疎開船「対馬丸」が米軍の攻撃を受け沈没した事件から81年となるのを前に、那覇市の対馬丸記念館には新たに5人の遺影が追加されました。
太平洋戦争末期の1944年8月22日、多くの子どもたちを乗せて那覇から九州へと向かっていた疎開船・対馬丸がアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、名前が分かっているだけでも1484人の命が失われました。
事件の悲劇を伝える那覇市若狭の対馬丸記念館には19日、遺族などから新たに提供された5人の遺影が掲示されました。
沖縄市の又吉啓次郎さんは、父親の前の妻・又吉カメさんと3人の子どもたちの家族写真を提供しました。
又吉啓次郎さん:
対馬丸で亡くなったということで、洋服だけ届いていたという話を聞いた。感謝しています。こちらでずっと大切にしてもらえそうなので
又吉郁枝さん:
今、毎日が平和で幸せだから、ずっとずっと続いていくように願っています
対馬丸記念館には新たに加えられた5人を含め417人の遺影が掲示されていますが、それでも犠牲者の4分の1ほどで、記念館は引き続き写真の提供を呼びかけています。