありまして、静岡市では街の中心部に彫刻作品が点在しています。
少なくとも15体は裸婦像、もしくは少女の裸体像なんです。
静岡市の難波喬司市長は2024年12月の定例会見で、街中に置かれている裸婦像について「裸婦像自身は芸術作品ですので、それ自身を否定するわけではありませんが、やはり公共の開かれた、しかも目に付きやすい空間、駿府城公園や駅の南口であるとか、非常に目に付きやすい空間ですので、そういったところに置くのではなくて、作品の鑑賞環境にふさわしい場所に置くのがいいのではないかと思う」と話しました。
また兵庫県では、撤去された裸婦像の移設先が決まらず、3年以上も資材置き場で眠っているそうです。
そもそも日本でなぜ、裸婦像が街中に置かれるようになったのでしょうか。
専門家の高山陽子教授に話を聞きました。
亜細亜大学・高山陽子教授:
戦前に政治家とか軍人の騎馬像が日本各地にいっぱいあった。そのあとに女性像が“平和の象徴”として使われるようになり、70年代に“パブリックアートを置くと街が文化的になる”といわれ、その中で女性裸体像が増えていった。
日本で初めて公共空間に裸婦像が設置されたのは、東京・千代田区の「平和の群像」といわれています。
1951年に設置されたこの像。
終戦から6年後の日本で平和の象徴などと意味づけられ、各地に広まりました。
JR田端駅前には、金色の裸婦像が設置されているほか、赤羽駅前のロータリーには子どもを抱える女性の像があります。
こうした背景で広がった裸婦像ですが、撤去や移設の動きが広がっていることについて街の方は「芸術みたいな感じ。今までのアートとかも否定してしまうと思う。撤去しない方が予算的にも楽だろうし、僕はそっち(撤去しない)側の意見」「別に撤去しなくてもいいと思うが、多数決というか。いかがわしいと思う人が多いのであれば撤去した方がいいのかなと思う」「(撤去は)妥当ではないか。卒アルの写真に写っていて、ちょっと嫌」などと感じているようです。
日本人から様々な意見がある中で、外国の方に聞くと「芸術作品だったら撤去は必要ないけど、住宅街で小学校とか中学校のそばに裸の像があったら、さすがにちょっと僕外国人でも、えー大丈夫かな?と思う」「公の場所にあるべきではない。公衆から見られない美術館であればいいが、通りにあるべきではない」という声が聞かれました。
平和の象徴として設置された芸術作品。
時代の変化とともに、見られ方が変わってきているようです。