甚大な被害をもたらした広島土砂災害。あの日生まれた、ひとりの女の子が、当時の記憶をたどりました。
11年前の記憶を残す「広島市豪雨災害伝承館」。
この場所を訪れたのは小学5年生の有田紗代さんです。
生まれたのは11年前のきょう、8月20日です。
雨が降りしきる中、安佐南区八木の実家で陣痛が来た母親の志穂さんは、夜明けを待ち、家族の運転で何とか病院にたどり着き出産しました。
【母親:有田志穂さん(去年)】
「大きくなったら…ちゃんとこういうことがあったんよ、ということは伝えていきたいなと思っている」
あの日から10年の節目となった去年、紗代さんは60ページに及ぶ「さいがいノート」を作り、こう語っていました。
【娘:有田紗代さん(去年)】
「家族のために作りました。最初は(なぜ起きるのか)疑問だったけど、どんどん災害はすごい怖いものなんだなと思ってきた。災害が起きた時にどうしようと焦るけどあったら安心かなと思って作った」
11年経ち、当時の光景を見つめなおす紗代さん。
【娘:有田紗代さん】「家も無くなっている…」
【母親:有田志穂さん】「広島県の土は、やわらかいと聞いたから、どうしようもないけど、どうしようもないなりに早めに避難することが大切だと思った」
母親の志穂さんも一緒に当時を振り返ります。
【娘:有田志穂さん】「これダムのところ?「
【母親:有田志穂さん】「昔の砂防ダム」 「散歩とかに行った公園の近く」
【娘:有田志穂さん】
「あっという間といえば、あっという間だんだん薄れてくるところもあるので、(改めて)見ると危険なことがあるなと思った」
「(当時は)深さはなかったんだけど、全然道路が見えない状態で車で(病院まで行った)」
あの日から11年… 被災地と呼ばれたこの場所も様変わりしました。
記憶の風化が懸念される中、復興していく街に思いを馳せます。
【娘:有田紗代さん】
「ダムとかもこんな大きいのを作るくらいだし、どんな気持ちでここが復興したのか考えることがいいと思う」
そんな紗代さんの成長を見続けてきた志穂さん。母親としての願いがあります。
【母親:有田志穂さん】
「災害が身近になっていると思う。経験した人が、(災害を)知らない人や次の世代に伝えていくことは大切。たまたまあの日に生まれただけだが、かといってあの日に生まれたことを背負いすぎなくてもいい。周りの人の気持ちを考えて行動できるような子になってほしい」
あの日生まれた子供は今年、小学5年生に。
災害の記憶を紡ぐ日々が、きょうも続いています。