新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。アメリカのトランプ大統領夫妻が新型コロナウイルスに感染し、世界全体の死者数もついに100万人を超えた。筆者が住む中東トルコも初期段階では感染者が急増し、一時は欧米のように医療崩壊の危機も叫ばれたが、ロックダウンなどの厳しい措置が講じられ死者数の急速な増加などは見られていない。だが、感染は夏以降再び拡大傾向にあり、冬に向けた第2波襲来も懸念されている。

症状がなければカウントせず

そんな中、9月30日のトルコ政府の発表が波紋を広げている。記者会見したコジャ保健相は、政府が毎日発表している新型コロナウイルスの感染者数は、症状が出た患者数だけを示していることを明らかにした。つまり、検査の結果陽性であっても症状がなければカウントしてこなかったということだ。

コジャ保健相も、「無症状の感染者は患者と見なしていない」と述べた。トルコは、累計感染者数を約32万人と公表しているが、「陽性者」はこれよりはるかに多い可能性が出てきた。それでも、コジャ保健相は「政府が何かを隠しているわけではない」と弁明している。

新型コロナウイルス対策を担当するコジャ保健相
新型コロナウイルス対策を担当するコジャ保健相
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トルコ医師会はこれまでも、政府が発表する感染状況に関するデータは疑わしいと訴えてきた。最大野党の議員は9月29日、保健省の内部資料を公表。9月10日のケースを取り上げ、政府発表の新規感染者数が1512人だったのに対し、資料に書かれている陽性例は2万9377人だったと指摘していた。約20倍の多さだ。

一方のコジャ保健相は「この資料は日付けも記載されていないし、信用できない」として、この野党議員の主張を否定した。(野党議員はその後、日付け入りの資料を公表。)

保健省の内部資料を公表する共和人民党(最大野党)のエミル議員
保健省の内部資料を公表する共和人民党(最大野党)のエミル議員

各方面から批判の声

発表後、トルコ国内では政府を批判する声が相次いでいる。

トルコで最も人気のある風刺漫画誌は『コジャ保健相の発言以降、コロナ感染者数はもはや信用できない』とのタイトルの下に、数字パズルを手にしたコジャ保健相を描いた。後ろの男性は「こいつ数字で遊んでるぞ、こらっ!」と、ツッコミを入れている。

“数字遊び”をするコジャ保健相のイラスト (トルコの風刺漫画誌「レマン」)
“数字遊び”をするコジャ保健相のイラスト (トルコの風刺漫画誌「レマン」)

批判は野党や医療関係者からも相次いでいる。

民主主義進歩党 ババジャン党首(元副首相):
「与党はコロナ対策がきちんとできていないこと、国民の命を危険にさらしていることを露呈した。この発表を聞いた今、我々はICUの占有率や死者数を信じられるだろうか?」

共和人民党(最大野党) エルデム議員: 
「陽性でも症状がなければコロナ感染者として認められないなら、妊娠検査で陽性でも、吐き気やめまいの症状がない妊婦は妊娠していると認められないのか?テストとは一体何なのか?」

トルコ医師会 アドゥヤマン元会長:
「医師会はこれまで保健省に透明で真実な数を提示するよう訴え続けてきた。保健省は、感染ではなく、“感染者数”をコントロールしてきたのだ」

他国も反応

その影響は国内にとどまらない。イギリスはトルコ政府の発表翌日の10月1日、トルコを「入国後14日間の自主隔離免除国」リストから外した。イギリスのシャップス運輸相はツイートでこう述べている。

「免除国リストからトルコを削除する。トルコ保健省は、WHO(世界保健機関)などの国際機関で使用されている定義とは異なる方法で新型コロナウイルス症例の数を定義しているため、リスク評価を更新した」

自主隔離措置は早速10月3日からの適用だ。トルコはこのコロナ禍でも外国人観光客の誘致に積極的で、特に今年はイギリスからの観光客が増えていたという。しかしこの措置でイギリス人観光客が激減することは避けられないだろう。減るのはイギリス人だけではないかもしれない。

イギリス政府がトルコを隔離免除リストから削除する理由として挙げた「感染者の定義」について、WHOの暫定ガイダンスは「臨床的な兆候や症状に関わらず、新型コロナウイルスへの感染が検査で確認された人」としている。おそらくほとんどの国はこの定義に基づいてカウントしているが、トルコはそうではなかったということだ。

実はトルコ保健省は7月29日の発表分から、それまで「新たな感染者数」としていた項目を「新たな患者数」と変更していた。保健省はその際「今後は国際基準に従って重症者数も記載する。新規の患者数と累計患者数に加え、肺炎患者数も計上し、詳細情報を提供する」と説明。ただ、当時この変更の意味について取り上げたメディアはほとんどなかった。

遅れる対面授業再開

今回の「感染者数」をめぐる波紋は教育現場にも影響を及ぼしそうだ。イギリスをはじめとする西欧諸国は秋の新学期から次々と対面授業を再開させている。一方、トルコは当初9月21日から再開するとしていたものの、コロナの感染拡大を理由に幼稚園と小学1年生のみに限定した。しかも今のところは週1~2日のペースだ。残る小2から高3までの対面授業再開は、早くても10月12日。しかもその再開方法については、いまだに発表されていない。

対面授業の全面的再開のめどはいまだに立っていない
対面授業の全面的再開のめどはいまだに立っていない

イギリスでは感染拡大で再び行動制限を強化しても対面授業は中止していないが、トルコでは行動制限はほぼ解除されているのに、前述のように子どもの対面授業だけはいまだに再開していない。なによりも懸念されるのは、もし「感染者数」が実際の公表数よりも大幅に多かった場合、対面授業再開どころではなくなるかもしれないということだ。夏休みを挟んでオンライン授業を半年以上も続けている生徒たちが、実際にクラスメートや先生と会えるのはいつになるのだろうか。

経済にも打撃か

トルコの経済は今年第2四半期に前年同期比で10%近く縮小した。政府は迅速な回復を予測しているものの、多くの専門家は今年のトルコ経済は縮小するだろうと見ている。また、トルコの通貨リラも、最近は円やドルに対して過去最安値圏で推移している。トルコが支持するアゼルバイジャンとアルメニアの軍事衝突による地政学的リスクも高まっている。ただでさえこうした不安要素であふれている中、コロナ対策での失敗は決して許されない。

コジャ保健相は自身の発表に対する批判にツイッターでこう反論している。

「感染症の流行と戦う過程で、国は国民の健康だけでなく国益も守っている。感染症は生活のすべてに影響するからだ。一部の無責任な人々の批判は、写真の一部だけをズームしてシミを探す行為と同じだ」

一方で、コジャ保健相は記者会見で症状の無い人を含めた陽性者全体数の公表を求められたが、これに応じていない。

トルコ政府は、コロナの初期段階から年齢別の外出制限をしたり、ICU病床の増床などの対策を講じたりした結果、これまで医療崩壊を招かずにコロナをうまく管理してきたとみられていた。

イスタンブールに住む筆者がコロナ禍での取材を通して感じた印象からしても、トルコ政府の対策は一定の評価に値すると考える。しかし、今回の感染者数の“定義”をめぐる国内外への影響次第では、今までの努力が台無しになる恐れも捨てきれない。いまだにワクチンが流通せず、第2波が目の前に来ている中、トルコ政府の今後の舵取りに期待したい。

【執筆:FNNイスタンブール支局長 清水康彦】

清水康彦
清水康彦

国際取材部デスク。報道局社会部、経済部、ニューヨーク支局、イスタンブール支局長などを経て、2022年8月から現職。