岩手県二戸市には地元の人から「舌崎(したざき)」と呼ばれている地域があります。この独特な地名の由来とは何なのか。また、周辺にある奥州街道の名所について探ってみた。

長年にわたり県内各地の地名について調査している宍戸敦さんは「舌崎(したざき)」について次のように説明する。

宍戸敦さん
「人体に関係がある地名の中で、例えば“花(鼻)巻”、西和賀町“耳取”、北上市“黒沢尻”。このように人体に関係する地名ということで、二戸市の舌崎も人間のこの“舌”が由来とされる。馬淵川が大きくぐるっと大地を囲うような形で回っている。それがちょうど上の方から見ると人間の“舌”の形に見える。地図にもそのような感じで見えたりする」

この「舌崎」という地名の由来がよくわかる場所・駕籠立場(青森・三戸町)の展望台に行ってみると、手前は木で隠れているが、この地形が舌のように見える。

地図で見るとはっきり舌の形になっていることが分かる。

では、“駕籠立場(かごたてば)”という名前の由来は何か…。

宍戸敦さん
「舌崎の辺りを奥州街道が通っていて、近くには“駕籠立場”があった。“駕籠”というのは江戸時代の移動手段として使われた「カゴ」のこと。“駕籠立場”は休憩する場所で、現在の道の駅や高速道路のサービスエリアみたいな感じで休憩をする場所になる。そしてこの“駕籠立場”という地名は、県北の方によく見られるが、今の一戸町小鳥谷や八戸街道の猿越峠の近くの辺りは“駕籠置場”というような地名になっている」

由来のように「駕籠立場」は、明治天皇が全国各地を訪れた際、休息所となった場所でもある。

二戸市と一戸町の間にある「浪打峠(なみうちとうげ」も同じく奥州街道沿いにある名所だ。
この場所を二戸市観光ツーリズム協会の桂山喜代美さんに案内してもらった。

二戸市観光ツーリズム協会 桂山喜代美さん
「奥州街道だったところを登ってきたが、ここが浪打峠で岩が縞模様になっているので波のように見える。昔はこの辺は浅い海で、今から1500万年ほど前に海底火山で噴出したときに、水と砂と岩の小さいかけらやホタテの貝のかけらとかが混じって交差して堆積したのがこの層と言われている」

実はこの浪打峠、別の名所としても知られている場所だ。

二戸市観光ツーリズム協会 桂山喜代美さん
「もともとここは奥州街道で“松の木”が有名だった。山道登り口は「初めの松」、中腹に「中の松」、そして最後にこの頂上付近、浪打峠に「末の松」。特に「末の松」が大きく素晴らしい松だった。この地形と相まって末の松山の“浪打峠”ということで名所になっている」

現在は松の姿はなくなったが、「末の松山」という名前がその名残をとどめている。

この浪打峠も駕籠立場と同じく、明治天皇の旅の休息所となった。

二戸市観光ツーリズム協会 桂山喜代美さん
「1876年(明治9年)4月10日に明治天皇が巡幸された時に浪打峠で野立て(休憩)された。その時に浪打峠の山下水でくみ上げた水でお茶をたててお飲みいただいた。くんできた水桶とともに添えられて和歌を献上した。その和歌が『足曳の山下水をくみあげて 我が大君にお茶たてまつる』、お茶をお飲みになった明治天皇にお褒めを頂いた。それから地域の人は山下水を大事に使った」

奥州街道の休息所だった駕籠立場と浪打峠。現在も舌崎の景色や波のような地層を楽しむことができる。

岩手めんこいテレビ
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